万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1463,1464,1465)―静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P1、P2、P3)―万葉集 巻一 五四、巻二 九〇、巻二 一四二

―その1463―

●歌は、「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P1)万葉歌碑<プレート>(坂門人足

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 五四から五六歌の題詞は、「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌>である。但し、五六歌には、「或本の歌」として、五四歌の原歌とされる歌が収録されている。

(注)太上天皇:持統上皇

 

◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎

     (坂門人足 巻一 五四)

 

≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

 

(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。(学研)

 

 五四から五六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その940)」で紹介している。

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奈良県御所市古瀬 阿吽寺のこの歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。

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巨勢寺ならびに阿吽寺について、南都銀行HP「見どころ情報」に、「近鉄吉野線吉野口駅周辺には古代、巨勢寺と呼ばれる大寺院が建っていたが、荒廃が進み、いまは塔跡に礎石が残っているのみ。現在境内地には大日堂が建つ。阿吽寺の境内は、玉椿山の山号にふさわしく椿が多い。この地を象徴する椿とともに、『万葉集』にも詠まれた。「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲ばな巨勢の春野を」(坂門人足/さかとのひとたり、巻1-54)。縁起によれば、平安時代に巨勢川が氾濫したとき、阿吽法師と名乗る僧が人々を救った。以後、法師を崇め、巨勢寺の一坊に寺を構えさせたのが寺の起こりという。

(注)阿吽寺は巨勢寺の子院の一つである。

 

 

 

―その1464―

●歌は、「君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P2)万葉歌碑<プレート>(衣通王)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王不堪戀慕而追徃時謌曰」<古事記に曰はく 軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に奸(たは)く。この故(ゆゑ)にその太子を伊予の湯に流す。この時に、衣通王(そとほりのおほきみ)、恋慕(しの)ひ堪(あ)へずして追ひ徃(ゆ)く時に、歌ひて曰はく>である。

(注)軽太子:十九代允恭天皇の子、木梨軽太子。

(注)軽太郎女:軽太子の同母妹。当時、同母兄妹の結婚は固く禁じられていた。

(注)たはく【戯く】自動詞①ふしだらな行いをする。出典古事記 「軽大郎女(かるのおほいらつめ)にたはけて」②ふざける。(学研)

(注)伊予の湯:今の道後温泉

(注)衣通王:軽太郎女の別名。身の光が衣を通して現れたという。

 

◆君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待  此云山多豆者是今造木者也

      (衣通王 巻二 九〇)

 

≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つにはまたじ ここに山たづといふは、今の造木をいふ

 

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。にわとこの神迎えではないが、お迎えに行こう。このままお待ちするにはとても堪えられない。(同上)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞:「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)みやつこぎ【造木】: ニワトコの古名。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1076)」で紹介している。

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 この九〇歌は、磐姫皇后の連作四首(八五~八八歌)の校異として引用されている。

 八五~八八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1034~1037)」で紹介している。

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 衣通王は、和歌山の玉津島神社の祭神の一柱として祀られている。

玉津島神社・鹽竃神社HPによると、「玉津島神社は、住吉大社柿本神社と並ぶ『和歌三神(わかさんじん)』の社として、古来より天皇上皇、公家、歌人、藩主など、和歌の上達を願う人々の崇敬を集めてきました。和歌三神とは和歌の守護神で、玉津島明神と住吉明神柿本人麻呂の三柱の神をさします。この玉津島明神が、玉津島神社祭神の一柱『衣通姫尊(そとおりひめのみこと)』です。衣通姫は第19代允恭(いんぎょう)天皇の后で和歌の名手。さらに絶世の美女でした。その麗しさは、その名のとおり『衣を通して光り輝いた』といわれます。(後略)」とある。

 

 玉津島神社に関しては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その734)」で紹介している。

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―その1465―

●歌は、「家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P3)万葉歌碑<プレート>(有間皇子

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆家有者 笱尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉盛

     (有間皇子 巻二 一四二)

 

≪書き下し≫家なれば笱(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅(たび)にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

 

(訳)家にいる時にはいつも立派な器物(うつわもの)に盛ってお供えをする飯(いい)なのに、その飯を、今旅の身である私は椎(しい)の葉に盛って神祭りをする。(同上)

(注)け【笥】名詞:容器。入れ物。特に、食器。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1157)」で紹介している。なお歌に関連した、有間皇子への同情歌、葉に盛る風習、有間皇子神社、笥にかんするやきもの等に触れた稿にリンクを張っているのでご興味があればご覧ください。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「見どころ情報」 (南都銀行HP)

 

※20230629静岡県浜松市に訂正