―その1482―
●歌は、「たらちねの母がその業る桑すらに願へば衣に着るといふものを」である。
●歌碑は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P19)にある。
●歌をみていこう。
◆足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎
(作者未詳 巻七 一三五七)
≪書き下し≫たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願(ねが)へば衣(きぬ)に着るといふものを。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(訳)母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)母の反対がゆえにかなえられない恋を嘆く女心を詠っている。
「くは」を詠んだ歌、絹の価値を知り得る歌等についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1052)」で紹介している。
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「桑」については、「生薬ものしり事典(YomeishuHP)」によると「一般的に『桑』と呼ばれているのは、植物分類学で『マグワ』のことです。クワ科、クワ属の植物で、北海道から九州の日本各地と朝鮮半島から中国大陸の山地に分布する中国原産の落葉高木植物です。
桑は古くから、絹糸になるマユを作るカイコの餌としても知られています。」と書かれている。
―その1482―
●歌は、「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」である。
●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P20)にある。
●歌をみていこう。
◆春野尓 須美礼採尓等 來師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
(山部赤人 巻八 一四二四)
≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ野をなつかしみ一夜寝(ね)にける
(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(学研)
題詞は、「山部宿祢赤人歌四首」<山部宿禰赤人が歌四首>である。
この歌ならびに他の三首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その417)」で紹介している。
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―その1483―
歌は、「我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。
歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P21)にある。
歌をみていこう。
◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無
(大伴田村大嬢 巻八 一六二三)
≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし
(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。
(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹
題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。
(注)いもうと【妹】名詞:①姉。妹。▽年齢の上下に関係なく、男性からその姉妹を呼ぶ語。[反対語] 兄人(せうと)。②兄妹になぞらえて、男性から親しい女性をさして呼ぶ語。
③年下の女のきょうだい。妹。[反対語] 姉。 ※「いもひと」の変化した語。「いもと」とも。(学研)
同じような題詞の歌が、七五六~七五九、一四四九、一五〇六、一六六二歌である。これらについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。
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「植物で見る万葉の世界」(國學院大學 萬葉の花の会 著)のなかに、「カエデ(楓)は、葉がカエルの手に似ていることから、古くは『かへるで』と呼ばれていた。・・・カエデを一般的にモミジと言うが、これは草木が黄色や赤に変わることを意味する上代の動詞『もみつ』の名詞化した『もみち』からで、紅葉の美しいカエデの仲間をモミジと呼ぶようになったという。・・・集中では、『もみち』を詠んだものは多いが、『かへるで』を詠んだものは2首を数えるのみである。」と書かれている。
「かへるで」を詠んだもう一首の方をみてみよう。
◆兒毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布
(作者未詳 巻十四 三四九四)
≪書き下し≫児毛知山(こもちやま)若(わか)かへるでのもみつまで寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思(も)ふ
(訳)児毛知山、この山の楓(かえで)の若葉がもみじするまで、ずっと寝たいと俺は思う。お前さんはどう思うかね。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)児毛知山:上野国(群馬県)の子持山をさす。陸奥国とする説も。
(注)かへるで:楓(かえで)は、葉がカエルの手に似ていることから、古くは「かへるで」と呼ばれていた。(「植物で見る万葉の世界」)
(注)寝も:「寝む」の東国形
(注)あど 副詞:どのように。どうして。 ※「など」の上代の東国方言か。(学研)
(注)もふ【思ふ】他動詞:思う。 ※「おもふ」の変化した語。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その938)」で紹介している。
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「もみじ」といえば「紅葉」と書くが万葉集では「もみつ」を「紅葉」と表記したのは一首のみである。これをみてみよう。
◆妹許跡 馬▼置而 射駒山 撃越来者 紅葉散筒
(作者未詳 巻十 二二〇一)
▼は「木へんに安」である。
≪書き下し≫妹がりと馬に鞍置きて生駒山うち越え来れば黄葉(もみぢ)散りつつ
(訳)いとしい子のもとへと、馬に鞍を置いて、生駒山を鞭打ち越えてくると、もみじがしきりと散っている。(伊藤 博 著「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)いもがり【妹許】名詞:愛する妻や女性のいる所。 ※「がり」は居所および居る方向を表す接尾語。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その85改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)
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「みんなの趣味の園芸(NHK出版HP)」では、「カエデ(モミジ)」について「一般にカエデと呼ばれている樹木は、カエデ科カエデ属の、主として北半球の温帯に分布している150種を総称したものです。特に、東アジアを中心に日本に約20種、中国に約30種が分布し、北アメリカ、ヨ-ロッパにまで広がっています。主に落葉高木で切れ込みのある葉をつけていますが、まれに常緑性のものや切れ込みのないものもあります。葉を対生につけるのが特徴です。園芸品種が多く、特にイロハモミジ(イロハカエデともいう。Acer palmatum)、ハウチワカエデ(Acer japonicum)など、日本産の種に属する品種が200~400品種といわれています。園芸の世界では、切れ込みが深く数が多いものをモミジ、浅く少ないものをカエデと呼んでいます。」と書かれている。
■■■広島県万葉歌碑巡り(20220524~25)■■■
※歌碑の歌の解説等は後日、2日目の概略は次のブログで紹介いたします。よろしくお願い申し上げます。
初日ルート
自宅⇒呉市倉橋町万葉植物公園⇒桂浜神社⇒桂浜・萬葉集史蹟長門島之碑⇒白華寺⇒祝詞山八幡神社⇒糸碕神社⇒西神島八幡神社⇒蔵王山憩いの森広場
2日目ルート
ホテル⇒文学の散歩みち・つれしおの石ぶみ⇒広島大学附属福山中・高等学校⇒沼名前神社⇒福禅寺対潮楼⇒福山市鞆の浦歴史民俗資料館⇒自宅
午前3時過ぎに家を出発、倉橋町の万葉植物園に到着したのは9時30分であった。途中で仮眠を30分とる。
万葉植物園公園の入口に巻15-3621の歌碑が建てられている。公園には植物を詠み込んだ歌のプラプレート歌碑がいくつか建てられている。小ぢんまりとした公園である。残念なことに雑草がはびこっておりしまりがなかった。
桂浜神社参道石段脇の「桂浜神社説明案板(倉橋町教育委員会)」の巻15-3621の歌が記されている。
桂浜神社の前の松原を抜けると広大な浜辺が広がっている。浜と松原の境目に歌碑が建っている。
先達のブログには、道幅が狭く苦労した旨が書かれていたので、海辺近くに車を停め、歩くことに。
暑い、覚悟はしていたものの上り道もきつい。もうすぐ参道石段というところで、腰の悪い家内はギブアップ。単独挑戦。境内を見わたすが歌碑は見つからず。社殿脇の民家のようなたたずまいの先に歌碑らしきものが見える。手前も向こう側も鉄線柵が張りめぐらされており望遠で撮影。(巻15-3617)
国道185号線(旧国道2号)沿いに建てられている。先達のブログ写真では碑の全景がくっきり映っている。今は、桜の木に埋もれる感じで歌碑が建っており、足下の「万葉歌碑長井之浦」の碑がなければ見落すところであった。
■糸碕神社⇒西神島八幡神社
ホテルは福山市内にとっている。家を出てから約550km、東京までの距離を運転したことになる。さすがに疲れはピークに。しかし、神社鳥居脇の歌碑に巡り合うとエネルギーが復活している。
本日の予定のラストである。ナビで近くまでは行っているが。ファインチューニングができない。福山市HPの「車両進入路」とあるが、見当がつかない。あちこちうろうろ。走っていると「憩いの森入口」という看板が目に入った。急には止れない。しばらく行ってUターン。ようやくたどり着けた。駐車場すぐ上に歌碑はあった。そこからの福山市の街並みに癒されたのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「福山市HP」
★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)
★「生薬ものしり事典」 (YomeishuHP)