―その1527―
●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。
●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P16)にある。
●歌をみていこう。
◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者 或云 枝毛多和ゝゝ
(柿本人麻呂歌集 巻十 二三一五)
≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば 或いは「枝もたわたわ」といふ
(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)とををなり【撓なり】形容動詞:たわみしなっている。(学研)
(注)たわたわ【撓 撓】( 形動ナリ ):たわみしなうさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その871)」で紹介している。
➡ こちら871
「シラカシ」については、熊本大学薬学部 薬草園 「薬草データベース」に「常緑高木.樹高20 mに達する。幹は直立して分枝し、枝は暗紫褐色。樹皮は灰黒色で新枝は平滑。葉はまばらに互生し、有柄で長楕円状披針形か披針形。長さ5~12 cm、漸長鋭尖頭で上半部は鋸歯縁。雌雄同種で気褐色の雄花を多数前年枝の葉腋の尾状花序に付け、雌花は新枝に腋生する。」と書かれている。
―その1528-
●歌は、「我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」である。
※「ほよ」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1512)」で紹介している。
➡
●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P17)にある。
●歌をみていこう。
◆吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 ゝゝ者雖来 君曽不来座
(作者未詳 巻十六 三八七二)
≪書き下し≫我(わ)が門(かど)の榎(え)の実(み)もり食(は)む百千鳥(ももちとり)千鳥(ちとり)は来(く)れど君ぞ来(き)まさぬ
(訳)我が家の門口の榎(えのき)の実を、もぐように食べつくす群鳥(むらどり)、群鳥はいっぱいやって来るけれど、肝心な君はいっこうにおいでにならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)もり食む:もいでついばむ意か。
(注)ももちどり 【百千鳥】名詞①数多くの鳥。いろいろな鳥。②ちどりの別名。▽①を「たくさんの(=百)千鳥(ちどり)」と解していう。③「稲負鳥(いなおほせどり)」「呼子鳥(よぶこどり)」とともに「古今伝授」の「三鳥」の一つ。うぐいすのことという。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌の次に収録されている歌は、門口で千鳥が鳴いているので、人に知られたら大変だ、早く起きて出て行っておくれと言う歌である。こちらもみてみよう。
◆吾門尓 千鳥數鳴 起余ゝゝ 我一夜妻 人尓所知名
(作者未詳 巻十六 三八七三)
≪書き下し≫我が門に千鳥(ちどり)しば鳴く起きよ起きよ我が一夜夫人に知らゆな
(訳)我が家の門口で鳥がいっぱい鳴き立てている。さあ起きて起きて、私の一夜夫さん、人に知られないでね。(同上)
(注)一夜夫:一夜だけ床を共にした行きずりの男
なんとも滑稽な歌である。思わず吹き出したくなるような歌である。三句目の「起きよ起きよ」という、実際の声掛けをそのまま歌いこんでいるところが一層おかしくさせている。
これが万葉集の歌かと思ってしまう。
この二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1045)」で紹介している。
➡
「千鳥」といっても、三八七二歌の「百千鳥(ももちどり)」や「朝猟(あさがり)に五百(いほ)つ鳥(とり)立て夕猟(ゆふがり)に千鳥(ちとり)踏み立て・・・(大伴家持 四〇一一歌)」にあるように、様々な鳥を意味する使われ方がある。
「チドリ」という鳥がいるものと今まで思っていた。写真を掲載しようと「色と大きさで分かる野鳥観察図鑑(成美堂出版)」を検索してみたが目次に出てこない。
改めて検索してみると、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」に「鳥綱チドリ目チドリ科に属する鳥の総称。(中略)日本には、ダイゼン、ムナグロ、コバシチドリ、オオメダイチドリ、メダイチドリ、ハジロコチドリ、コチドリ、オオチドリ、イカルチドリ、シロチドリ、ケリ、タゲリの12種の記録がある。そのうち、繁殖しているのはイカルチドリ、シロチドリ、コチドリ、ケリ、タゲリの5種である。」と書かれていた。
「チドリ」は「千鳥(ちどり)」でり、「五百(いほ)つ鳥(とり)」であり「百千鳥(ももちどり)であったのだ。
―その1529―
●歌は、「あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」である。
●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P18)にある。
●歌をみていこう。
◆安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都ゝ 思努波牟
(橘諸兄 巻二〇 四四四八)
≪書き下し≫あぢさゐの八重(やへ)咲く如く八(や)つ代(よ)にをいませわが背子(せこ)見つつしのはむ
(訳)あじさいが次々と色どりを変えてま新しく咲くように、幾年月ののちまでもお元気でいらっしゃい、あなた、あじさいを見るたびにあなたをお偲びしましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)八重咲くごとく:次々と色どりを変えてま新しく咲くように。あじさいは色が変わるごとに新しい花が咲くような印象を与える。
(注)八つ代:幾久しく。「八重」を受けて「八つ代」といったもの。
四四四六から四四四八歌の歌群の題詞は、「同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人真人之宅三首」<同じ月の十一日に、左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)、右大弁(うだいべん)丹比國人真人(たぢひのくにひとのまひと)が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌三首>である。
左注は、「右一首左大臣寄味狭藍花詠也」<右の一首は、左大臣、味狭藍(あじさゐ)の花に寄せて詠む。>である。
四四四六から四四四八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その467)」で紹介している。
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「あぢさゐ」は、以外にも万葉集では二首のみである。家持の七七三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その850)」で紹介している。
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なぜ「あじさい」と言うのかについては、「由来・語源辞典」に次の様に書かれている。
「あじさいの語源は、『藍色が集まったもの』を意味する『あづさい(集真藍)』が変化したものとされる。
『あづ』は集まる様を意味し、特に小さいものが集まることを意味し、『さい』は『さあい』の約、接続詞の『さ』と『あい(藍)』の約で、青い小花が集まって咲くことから、この名がつけられたされる。
また、『あぢさゐ(味狭藍)』の意で、『あぢ』はほめ言葉、『さゐ』は青い花とする説もある。
漢字で『紫陽花』と当てたのは、『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』で、著書の源順(みなもとのしたごう)が白居易(はくきょい)の詩に出てくる紫陽花をこの花と勘違いしたことによるとされる。漢名の紫陽花は別の花。花の色が変わるので、『七変化』『八仙花』とも呼ばれる。」
「アジサイ」の「花」は、など検索していくと、どんどん歌から遠ざかってしまう。味わい深い花である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「色と大きさで分かる野鳥観察図鑑」 (成美堂出版)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「由来・語源辞典」
★「薬草データブック」 (熊本大学薬学部 薬草園HP)
★「はままつ万葉歌碑・故地マップ」 (制作 浜松市)