万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1533,1534,1535,1536)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P22、P23、P24、P25)―万葉集 巻二 一四一、一四二、巻九 一七三〇、巻四 五三一

―その1533―

●歌は、「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P22)万葉歌碑<プレート>(有間皇子

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P22)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武

        (有間皇子 巻二 一四一)

 

≪書き下し≫岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む

 

(訳)ああ、私は今、岩代の浜松の枝と枝を引き結んでいく、もし万一この願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)岩代:和歌山県日高郡みなべ町岩代。(伊藤脚注)

 

 紹介は次稿(その1534)にまとめます。

 

 

―その1534―

●歌は、「家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P23)万葉歌碑<プレート>(有間皇子

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P23)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆家有者 笱尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉盛

      (有間皇子 巻二 一四二)

 

≪書き下し≫家なれば笱(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅(たび)にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

 

(訳)家にいる時にはいつも立派な器物(うつわもの)に盛ってお供えをする飯(いい)なのに、その飯を、今旅の身である私は椎(しい)の葉に盛って神祭りをする。(同上)

 

 二首ならびに一四三から一四六歌の同情歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その197)」で紹介している。

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 一四一、一四二歌の題詞は、「有間皇子自傷結松枝歌二首」<有間皇子(ありまのみこ)、自(みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首>である。

 一四一歌は、巻二の「挽歌」の先頭歌である。

 

 「自(みづか)ら傷(いた)みて」の重みある言葉を考えてみよう。有間皇子は謀反のかどで捉えられたのであるから、「死」を覚悟している。自らの死が確実であるという意識、即ち自らの死を傷むという言い方である。

 

 ちなみに同「挽歌」は、題詞「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>で閉じている。(二二八から二三四歌は、標題「寧楽の宮」として追補されている。)

伊藤 博氏は、この題詞の脚注で、巻二の「『相聞』は人麻呂の恋の歌で閉じ、『挽歌』は人麻呂の死の歌で閉じる。双方に依羅娘子が登場する。」と書かれている。

 

 梅原猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論(上)」(新潮文庫)の中で、「・・・非業の死をとげた有間皇子の歌の詞書と同じ表現である点に、その死が尋常な死でないことを感じさせる。」として人麿の刑死説を展開されている。

 これについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」で紹介している。

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有間皇子結松記念碑(みなべ町)、西岩代の光照寺歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1193、番外)で紹介している。

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―その1535―

●歌は、「山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ」である。



●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P24)にある。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P24)万葉歌碑<プレート>(藤原宇合

●歌をみていこう。

 

◆山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武

       (藤原宇合 巻九 一七三〇)

 

≪書き下し≫山科(やましな)の石田(いはた)の小野(をの)のははそ原見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ

 

(訳)山科の石田の小野のははその原、あの木立を見ながら、あの方は今頃独り山道を越えておられるのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)石田:京都府山科区の南部

(注)ははそ / 柞:コナラの古名とも、ナラ・クヌギ類の総称ともいう。『万葉集』に「山科(やましな)の石田(いはた)の小野のははそ原見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ」(巻9・藤原宇合(うまかい))と詠まれ、のちにこの「石田(いしだ)のははそ原」は歌枕(うたまくら)となり、また「ははそ葉の」は「母」の枕詞(まくらことば)となった。(コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>)

(注の注)コナラ:北海道北部及び沖縄を除く日本各地に分布するブナ科の落葉広葉樹。自生は山地のやや乾いた場所だが、材を薪炭に使うため民家近くで大量に植栽され、その名残が各地で普通に見られる。コナラはクヌギと並ぶ雑木林の主であり、絵に描いたような形のドングリができる。(庭木図鑑 植木ペディア)

 

「ははそ(コナラ)」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

一七二九から一七三一歌の題詞は、「宇合卿歌三首」<宇合卿(うまかひのまへつきみ)が歌三首>であり、このうちの一首である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その553)」で紹介している。

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(注)万葉の森公園の歌碑(プレート)では「イスノキ」とあるが、古くから鋤などに使われ、材木としての価値の高い有用樹である。静岡県以西に分布。マンサク科の常緑高木である。中国名は蚊母樹(ぶんぼじゅ)、日本の漢字表記は「柞の木」(庭木図鑑 植木ペディアより)

 

 

―その1536―

●歌は、「梓弓爪引く夜音の遠音にも君が御幸を聞かくしよしも」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P25)万葉歌碑<プレート>(海上女王)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P25)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆梓弓 爪引夜音之 遠音尓毛 君之御幸乎 聞之好毛

       (海上女王 巻四 五三一)

 

≪書き下し≫梓弓(あづさゆみ)爪引(つまび)く夜音(よと)の遠音(とほと)にも君が御幸(みゆき)を聞かくしよしも

 

(訳)魔除けに梓弓(あずさゆみ)を爪引(つまび)く夜の弦(つる)打ちの音が遠く聞こえますが、その音のように遠くから聞こえてくる噂にだけでも、我が君の行幸(いでまし)があると耳にすることは嬉(うれ)しいことでございます。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「遠音」を起こす。(伊藤脚注)

(注)つまびく【爪引く・爪弾く】他動詞:弓の弦を指先ではじく。弦楽器を指の爪(つめ)ではじき鳴らす。(学研)

(注)爪引(つまび)く夜音(よと):夜の御座所警護の者が、魔除けに弦をはじいてならす音。(伊藤脚注)

(注)遠音:(ここでは)遠くからの噂。(伊藤脚注)

(注)君が御幸(みゆき)を聞かくしよしも:私の所へ君の行幸があると。私の心を疑わないのならお運びいただけるんですねと、やんわり応じたもの。(伊藤脚注)

 

題詞は、「海上王奉和歌一首 志貴皇子之女也」<海上女王(うなかみのおほきみ)が和(こた)へ奉(まつ)る歌一首 志貴皇子の女なり>

 

 五三〇歌もみてみよう。

題詞は、「天皇海上女王御歌一首  寧樂宮即位天皇也」<天皇(すめらみこと)、海上女王(うなかみのおほきみ)に賜ふ御歌一首  寧樂(なら)の宮(みや)に即位したまふ天皇なり>である。

 

◆赤駒之 越馬柵乃 緘結師 妹情者 疑毛奈思

       (聖武天皇 巻四 五三〇)

 

≪書き下し≫赤駒(あかごま)の越ゆる馬柵(うませ)の標結(しめゆ)ひし妹(いも)が心は疑ひもなし

 

(訳)うっかりすると元気な赤駒が飛び越えて逃げる柵(さく)をしっかりと結い固めるように、私のものだと標(しめ)を結って固めておいたあなたの心には何の疑いもない。(同上)

(注)上二句は序。「標結ふ」を起こす。(伊藤脚注)

(注)ゆふ【結ふ】他動詞:①結ぶ。縛(しば)る。②髪を調え結ぶ。髪を結う。③組み立てる。作り構える。こしらえる。④縫う。つくろう。糸などで結び合わせる。 ⇒参考:「ゆふ」と「むすぶ」の違い 「ゆふ」も「むすぶ」も紐状のものをからみ合わせるという点で同じ意を表すが、本来、「ゆふ」は、ある形に作りなすという面が強く、「むすぶ」は、固定して離れないようにするという面が強いとみられる。(学研)

 

左注は、「右今案 此歌擬古之作也 但以時當便賜斯歌歟」<右は、今案(かむが)ふるに、この歌は古(いにしへ)に擬(なず)らふる作なり。ただし、時の当れるをもちてすなはちこの歌を賜ふか>であある。

(注)古(いにしへ)に擬(なず)らふる作:古歌を模した歌。(伊藤脚注)

(注)時の当れるをもちて:時の事情に相応したので。狩などの行幸の折の歌か。(伊藤脚(注)梓(あずさ)は、ミズメのことである。

(注の注)ミズメ:岩手県以南の本州、四国及び九州(高隅山まで)の山地に分布するカバノキ科の落葉高木。樹皮を傷付けると水のような樹液が出てくるためミズメと名付けられた。(中略)ミズメの枝は弾力性が高く、古来より儀式で巫女が使う「梓弓」の材料となり、別名をアズサ、アズサノキという。かつてはキササゲやアカメガシワをアズサとする説もあったが、現在ではアズサ=ミズメであることが正倉院の宝物によって証明されている。弓に使ったのは、ミズメの材に含まれる独特の香りに魔除け効果も期待してとのこと。(庭木図鑑 植木ペディア)

「あずさ(ミズメ)」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「水底の歌 柿本人麿論(上)」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「庭木図鑑 植木ペディア」