万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1551,1552,1553)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P40、P41、P42)―万葉集 巻三 三三四、巻十六 三八三二、巻十九 四二六八

―その1551―

●歌は、「忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P40)万葉歌碑<プレート>(大伴旅人

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P40)にある。

 

●歌をみていこう。

                           

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

       (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(同上)

 

 「古りにし里」という言い方はほぼ「ふるさと」と同じ意味合いも持つが、「古りにし里」は、期間軸が主体の言い方で、「ふるさと」は空間軸が主体であるように思う。

 「古りにし里」は、なぜか心引かれる言い方である。

 「古りにし里」と詠った歌をみてみよう。

 

 

◆吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後

       (天武天皇 巻二 一〇三)

 

≪書き下し≫我(わ)が里に大雪(おほゆき)降(ふ)れり大原(おほはら)の古(ふ)りにし里に降(ふ)らまくは後(のち)

 

(訳)わがこの里に大雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことでござろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 標題は、「明日香清御原宮御宇天皇代 天渟中原瀛真人天皇天武天皇」<明日香(あすか)の清御原(きよみはら)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)謚(おくりな)して天武天皇(てんむてんのう)といふ>

 

 題詞は、「天皇賜藤原夫人御歌一首」<天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜ふ御歌一首>である。

(注)藤原夫人:藤原鎌足の女(むすめ)、五百重娘(いおえのいらつめ)

 

 明日香の都に降った雪を見て天武天皇が、都からほど近い藤原夫人の住んでいる大原を「古りにし里」であり雪も後から降るのだろうとからかっている歌である。

 空間軸では極めて近隣であるが「古りにし里」と時間軸を持ち込んだ効果的な歌となっている。

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その158改)」で紹介している。

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◆鶉鳴 故郷念友 何如裳妹尓 相縁毛無寸

       (大伴家持 巻四 七七五)

 

≪書き下し≫鶉(うづら)鳴く古(ふ)りにし里ゆ思へども何(なみ)ぞも妹(いも)に逢ふよしもなき

 

(訳)鶉の鳴く古びた里にいた頃からずっと思い続けてきたのに、どうしてあなたにお逢いするきっかけもないのでしょう。(同上)

(注)うずらなく【鶉鳴く】:[枕]ウズラは草深い古びた所で鳴くところから「古(ふ)る」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)古りにし里ゆ:古さびた奈良の里にいた時代からずっと。(伊藤脚注)

(注)にし 分類連語:…てしまった。(学研)

(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

 

 時間軸が効果的になっている。

 この歌ならびに紀女郎が家持に報(こた)へ贈った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その945)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

◆藤原 古郷之 秋芽子者 開而落去寸 君待不得而

       (作者未詳 巻十 二二八九)

 

≪書き下し≫藤原(ふぢはら)の古(ふ)りにし里の秋萩は咲きて散りにき君待ちかねて

 

(訳)藤原の古びた里の秋萩の花は、もう咲ききって散ってしまいました。あなたのお越しを待ちあぐんで。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)藤原の古りにし里:和銅三年(710年)奈良遷都以降、古京となる。(伊藤脚注)

 

もう一首みてみよう。

 

◆人毛無 古郷尓 有人乎 愍久也君之 戀尓令死

      (作者未詳 巻十一 二五六〇)

 

≪書き下し≫人もなき古(ふ)りにし里にある人をめぐくや君が恋(こひ)に死なする

 

(訳)人もいない古びた里に住むお人なのに、気の毒にも、あなたはそのお人を恋死にさせようとなさるのですか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)人もなき古(ふ)りにし里にある人を:人もいない古びた里に住むお人なのに。女自身をいう。(伊藤脚注)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)ここでは①の意

(注の注)めぐくや君が恋に死なする:かわいそうに、あなたは恋死にさせようとするのですか。(伊藤脚注)

 

 プレートにもあるように。「忘れ草」は「ヤブカンゾウ」の事である。

(注)わすれぐさ【忘れ草】名詞:草の名。かんぞう(萱草)の別名。身につけると心の憂さを忘れると考えられていたところから、恋の苦しみを忘れるため、下着の紐(ひも)に付けたり、また、垣根に植えたりした。歌でも恋に関連して詠まれることが多い。(学研)

「忘れ草(ヤブカンゾウ)」 「京都府HP」より引用させていただきました。

 

 前稿でも紹介していたが、忘れ草を詠んだ歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」に記載している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 同じような思いで詠まれた「忘れ貝」「恋忘れ貝」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その1552―

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P41)万葉歌碑<プレート>(忌部黒麻呂

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P41)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

      (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(学研)

 

 この歌ならびに万葉時代のトイレについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1227)で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 「からたち」については、「万葉植物物語」(広島大学附属福山中・高等学校/編著)(中国新聞社)に次のように書かれている。

 「万葉集のこの歌は上品ではありませんが、万葉時代の日常生活を垣間見ることができます。カラタチの実は、黄色く熟してよい香りを放ちますが、食用にはなりません。普通には、生垣として用いられます。木が寒さや病気に強く、実をたくさん付けるので、カンキツ類の台木として広く利用されています。」

「からたち(カラタチ)」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

 

―その1553―

孝謙天皇歌の題詞、「・・・黄葉せる沢蘭一株を抜き取りて内侍佐々貴山君に持たしめ・・・」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P42)万葉歌碑<プレート>(孝謙天皇歌の題詞)

●プレートは、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P42)にある。

 

●題詞並びに歌をみていこう。

 

 題詞は、「天皇太后共幸於大納言藤原家之日黄葉澤蘭一株抜取令持内侍佐ゝ貴山君遣賜大納言藤原卿幷陪従大夫等御歌一首   命婦誦日」<天皇(すめらみこと)、太后(おほきさき)、共に大納言藤原家に幸(いでま)す日に、黄葉(もみち)せる澤蘭(さはあららぎ)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍(ないし)佐々貴山君(ささきのやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原卿(ふぢはらのまえつきみ)と陪従(べいじゅ)の大夫(だいぶ)等(ら)とに遣(つかは)し賜ふ御歌一首   命婦(みやうぶ)誦(よ)みて日(い)はく>である。

(注)天皇孝謙天皇

(注)太后天皇の母、光明皇后

(注)大納言:藤原仲麻呂

(注)大納言藤原家:藤原仲麻呂の家。(伊藤脚注)

(注)内侍:内侍の司(つかさ)の女官。天皇の身辺に仕え、祭祀を司る。

(注)陪従大夫:供奉する廷臣たち

(注)命婦:宮中や後宮の女官の一つ

(注)さはあららぎ【沢蘭】:サワヒヨドリの古名。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利

       (孝謙天皇 巻十九 四二六八)

 

≪書き下し≫この里は継(つ)ぎて霜や置く夏の野に 我が見し草はもみちたりけり

 

(訳)この里は年中ひっきりなしに霜が置くのであろうか。夏の野で私がさっき見た草は、もうこのように色づいている。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 プレートの植物名は、「さはあららぎ」(サワヒヨドリ)と書かれている。

(注)サワヒヨドリ:日本全国及び東アジアに分布し、日当たりの良い湿地に自生する多年草。草丈40 〜 70cm。茎は直立し、上部に毛が生える。葉は対生で、葉柄はない。8〜10月、茎先に白〜淡紅色の花を咲かせる。(「福岡で観察できる薬草」福岡市薬剤師会HP)

「さはあららぎ(サワヒヨドリ)」 「福岡市薬剤師会HP」より引用させていただきました。

                 

 

 

 光明皇后藤原不比等の娘であるから、孝謙天皇は孫にあたる。藤原仲麻呂不比等の孫であるので、ここに藤原一族の確固たる政治基盤が出来上がったのを象徴するかのような歌である。

 この題詞ならびに歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1129)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉植物物語」 広島大学附属福山中・高等学校/編著 (中国新聞社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「「庭木図鑑 植木ペディア」

★「福岡市薬剤師会HP」