万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1575,1576,1577)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P64、P65、P66)―万葉集 巻十六 三八五五、巻二十 四三五二、巻七 一一三三

―その1575―

●歌は、「ざう莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P64)万葉歌碑<プレート>(高宮王)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P64)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「高宮王詠數首物歌二首」<高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首>である。

 

◆           ▼莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為

         (高宮王 巻十六 三八五五)

   ▼は「草かんむりに『皂』である。「▼+莢」で「ざうけふ」と読む。

 

≪書き下し≫ざう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやつか)へせむ

 

(訳)さいかちの木にいたずらに延いまつわるへくそかずら、そのかずらさながらの、こんなつまらぬ身ながらも、絶えることなくいついつまでも宮仕えしたいもの。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)おほとる 自動詞:乱れ広がる。(学研)

(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起こす。自らを「へくそかずら」に喩えている。

(注)ざう莢(けふ)>さいかち【皂莢】:マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸(せっけん)の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌ならびに三八五六歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1100)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は、「かはらふぢ(サイカチ)」と書かれている。カワラフジはサイカチの別名である。

「サイカチ」の刺 「weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。

 

 三八五五歌に「ざう莢」と「屎葛(くそかづら)」が詠まれているが、これまでも幾度となく紹介してきたが、サイカチの刺の写真を見て、棘といい、「屎葛(くそかづら)」の臭いといい、どちらかといえば敬遠されるという共通点があることがわかった。辞書の説明では「とげがある」となっているが、その時はさほど関心を払わなかった。しかし、棘がこんなに幅を利かしているとは。百聞は一見にしかずである。

 万葉びとの植物観察力のすごさに何度も驚かされてきたが、辞書の文言をさらっと読み飛ばしていた自分が恥ずかしくなった。万葉集に謝ります。

 

 

 

―その1576―

●歌は、「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P65)万葉歌碑<プレート>(丈部鳥)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P65)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟

      (丈部鳥 巻二十 四三五二)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)のからまる君をはかれか行かむ

 

(訳)道端の茨(いばら)の枝先まで延(は)う豆蔓(まめつる)のように、からまりつく君、そんな君を残して別れて行かねばならないのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)うまら【茨・荊】名詞:「いばら」に同じ。※上代の東国方言。「うばら」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。(学研)

(注)「延(は)ほ」:「延(は)ふ」の東国形。(伊藤脚注)

(注)君をはかれ行かむ。:「君」は作者が仕えたお屋敷の若様か。(伊藤脚注)

左注は、「右一首天羽郡上丁丈部鳥」<右の一首は天羽(あまは)の郡(こほり)上丁(じやうちゃう)丈部鳥(はせつかべのとり)

(注)天羽郡:千葉県富津市南部一帯(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1098)」で紹介している。

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 まとわりついて離れようとしない妻と別れる歌という解釈が多いが、「君」という言葉に注目して考えてみよう。

weblio辞書 デジタル大辞泉」によると、「二人称の人代名詞」で、「①多く男が同等または目下の相手に対していう語。」、②「上代では多く女が男に対して、中古以後はその区別なく、敬愛の意をこめて相手をいう語。あなた。」と書かれている。

 万葉集にあっては、男から女に対しては、「妹」「子」が一般的であり、同様に女から男へは、「君」「背」が多い。

 防人の歌では、妻は、気丈にふるまうか、影でそっと涙する歌が多い。

 これらを考えあわせると、伊藤氏が脚注で書かれているように「『君』は作者が仕えたお屋敷の若様か。」が歌の雰囲気からしてもふさわしいと思う。

 

 歌碑(プレート)の植物名は、「うまら(ノイバラ)」と書かれている。

 「庭木図鑑 植木ペディア」には、「沖縄を除く日本全国の野原や空き地に見られる野生のバラで、『ノバラ』として親しまれるものの代表種。日本のほか朝鮮半島及び中国にも分布する。ちなみに『イバラ』は棘のある植物全般を示す総称であり、本種に限らない。」と書かれている。

 

「うまら(ノイバラ)」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

 

―その1577―

●歌は、「すめろきの神の宮人ところづらいやとこしくに我れかへり見む」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P66)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P66)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆皇祖神之 神宮人 冬薯蕷葛 弥常敷尓 吾反将見

       (作者未詳 巻七 一一三三)

 

≪書き下し≫すめろきの神の宮人(みやひと)ところづらいやとこしくに我(わ)れかへり見む

 

(訳)代々の大君に仕えてきた大宮人たち、その大宮人たちと同じように、われらもいついつまでもやってきて、この吉野を見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ところずら〔‐づら〕【野老葛】[枕]① 同音の繰り返しで「常(とこ)しく」にかかる。② 芋を掘るとき、つるをたどるところから、「尋(と)め行く」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)とこし【常し】形容詞:いつまでも変わらない。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1088)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は、「ところづた(トコロ)」と書かれている。その横には「トコロ(野老)」の説明を書いたプレートが建てられている。

 「weblio辞書 デジタル大辞泉」には、「ところ【野老】:ヤマノイモ科の蔓性(つるせい)の多年草。原野に自生。葉は心臓形で先がとがり、互生する。雌雄異株。夏、淡緑色の小花を穂状につける。根茎にひげ根が多く、これを老人のひげにたとえて野老(やろう)とよび、正月の飾りに用い長寿を祝う。根茎をあく抜きして食用にすることもある。おにどころ。」と書かれている。

 

「トコロ」 「weblio辞書 デジタル大辞泉」より引用させていただきました。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 植物図鑑」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「庭木図鑑 植木ペディア」