●歌は、「石走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ」である。
●歌をみていこう。
◆伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由
(大石蓑麻呂 巻十五 三六一七)
≪書き下し≫石走(いはばし)る滝(たき)もとどろに鳴く蝉(せみ)の声をし聞けば都し思ほゆ
(訳)岩に激する滝の轟(とどろ)くばかりに鳴きしきる蝉、その蝉の声を聞くと、都が思い出されてならぬ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1618)」で紹介している。
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先達のブログには、白華寺へのアプローチ道路は、道幅が狭く非常に苦労した旨が書かれていたので、海辺近くに車を停め、歩くことに。
暑い、覚悟はしていたものの上り道もきつい。耕運機に乗っていた老夫婦、畑作業中のご婦人に道を教えてもらう。進むにつれ、さらに上りがきつくなる。
もうすぐ参道石段という手前のところで、腰の悪い家内はギブアップ。やむなく単独挑戦。
参道石段を踏みしめ上って行く。到着。境内を見わたすが歌碑は見つからない。社殿脇の民家のようなたたずまいの先に歌碑らしきものが見える。しかし手前も向こう側も鉄線柵が張りめぐらされており、さらに周辺をうろつくが、歌碑のそばへはいけそうもない。
望遠で撮影。
撮影を終え急いで下山。
道中の汚水マンホールの蓋は、長門島で建造されたという遣唐使の船がデザインされていた。
白華寺:(はっかじ):宗派 真言宗御室派。所在 広島県安芸郡倉橋町。本尊 十一面観世音菩薩 寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。(weblio辞書 寺院名辞典)
これまで巡った「遣新羅人等」の歌碑と歌の紹介の第三弾である。
■巻十五 三五九九■
◆月余美能 比可里乎伎欲美 神嶋乃 伊素末乃宇良由 船出須和礼波
(作者未詳 巻十五 三五九九)
≪書き下し≫月読(つくよみ)の光を清み神島(かみしま)の礒(いそ)みの浦ゆ船出(ふなで)す我(わ)れは
(訳)お月さまの光が清らかなので、それを頼りに、神島の岩の多い入江から船出をするのだ、われらは。(同上)
(注)つくよみ【月夜見・月読み】名詞:月。「つきよみ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)神島:備後(きびのみちのしり)広島県東部 ※巻十三 三三三九歌の題詞に「備後の国の神島の浜にして」とある。
20201028撮影 笠岡市神島 天神社
■巻十五 三五八七歌■
◆多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟
(遣新羅使人等 巻十五 三五八七)
≪書き下し≫栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ
(訳)栲衾(たくぶすま)の白というではないが、その新羅へはるばるおいでになるあなた、あなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み慎んでずっとお待ちしています。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)たくぶすま【栲衾】名詞:栲(こうぞ)の繊維で作った夜具。色は白い。
(注)たくぶすま【栲衾】分類枕詞:たくぶすまの色が白いところから、「しろ」「しら」の音を含む地名にかかる。(学研)
以上が、今回巡った呉市倉橋町の歌碑以外の「遣新羅使」関連の歌碑でした。
■■■香川県万葉歌碑巡り■■■
7月14日、15日に、柿本人麻呂の沙美島関連の歌碑を主軸に香川県の万葉歌碑巡りを行なった。
行程は次の通りである。
■■7月14日■■
自宅⇒三豊市山本町辻 毘沙門堂⇒同 菅生神社⇒三豊市高瀬町 高瀬中学校⇒三豊市詫間町詫間 西野近隣公園⇒丸亀市中津町 万象園⇒宇田津町網の浦 網の浦万葉公園⇒坂出市沙弥島 香川県立東山魁夷せとうち美術館⇒同 ナカンダ浜人麻呂歌碑⇒同 万葉樹木園(ナカンダ浜)⇒同 オソゴエ浜 柿本人麿碑⇒ホテル泊
■■7月15日■■
ホテル⇒坂出市高屋町 塩竈神社⇒同 白峰展望台⇒高松市香南町 冠纓神社⇒高松市朝日町 西日本高速道路㈱四国支社⇒高松市東山崎町 石清水八幡宮⇒高松市庵治町 鎌野海岸⇒自宅
この稿では7月14日の旅程の概要を、7月15日のそれは次稿で書かせていただきます。いずれも歌の解説は後日とさせていただきます。
最近、万葉歌碑巡りというと雨がつきものである。大気の状態が不安定でところによっては大雨、という状況下ではあるが、四国は多少ましなようである。
朝4時半ごろ出発。明石海峡大橋を渡り、淡路島を通過、鳴門海峡大橋から高松自動車道へ。途中、仮眠や休憩を挟み10時に到着。あいにくの雨である。
毘沙門堂は小高い丘の上にあり、その横に歌碑が建てられていた。凛とした雰囲気に包まれていた。
菅生神社(すがおじんじゃ)に到着するとありがたいことに雨が上がったのである。
同神社鳥居横の斜め奥には、発掘された「山辺古墳」の横穴式石室を移設復元されたものが展示されている。
その手前左横に、神社の倉庫的な建物がある。周囲には石塀(石垣)がめぐらされておりその入口に、門柱(石柱)が二本建てられている。向かって左側の「人倫」と刻された文字の下部に「巻十一 二五一七歌」が、右側の「惟神」の下部は「巻十七 四〇三一歌が」それぞれ刻されている。
事務室に行き、歌碑を写したい旨申しでる。事務の方が案内してくださる。植栽に囲まれて歌碑が建てられている。
撮影が終わってから事務室にお礼を申し上げ中学校をあとにする。
近隣公園の西側出入口近くに比較的大きな石碑が建てられている。向かって左側手前には「託馬野の歌について」と題した副碑も建てられている。
次の目的地は、「中津万象園・丸亀美術館」である。柿本人麻呂の歌碑は中津万象園にある。万象園の入園料は700円である。人麻呂が「中乃水門」から沙美島に渡ったという「萬葉 中乃水門跡」の碑の脇に歌碑が建てられている。
庭園や美術館は割愛し次の目的地を目指す。
■丸亀市中津町 万象園⇒宇田津町網の浦 網の浦万葉公園
前は、宇多津町臨海公園にあったのだが、平成22年9月に開設された「網の浦万葉公園」に移設されたのである。
健康遊具が整った芝生公園の一角に歌碑が建てられている。存在感のある大きな歌碑である。
■宇田津町網の浦 網の浦万葉公園⇒坂出市沙弥島 香川県立東山魁夷せとうち美術館
瀬戸大橋記念公園の美術館に近い駐車場に車を停める。
美術館を通り過ぎ沙弥島ナカンダ浜に向かう入江の小さな漁港の手前に植物に因んだ歌碑(プレート)が幾つか建てられている。一つだけ東山魁夷の書になる歌碑(巻一 十三歌)が建てられている。
■坂出市沙弥島 香川県立東山魁夷せとうち美術館⇒同 ナカンダ浜人麻呂歌碑
「周辺案内図」をたよりに沙弥ナカンダ浜を目指す。廃校になった沙弥小中学校を左折、浜を右手の、さらに瀬戸大橋を眺めながら「人麻呂歌碑」を目指す。
■坂出市沙弥島 ナカンダ浜人麻呂歌碑⇒同 万葉樹木園(ナカンダ浜)
大きな人麻呂歌碑が歓迎してくれる。そのすぐ横に浜辺にそって万葉樹木園の歌碑(プレートブロック)が並べられている。
以前は、「沙弥島こども樹木園」にあったようであるが、万葉樹木園として集められたような感じである。
歌は植物に因んでいるのでこれまでにも紹介してきたものと重複するが、歌碑(プレート)は、歌碑としてここに建てられているので一基一基カメラに収めた。
■坂出市沙弥島 万葉樹木園(ナカンダ浜)⇒同 オソゴエ浜 柿本人麿碑
万葉樹木園の先に展望台があり、そこを抜けるとオソゴエ浜に出る。湾曲した浜の先近くに「柿本人麿碑」が建てられている。
沙弥島に来たが誰一人出逢わなかった。沙弥島独占である。
万葉の世界も独占した気分であった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「weblio辞書 寺院名辞典」