万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1667~1669)―福井県越前市 万葉ロマンの道(30~33)―万葉集 巻十五 三七五二~三七五四

―その1667―

●歌は、「春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつうつしけめやも」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(30)万葉歌碑<道標燈籠>(狭野弟上娘子)

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(30)にある。

 

●歌をみていこう。

                           

◆波流乃日能 宇良我奈之伎尓 於久礼為弖 君尓古非都々 宇都之家米也母

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七五二)

 

≪書き下し≫春の日のうら悲(がな)しきに後(おく)れ居(ゐ)て君に恋ひつつうつしけめやも

 

(訳)春の日の物悲しい時に、一人あとに取り残され、あなたに恋い焦がれてばかりいて、どうして正気でいられましょうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うらがなし【うら悲し】形容詞:何とはなしに悲しい。もの悲しい。 ※「うら」心の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)

(注)うつし【現し・顕し】形容詞:①実際に存在する。事実としてある。生きている。②正気だ。意識が確かだ。 ◇「うつしけ」は上代の未然形。(学研)ここでは②の意

(注)けむ 助動詞《接続》活用語の連用形に付く。:①〔過去の推量〕…ただろう。…だっただろう。②〔過去の原因の推量〕…たというわけなのだろう。(…というので)…たのだろう。 ▽上に疑問を表す語を伴う。③〔過去の伝聞〕…たとかいう。…たそうだ。 ⇒語法(1)名詞の上は過去の伝聞③の過去の伝聞の用法は、名詞の上にあることが多い。例「『関吹き越ゆる』と言ひけむ浦波」(『源氏物語』)〈「関吹き越ゆる」と歌に詠んだとかいう浦波が。〉(2)未然形の「けま」(上代の用法) ⇒参考 中世以降の散文では「けん」と表記する。(学研)ここでは①の意

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1380)」で紹介している。

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―その1668―

●歌は、「逢はむ日の形見にせよとたわや女の思ひ乱れて縫へる衣ぞ」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(31)万葉歌碑<道標燈籠>(狭野弟上娘子)

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(31)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安波牟日能 可多美尓世与等 多和也女能 於毛比美太礼弖 奴敝流許呂母曽

     (狭野弟上娘子 巻十五 三七五三)

 

≪書き下し≫逢はむ日の形見(かたみ)にせよとたわや女(め)の思ひ乱れて縫へる衣(ころも)ぞ          

 

(訳)再び逢える日までの形見にしてほしいものと、か弱い女の身のこの私が千々に思い乱れて縫った着物なのです、これは。(同上)

(注)たわやめ【手弱女】名詞:しなやかで優しい女性。「たをやめ」とも。 ※「たわや」は、たわみしなうさまの意の「撓(たわ)」に接尾語「や」が付いたもの。「手弱」は当て字。[反対語] 益荒男(ますらを)。(学研)

 

 三七五三歌は、三七五一歌(白栲の我が下衣失はず持てれ我が背子直に逢うまでに)の「下衣」「逢う」を承けつつ、宅守の三七三三歌(我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし)に応じている。(伊藤脚注)

 

 この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1356④)」で紹介している。

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 万葉集目録から狭野弟上娘子の構成部を抜き出してみる。起承転結がはっきりしている。

(起)別に臨みて、娘子、悲嘆しびて作る歌四首

(承)娘子、京に留まりて悲傷しびて作る歌九首

(転)娘子が作る歌八首

(結)娘子が和へ贈る歌二首

 

 悲嘆のうちに宅守を思う気持ちがクライマックスにたっする三七四五から三七五三歌は何度読んでもその激情に胸打たれる。

 特に、三七五〇から三七五三歌の「君に恋ふらむ人はさねあらじ(三七五〇歌)」、「直に逢ふまでに(三七五一歌)」、「君に恋ひつつうつしけめやも(三七五二歌)」、「思ひ乱れて縫へれ衣ぞ(三七三五歌)」の各句は宅守の胸に鋭く深く突き刺さったであろう。

 

 

 

―その1669―

●歌は、「過所なしに関飛び越ゆるほととぎす多我子尓毛やまず通はむ」である。

 

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(32)にある。

福井県越前市 万葉ロマンの道(32)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌をみていこう。

 

◆過所奈之尓 世伎等婢古由流 保等登藝須 多我子尓毛 夜麻受可欲波牟

       (中臣宅守 巻十五 三七五四)

 

≪書き下し≫過所(くわそ)なしに関(せき)飛び越ゆるほととぎす多我子尓毛やまず通(かよ)はむ

 

(訳)手形なしに気儘(きまま)に関を飛び越えられる時鳥(ほととぎす)よ、お前は、この地ばかりでなく、都のあの子の所にも通っておくれ。私もお前のようにここと都とを、絶えず往き来したいのだ。(同上)

(注)くゎそ【過所・過書】名詞:朝廷・幕府などが発行した関所の通行許可証。「くゎしょ」とも。(学研)

(注)多我子尓毛:訓義未詳。仮に「多」を「京」の誤写と見て「ミヤコガニモ」と訓む。(伊藤脚注)

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」