―その1688―
●歌は、「君が共行かましものを同じこと後れて居れどよきこともなし」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(51)にある。
●歌をみていこう。
◆君我牟多 由可麻之毛能乎 於奈自許等 於久礼弖乎礼杼 与伎許等毛奈之
(狭野弟上娘子 巻十五 三七七三)
≪書き下し≫君が共(むた)行かましものを同(おな)じこと後(おく)れて居(を)れどよきこともなし
(訳)こんなことなら、あなたと連れ立って行くのだったのに。旅はつらいとおっしゃいますが、同じことです。あとに残っていても、何のよいこともありません。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)まし 助動詞特殊型 《接続》活用語の未然形に付く。:①〔反実仮想〕(もし)…であったら、…であるだろうに。…であっただろう。…であるだろう。▽実際には起こり得ないことや、起こらなかったことを想像し、それに基づいて想像した事態を述べる。②〔悔恨や希望〕…であればよいのに。…であったならばよかったのに。▽実際とは異なる事態を述べたうえで、そのようにならなかったことの悔恨や、そうあればよいという希望の意を表す。③〔ためらい・不安の念〕…すればよいだろう(か)。…したものだろう(か)。…しようかしら。▽多く、「や」「いかに」などの疑問の語を伴う。④〔単なる推量・意志〕…だろう。…う(よう)。 ⇒語法:(1)未然形と已然形の「ましか」已然形の「ましか」の例「我にこそ開かせ給(たま)はましか」(『宇津保物語』)〈私に聞かせてくださればよいのに。〉(2)反実仮想の意味①の「反実仮想」とは、現在の事実に反する事柄を仮定し想像することで、「事実はそうでないのだが、もし…したならば、…だろうに。(だが、事実は…である)」という意味を表す。(3)反実仮想の表現形式反実仮想を表す形式で、条件の部分、あるいは結論の部分が省略される場合がある。前者が省略されていたなら、上に「できるなら」を、後者が省略されていたなら、「よいのになあ」を補って訳す。「この木なからましかばと覚えしか」(『徒然草』)〈この木がもしなかったら、よいのになあと思われたことであった。〉(4)中世以降の用法 中世になると①②③の用法は衰え、推量の助動詞「む」と同じ用法④となってゆく。(学研)ここでは②の意
(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)
(注)同じこと:旅は辛いとおっしゃるが同じことです。宅守の三七六三歌<旅と言へば言(こと)にぞやすきすべもなく苦しき旅も言(こと)にまさめやも>に応じる。(伊藤脚注)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1404)」で紹介している。
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―その1689―
●歌は、「我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(52)にある。
●歌をみていこう。
◆和我世故我 可反里吉麻佐武 等伎能多米 伊能知能己佐牟 和須礼多麻布奈
(狭野弟上娘子 巻十五 三七七四)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が帰り来まさむ時のため命(いのち)残さむ忘れたまふな
(訳)あなたが帰っていらっしゃる、その時のために、待ち焦がれて死んでしまいそうな命、この命を残しておこうと思います。どうかお忘れくださいますな。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1381)」で紹介している。
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―その1690―
●歌は、「あらたまの年の緒長く逢はざれど異しき心を我が思はなくに」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(53)にある。
●歌をみていこう。
◆安良多麻能 等之能乎奈我久 安波射礼杼 家之伎己許呂乎 安我毛波奈久尓
(中臣宅守 巻十五 三七七五)
≪書き下し≫あらたまの年の緒(を)長く逢(あ)はざれど異(け)しき心を我(あ)が思(も)はなくに
(訳)長いあいだ逢わないでいるけれど、あだし心、そんな心を私は持ちはしないよ。(同上)
(注)としのを【年の緒】分類連語:年が長く続くのを緒(=ひも)にたとえていう語。(学研)
(注)けし【異し・怪し】形容詞:①あってはならない。異様だ。好ましくない。②不審だ。変だ。 ⇒参考:悪い方に際立っているようすを表す。中古以降は「けしからず」「けしうはあらず」の形で、「まあまあだ」「わるくはない」の意味に用いられることがほとんどである。(学研)
「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」にある、中間点・毫攝寺に到着。
車を毫攝寺(ごうしょうじ)前の駐車場に停め、万葉館で頂いた「同散策マップ」を見て、前回の経験を踏まえ作戦を立てる。
まず、ここから歩いて51~54の歌碑(道標燈籠)を巡って行く。そして車で城福寺近辺に移動、空き地に車を停め、55~57の歌碑(道標燈籠)を撮影する。それから終点の小丸城跡に移動し、63から59までの歌碑(道標燈籠)を逆に巡り撮影していく作戦である。
散策マップに「中間点」とあるが、相聞歌ストーリーも大詰め、歌も残り十三首である。
娘子の三七七四歌、宅守の三七七五歌はやはり気になる。
六十三首の中で「命」が詠われているのは、宅守の「我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし(三七三三歌)」、「命をし全くしあらばあり衣のありて後にも逢はざらめやも(三七四一歌)「我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし(三七四四歌)」であり、娘子の「命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはだな思ひそ命だに経ば(三七四五歌)」そして「我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな(三七七四歌)」である。
娘子の三七四五歌は、宅守の三七三三、三七四一、三七四四歌に和えた普遍的な「命」で、どちらかといえば宅守の「命」である。しかし、三七七四歌の「命」は、娘子の「命」であり、これまでの宅守歌の「命」に和えたとは思えないのである。
しかも「残さむ」と強く自分に言い聞かせているのは己の「命」にたいするある種の不安感を感じているからではないかと思われる。
娘子の独白的な歌であり、宅守の独白歌「花鳥歌七首」への強烈な伏線になっているように思えるのである。
また宅守の三七七五歌はこの期に及んで「異(け)しき心を我(あ)が思(も)はなくに」と詠う必要があるのかと思う。歌のやり取りだけでしか状況は分からないのであるが、これまでのハイスペックな相聞歌のやり取りと異なり、極一般的な変わらぬ気持ちをこの表現で伝えるのは、娘子サイドのただならぬ状況があってではないかと思う。
「命残さむ」という強い強いメッセージ・・・。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」