万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1694~1696)―福井県越前市 万葉ロマンの道(57~59)―万葉集 巻十五 三七七九~三七八一

―その1694―

●歌は、「我がやどの花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(57)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(57)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和我夜度乃 波奈多知婆奈波 伊多都良尓 知利可須具良牟 見流比等奈思尓

       (中臣宅守 巻十五 三七七九)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどの花橘(はなたちばな)はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに

 

(訳)我が家の庭の花橘は、今頃空しく散り過ぎているのであろうか。見る人とてなく。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:①つまらない。むなしい。②無駄だ。無意味だ。③手持ちぶさただ。ひまだ。④何もない。空だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

 

 「いたづらに散りか見る人なしに」のフレーズで頭に浮かぶのは、笠金村の志貴親王を偲ぶ歌である。

 

◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓

       (笠金村 巻二 二三一)

 

≪書き下し≫高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

 

(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなくは咲いて散っていることであろうか。見る人もいなくて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:無駄だ。無意味だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)見る人:暗に志貴皇子をさす

 

 この歌は、題詞「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」の短歌二首のうちの一首である。

 この二三一歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その19改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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 三七七九歌の「見る人」というのは、暗に娘子のことをさしているのではなかろうか。そうであって欲しくない気持ちは強いが、宅守の独詠七首の「花鳥歌」はそれを許してくれない。

 巻十五の「遣新羅使」の実録的物語も、「宅守・娘子」のそれもそれぞれお役目を終えて帰京してもハッピーエンドではない共通性があるように思える。

 

有間皇子大津皇子柿本人麻呂大伴家持をはじめとする大伴一族など歴史に翻弄された悲劇が脈々と流れている万葉集自体がそういった雰囲気に包まれているのは否めない。   それも万葉集の魅力の一つでもあろう。

 

 

 

―その1695―

●歌は、「恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思う時に来鳴き響むる」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(58)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(58)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古非之奈婆 古非毛之祢等也 保等登藝須 毛能毛布等伎尓 伎奈吉等余牟流

       (中臣宅守 巻十五 三七八〇)

 

≪書き下し≫恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思(ものも)ふ時に来鳴(きな)き響(とよ)むる

 

(訳)恋い死にしたいなら、そのまま死んでしまえとでもいうのか、時鳥よ、お前は私が物思いに沈んでいるこんな時に、しきりにやって来てやたらと鳴き立てるとは。(同上)

 

 

 

―その1696―

●歌は、「旅にして物思う時にほととぎすもとなな鳴きそ我が恋まさる」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(59)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(59)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多婢尓之弖 毛能毛布等吉尓 保等登藝須 毛等奈那難吉曽 安我古非麻左流

       (中臣宅守 巻十五 三七八一)

 

≪書き下し≫旅にして物思(ものも)ふ時にほととぎすもとなな鳴きそ我(あ)が恋まさる

 

(訳)旅先にあって物思いに沈んでいるこんな時に、時鳥よ、そんなにむやみやたらに鳴かないでおくれ。私の都恋しさがつのるばかりだ。(同上)

(注)次歌と共に、前歌の「物思ふ時」が具体化されている。(伊藤脚注)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

 

 この歌の「恋」は、まさに、万葉の「孤悲」、眼前にいない娘子、しかも都に戻ったとしても逢うことのできない娘子への思い、悲しみそしてあがきの心境をさしているのではなかろうか。

 

 宅守の独詠歌「三七七九から三七八五歌」の三七七九歌は「橘」、そして三七八〇から三七八五歌は「ほととぎす」に寄せて詠っている。

 

 「見る人なしに」といったニュアンスと比べやや直接的ではあるが、大伴旅人の四四六歌もみてみよう。

 

◆吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉

       (大伴旅人 巻三 四四六)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が見し鞆(とも)の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき

 

(訳)いとしいあの子が行きに目にした鞆の浦のむろの木は、今もそのまま変わらずにあるが、これを見た人はもはやここにはいない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)鞆の浦広島県福山市鞆町の海岸。

 

(注)むろのき【室の木・杜松】分類連語:木の名。杜松(ねず)の古い呼び名。海岸に多く生える。(学研)

 

 四四六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その895)」で紹介している。

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 旅人の妻が亡くなった時に、勅使として石川堅魚が遣わされているが、旅人を「ほととぎす」に寄せ、それに対し、旅人は「橘」そして亡妻への思慕をこめ自分を「ほととぎす」に寄せ和えている。これをみてみよう。

 

◆霍公鳥 来鳴令響 宇乃花能 共也来之登 問麻思物乎

      (石上堅魚 巻八 一四七二)

 

≪書き下し≫ほととぎす来鳴き響(とよ)もす卯(う)の花の伴(とも)にや来(こ)しと問はましものを

 

(訳)時鳥が来てしきりに鳴き立てている。お前は卯の花の連れ合いとしてやって来たのかと、尋ねたいものだが。

(注)卯の花の伴にや来しと:うつぎの花の連れ合いとして来たのかと。時鳥を、妻を亡くした大伴旅人に見立てている。

 

 

◆橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多毛

       (大伴旅人 巻八 一四七三)

 

≪書き下し≫橘の花散(ぢ)る里のほととぎす片恋(かたこひ)しつつ鳴く日しぞ多き

 

(訳)橘の花がしきりに散る里の時鳥、この時鳥は、散った花に独り恋い焦がれながら、鳴く日が多いことです。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)片恋しつつ:亡妻への思慕をこめる

 

一四七二、一四七三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その896)」で紹介している。

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 故人を偲ぶ心を託するものとして「ほととぎす」が捉えられているのである。

 

 神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、「娘子の死をもってまとめられた物語として読むことになります。余儀ない別離と、その嘆きのなかに時を経て、娘子の死をもって閉じる―、その展開を、歌だけで構成して見せるのです。現実に生きた宅守の実話としてあらしめられるそれは、『実録』というのがふさわしものです。」と書かれている。

 

 「橘」「ほととぎす」といったキーワードはこれらの歌を背景に抱えているように思える。ああ、狭野弟上娘子よ・・・・

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」