万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1697~1700)―福井県越前市 万葉ロマンの道(60~63)―万葉集 巻十五 三七八二~三七八五

―その1697―

●歌は、「雨隠り物思ふ時にほととぎす我が住む里に来鳴き響もす」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(60)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(60)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 

◆安麻其毛理 毛能母布等伎尓 保等登藝須 和我須武佐刀尓 伎奈伎等余母須

       (中臣宅守 巻十五 三七八二)

 

≪書き下し≫雨隠(あまごも)り物思(ものも)ふ時にほととぎす我(わ)が住む里に来(き)鳴き響もす

 

(訳)雨に閉じ込められて物思いに沈んでいる折も折、時鳥が、私の住むこの里にやって来てしきりに鳴き立てている。(同上)

(注)あまごもり【雨隠り】名詞:長雨のために家にこもっていること。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ものもふ【物思ふ】自動詞:「ものおもふ」の変化した語。(学研)

(注の注)ものおもふ【物思ふ】自動詞:物思いにふける。思い悩む。(学研)

 

 

 

―その1698-

●歌は、「旅にして妹に恋ふればほととぎす我が住む里にこよ鳴き渡る」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(61)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(61)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多婢尓之弖 伊毛尓古布礼婆 保登等伎須 和我須武佐刀尓 許欲奈伎和多流

       (中臣宅守 巻十五 三七八三)

 

≪書き下し≫旅にして妹(いも)に恋ふればほととぎす我が住む里にこよ鳴き渡る

 

(訳)旅先にあってあの人に恋い焦がれていると、時鳥が、私が住むこの里を尻目(しりめ)に、目の前を鳴き渡ってゆく。(同上)

 

 

―その1699―

●歌は、「心なき鳥にぞありけるほととぎす物思ふ時に鳴くべきものか」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(62)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(62)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆許己呂奈伎 登里尓曽安利家流 保登等藝須 毛能毛布等伎尓 奈久倍吉毛能可

       (中臣宅守 巻十五 三七八四)

 

≪書き下し≫心なき鳥にぞありけるほととぎす物思(ものも)ふ時に鳴くべきものか

 

(訳)心なき鳥、そう、思いやりのない鳥ではあるよ。時鳥よ、お前は、物思いに沈んでいるこんな時に、鳴いたりしてよいものか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ものか 分類連語:①…ものか。…ていいものか。▽非難の意をこめて問い返す意を表す。②(なんとまあ)…ことよ。(驚いたことに)…ではないか。▽意外な事態に驚いたときの強い感動を表す。 ⇒参考:活用語の連体形に接続する。 ⇒なりたち:形式名詞「もの」+係助詞「か」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1406)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1700―

●歌は、「ほととぎす間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし」

福井県越前市 万葉ロマンの道(63)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(63)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈氣婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之

       (中臣宅守 巻十五 三七八五)

 

≪書き下し≫ほととぎす間(あひだ)しまし置け汝(な)が鳴けば我(あ)が思(も)ふ心いたもすべなし

 

(訳)時鳥よ、せめてもう少しあいだを置いてくれ。お前が鳴くとそのたびに、思いに沈むこの私の心が、どうしてよいのやら、何とも処置なしになってしまうのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しまし【暫し】副詞:「しばし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いたも【甚も】副詞:甚だ。全く。(学研)

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1407)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 宅守独詠歌三七八〇から三七八五歌をならべてみよう。

■恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思う時に来鳴き響むる(三七八〇歌)

■旅にして物思う時にほととぎすもとなな鳴きそ我が恋まさる(三七八一歌)

■雨隠り物思ふ時にほととぎす我が住む里に来鳴き響もす(三七八二歌)

■旅にして妹に恋ふればほととぎす我が住む里にこよ鳴き渡る(三七八三歌)

■心なき鳥にぞありけるほととぎす物思ふ時に鳴くべきものか(三七八四歌)

ほととぎす間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし(三七八五歌)

 

 「物思う時に」とあり、「来鳴き響むる(八〇)」、「なな鳴きそ(八一)」、「来鳴き響もす(八二)」、「鳴くべきものか(八四)」と、「静と動」を対比させ、ほととぎすにクレームを付けている。同様に「妹に恋ふれば」「こよ鳴き渡る(八三)」、「間しまし置け」「我が思ふ心いたもすべなし(八五)」とより具体的にクレームのいきさつにも触れている。

 「ほととぎす」は中国の故事によれば「懐古の悲鳥」と見られ「死・魂・悲しみ」のイメージをひきずっているとされている。(同志社女子大学HP「『ほととぎす』をめぐって」(吉海 直人教授稿)

 「物思う」「妹に恋ふ」「我が思ふ心」とほととぎすの泣き叫ぶトーンと真逆の深くしずんだ自分の心を際立たせている。宅守にとっては、ほととぎすは「悲鳥」でしかなかったのであろう。

 ああ、娘子よ・・・。

                           

 万葉ロマンの道の歌碑(道標燈籠)紹介も今回で終了である。

 車を小丸城跡に移動、空き地に停める。城跡前にある、三七八四、三七八五歌の歌碑(道標燈籠)は前回も撮影している。もちろん今回も撮影する。

 散策マップを見ながら「野々宮廃寺跡」の案内板を頼りに徒歩作戦である。しばらく進み、三七八三歌の碑を見つける。そこからは草むらの中の踏み分け道である。

 しばらく行くと左手に草むらのなかに三七八二歌の碑を見つけた。さらにその奥に草の間から覗いているような「野々宮廃寺跡」の説明案内碑があった。分け入り撮影する。

「野々宮廃寺跡」説明案内碑

 

 道沿いに「歴史の道」の看板の横に並んで「マムシに注意 もしマムシを見つけたらその場から早くはなれましょう」との注意看板が建てられていた。今まさに、草むらに分け入り「野々宮廃寺跡」の説明案内碑を撮影したところである。知らぬが仏である。何事もなくてよかったと胸をなでおろしたのであった。

「歴史の道」と「マムシに注意」の案内板

 

万葉歌碑巡りも結構危険が伴うことがある。これまでも何度かこのような注意看板を見てきたのである。

 

 初めて「マムシ注意」の看板をみたのは、奈良県高市郡明日香村甘樫丘中腹にある志貴皇子の歌碑を訪れた時であった。

甘樫丘中腹にある志貴皇子の歌碑へのアプローチの「マムシに注意」の看板

 このことについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その155改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 「マムシ」の他では、「クマ」である。

 昨年、富山県小矢部市蓮沼 万葉公園の碑を巡った時、山頂に近い所でもあり、ところどころに真新しい「熊出没注意」の黄色い看板が建てられていた。熊注意とは、緊張してしまう。万葉歌碑巡りでこのような人里離れた場所ではほとんど来る人はいない。歌碑周辺を独占できるという醍醐味はあるが、熊とは遭遇したくない。カサッと物音がすると一瞬ドキッとする。(今にして思えば、「熊出没注意」の看板を撮影してこなかったのが悔やまれる)

 

 これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1345、1346表①)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 香川県坂出市沙弥島万葉樹木園や柿本人麻呂碑を訪ねた時は沙弥島海岸沿いにあるため「サメに注意!」の看板が建てられていた。もっともこれは遊泳者向けであろうが、海岸から離れたトイレの壁に立てかけられたいた。

坂出市教育委員会注意看板

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「『ほととぎす』をめぐって」 吉海 直人教授 稿 (同志社女子大学HP)

★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」