万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1701)―滋賀県近江八幡市沖島町 沖島コミュニティセンター前―万葉集 巻十一 二四三九

●歌は、「近江の海沖つ島山奥まけて我が思ふ妹を言の繁けく」である。

滋賀県近江八幡市沖島町 沖島コミュニティセンター前万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)


●歌碑は、滋賀県近江八幡市沖島町 沖島コミュニティセンター前にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆淡海 奥嶋山 奥儲 吾念妹 事繁

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四三九)

 

≪書き下し≫近江(あふみ)の海(うみ)沖(おき)つ島(しま)山(やま)奥(おく)まけて我(あ)が思(も)ふ妹(いも)が言(こと)の繁(しげ)けく

 

(訳)近江の海の沖つ島山ではないが、奥の奥かけて私の思うあの子なのに、人の噂の絶えることがない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「奥まけて(将来をかけて)」を起こす。(伊藤脚注)

(注)おく【奥】名詞:①物の内部に深く入った所。②奥の間。③(書物・手紙などの)最後の部分。④「陸奥(みちのく)」の略。▽「道の奥」の意。⑤遠い将来。未来。行く末。⑥心の奥。(学研)ここでは⑤の意

(注)まく【設く】他動詞:①前もって用意する。準備する。②前もって考えておく。③時期を待ち受ける。(その季節や時が)至る。 ※上代語。中古以後は「まうく」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意

(注)ことしげし【事繁し】[形ク]①する事が多くて忙しい。② 人の口がうるさい。③ ものものしい。ぎょうさんである。(weblio辞書 デジタル大辞泉

歌の解説碑

歌碑の石の説明碑

琵琶湖周辺で、これまで行ってなかった、あるいは撮りそびれた歌碑などに再挑戦する計画を温めていた。

梅雨の最中であるので天気予報を見て、6月23日の行くと決めた。沖島に令和元年に万葉歌碑が設置されたことを思い出し、船の時間などを調べ組み込んだのである。

 

 沖島近江八幡市沖合約1.5kmの琵琶湖最大の島で、湖に人が暮らす日本で唯一の島である。

 近江八幡市側の堀切港と沖島の間は「おきしま通船」が運航している。堀切港7:05発に乗船しようと5時に家を出る。調べておいた「来島者用駐車場」(300円)に車を泊める。パンフレット「沖島さんぽ」「海なし県の離島 沖島 もんてみてマップ」を頂く。

 船旅による歌碑巡りは初めて。船に乗ることも何年ぶりであろうか。片道500円。島の関係者は顔パスのようである。

堀切港桟橋と通船

 学校の先生、釣竿を抱えた若者ら7名が乗船。約10分の船旅である。

 沖島港から乗る人たちとの朝の挨拶を交互に交わしながら上陸していく。気分爽快である。

 

 港からほど近い沖島コニュニティーセンターの前に歌碑は建てられていた。

沖島コニュニティーセンター

 沖島8:00の便で戻ることにし、その間に藤原不比等が建立したという「奥津嶋神社」にお参りをした。

津嶋神社社殿

細い路地から見える奥津嶋神社鳥居社殿

 島には車も信号機もない。移動手段は、自転車か三輪自転車でありレトロな雰囲気が漂う街並みであった。梅雨の晴れ間であるから路地路地には洗濯物が所狭しと干してありカメラ的にはアングルが限定的とならざるをえなかった。

レトロな雰囲気漂う沖島の町並み



 

■■■淡路島・徳島万葉歌碑巡り■■■

 昨日8月18日、淡路島と徳島の万葉歌碑巡りに行って来た。

 夏休みであることを考え、地道による淡路島の歌碑巡りは午前中に終える予定にし、徳島に渡り3箇所巡ってから自動車道を使って帰る計画にしたのである。

 前回の香川県の歌碑巡りからの帰り道、休憩のために立ち寄った神戸淡路鳴門自動車道の緑PAの近くで玉ねぎを購入したのである。さすが淡路島産の玉ねぎである。使い勝手がよくまた美味であったので今回もこれは外さない予定にした。

 

4時出発予定である。19時に寝床にもぐり込んだが、23時過ぎに目が覚め、そこからは寝付けない。仕方がないので、先達のブログなど読み返したりしていると目がさえてくる。 携帯をいじくりいろいろと検索してみると計画に入っていない新しく設置された歌碑の情報が飛び込んできた。もう寝ている場合じゃない。「海若(わたつみ)の宿」と「兵庫県立淡路高校前」2カ所である。

しかし残念なことに、「兵庫県立淡路高校前」とあったが、「JA淡路日の出 北淡支店」隣の歌碑と同じであった。ともあれ1カ所は次の通り計画に組み込む。

 

【自宅⇒岩屋漁港近くの「大和島」⇒淡路市野島「大川公園」⇒淡路市野島「海若(わたつみ)の宿」⇒淡路市富島「JA淡路日の出 北淡支店」隣⇒淡路市浅野南「浅野公園」⇒「国民宿舎慶野松原荘」⇒徳島県阿南市那賀川社会福祉会館」⇒眉山ロープウェイ山頂駅近く⇒徳島県鳴門市「人丸神社」⇒<緑PA「玉ねぎ購入>⇒自宅」

 

■自宅⇒岩屋漁港近くの「大和島」■ 

雨に濡れる万葉歌碑

 予定通り4時に出発。第二阪奈あたりでは西の方に稲光が!大阪市内に入ると、ワイパーが効かないほどの土砂降りの雨である。阪神高速京橋PAで休憩を取る。流石に眠い。目覚ましをセットし15分ほど仮眠をとる。たいがい往復で2回ほど仮眠はとるのであるが、今回は、この1回だけであった。よく頑張れたものである。淡路島SAで朝食をとる。風と雨がきつくなる。「大和島」の歌碑を写真に収める。

 

大和島付近から見た雨に煙る明石海峡大橋

 

■岩屋漁港近くの「大和島」⇒淡路市野島「大川公園」■

雨の明石海峡大橋

 雨の明石大橋もまた絵になる。このころは降ったりやんだりの状態に。野島海人像と塩造りの群像を撮影。

野島海人の像

塩作りの群像



淡路市野島「大川公園」⇒淡路市野島「海若(わたつみ)の宿」■

 淡路サンセットライン(県道31号線)沿いにある。玄関脇の坪庭風の一角に歌碑が建てられていた。

「わたつみの宿」玄関横の万葉歌碑



淡路市野島「海若(わたつみ)の宿」⇒淡路市富島「JA淡路日の出 北淡支店」隣■

 このような場所に何故っと思うような所にポツンと取り残されたような場所に建てられている。

ポツンと取り残されたような一郭の万葉歌碑

 向かって右の石柱の「富嶋」の文字の下に歌が書かれているが、摩滅していて判読不能である。この歌碑は嘉永7年(1854年)頃かそれ以前に建立されたものだそうである。

 詳しくは、後日、歌碑の説明時に。

 

淡路市富島「JA淡路日の出 北淡支店」隣⇒淡路市浅野南「浅野公園」■

 淡路島の歌碑は海岸近くにあるが、ここ浅野公園は、小高い山の上にあり、途上播磨灘が見下ろせる。

浅野公園

 主碑と副碑が建てられており、どちらも年代がいっている。風化しており文字は判読しがたい。しかし副碑には嘉永7年(1854年)申寅3月の日付があるそうである。

浅野公園万葉歌碑

 

淡路市浅野南「浅野公園」⇒「国民宿舎慶野松原荘」■

 国民宿舎慶野松原荘の駐車場に面した松原に歌碑は建てられている。ここで淡路島の歌碑は予定通り巡り終えたのである。

慶野松原万葉歌碑



■「国民宿舎慶野松原荘」⇒徳島県阿南市那賀川社会福祉会館」■

 鳴門大橋を渡り四国へ。ナビに住所を設定し到着するも「勤労青少年ホーム」に到着。歌碑らしいものは見当たらない。尋ねてみると、職員の方がわざわざ外にまで出てきていただき、社会福祉会館の建物と行き方を教えていただく。抜け道のような道らしからぬ道から行けるそうである。

那賀川社会福祉会館」前万葉歌碑


 会館正面の前庭に歌碑は建てられていた。

 

 

徳島県阿南市那賀川社会福祉会館」⇒眉山ロープウェイ山頂駅近く■

 眉山山頂の駐車場に到着。現地の案内地図と先達のブログの言語情報を照らし合わしパコダの南にある歌碑をめざす。天気は完全に回復している。ようやく辿り着く。山頂からの徳島市内の光景に癒されこれまでの疲れが吹っ飛ぶ。

パコダ南の広場の万葉歌碑

眉山山頂のパゴダ



眉山ロープウェイ山頂駅近く⇒徳島県鳴門市「人丸神社」■

人丸神社社殿

 コンパクトな造りの社殿近くに歌碑は建てられている。撮影終了。

人丸神社の歌碑

 

 

予定通り歌碑巡りができた。緑PAで玉ねぎを買い込んだのは言うまでもないことである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「海なし県の離島 沖島 もんてみてマップ」