万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1708)―香川県三豊市山本町辻 菅生神社(2)―万葉集 巻十一 二五一七

●歌は、「たらちねの母に障らばいたづらに汝も我れも事のなるべき」である。

香川県三豊市山本町辻 菅生神社(2)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、香川県三豊市山本町辻 菅生神社(2)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆足千根乃 母尓障良婆 無用 伊麻思毛吾毛 事應成

      (作者未詳 巻十一 二五一七)

 

≪書き下し≫たらちねの母に障(さは)らばいたづらに汝(いまし)も我(わ)れも事のなるべき

 

(訳)母さんに邪魔をされたら、ただ空しくて、あなたも私もせっかくの仲が台無しになってしまうでしょう。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さはる【障る】自動詞:①妨げられる。邪魔される。②都合が悪くなる。用事ができる。(学研)

(注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:①つまらない。むなしい。②無駄だ。無意味だ。③手持ちぶさただ。ひまだ。④何もない。空だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)いたづらに(台無しに)「なるべき」(なってしまうでしょう)に続く。

(注)いまし【汝】代名詞:あなた。▽対称の人称代名詞。親しんでいう語。(学研)

 

 歌は、神幸殿の石柱の「人倫」という文字の下に刻されている。

(注)じんりん【人倫】①人と人との間柄・秩序関係。君臣・父子・夫婦などの間の秩序。②人として守るべき道。人道。「—にもとる行為」③ひと。人類。人間一般。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 「人倫」と書かれているが、この歌は、二人の恋の妨げになる母親に立ちはだかっていこうという恋の歌である。

 

 このように、恋愛関係において、差障りとなる「母」と二人の駆け引き的な歌が万葉集では数多く見られる。コミカルに思える歌もある。

 みてみよう。

 

駿河能宇美 於思敝尓於布流 波麻都豆良 伊麻思乎多能美 波播尓多我比奴  一云 於夜尓多我比奴

       (作者未詳 巻十四 三三五九)

 

≪書き下し≫駿河(するが)の海(うみ)磯部(おしへ)に生(お)ふる浜つづら汝(いまし)を頼み母に違(たが)ひぬ  一には「親に違ひぬ」といふ

 

(訳)駿河の海の磯部に根生えてどこまでも伸び続ける浜つづら、その浜つづらのように、ずっとあなたを頼みにしつづけて、母さんに背いてしまいました。(同上)

(注)磯辺(おしへ):いそへの訛り。(伊藤脚注)

(注)上三句は序。「汝を頼み」を起こす。(伊藤脚注)

(注)いまし【汝】代名詞:あなた。▽対称の人称代名詞。親しんでいう語。 ※上代語。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その337)」で紹介している。

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◆霊合者 相宿物乎 小山田之 鹿猪田禁如 母之守為裳  <一云 母之守之師>

       (作者未詳 巻十二 三〇〇〇)

 

≪書き下し≫魂合(たまあ)へば相(あひ)寝(ぬ)るものを小山田(をやまだ)の鹿猪田(ししだ)守(も)るごと母し守(も)らすも  <一云 母が守らしし>

 

(訳)二人の魂が通じ合えば共寝できるというのに、まるで山の田んぼの鹿猪(しし)の荒らす田を見張りするように、あの子のおっかさんが見張りをしておいでだ。<あの子のおっかさんが見張りをしておいでだったよ。>(同上)

(注)たまあふ【魂合ふ】自動詞:心が通じ合う。魂が結ばれる。(学研)

(注)ししだ【猪田・鹿田】〘名〙: 猪(いのしし)や鹿(しか)などが出て荒らす田。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 「小山田(をやまだ)の鹿猪田(ししだ)守(も)るごと母し守(も)らすも」の表現は、愛する二人にとっては母親もおっかない「見張り番」という障害なのである。コミカルな表現だけに、二人ならびに母親に親しみをおぼえてしまう。

 

 二五一七歌、ならびに愛を貫こうとする二人と母との闘いについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1122)」で紹介している。

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 毘沙門堂から菅生神社を目指す。雨は降り続いている。ナビが「目的地は・・・」と言った時に、ストリートビューで確認していた景色が目の前に。そのまま神幸殿横の空き地に滑り込み車をとめる。丁度ピタッと雨が止む。

 神幸殿の玉垣の石柱の「人倫」と「惟神」の文字の下に二五一七歌・四〇三一歌が刻されているので撮影する。

神幸殿玉垣の万葉歌碑(「人倫」「惟神」の下に歌が刻されている)

 神幸殿に向かって右方向に鳥居や神社名碑があるのでそこから社殿にお参りしようと思った。しかし、参道は東西方向に結構長く、後々の行程を考え、あきらめて鳥居の所からお辞儀をした。

参道はるか鳥居右奥に社殿が見える

 鳥居と神幸殿の中程に、古墳の発掘展示のようなものが見えたので行って見た。山辺古墳の復元展示物であり、昭和五十四年に発見された、古墳時代後期の横穴式石室で主要部は既に破壊されていた。同年、この地に復元展示されたとある。

山辺古墳復元展示物



 いろいろ検索していると、文化庁HP「文化遺産オンライン」に「菅生神社社叢(すがおじんじゃしゃそう)」について「S53-06-041菅生神社社叢.txt: 面積約3ヘクタールのこの社叢は、ツブラジイ、クスノキ、アラガシなどを上層とし、ミミズバイ、クロバイ、カクレミノなどを中層とする暖温帯性の常緑広葉樹林で、32科93種の木本が育成している。

 このなかには、香川県下では、ここにだけしか成育していないカンザブロウノキのほか亜高木といえるほどに成長した、シャシャンボ、ネジキなどがある。

 香川県西部平地における極相植生の残存林として学術上貴重なものである。」と紹介されている。

 機会があれば、じっくりと散策してみたいものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉びとの一生」 池田弥三郎 著 (講談社現代新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「文化遺産オンライン」 (文化庁HP)