万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1709)―香川県三豊市高瀬町 高瀬中学校―万葉集 巻五 八〇三

●歌は、「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」である。

香川県三豊市高瀬町 高瀬中学校万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、香川県三豊市高瀬町 高瀬中学校にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

       (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)

(注)なにせむに【何為むに】分類連語:どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。 ※なりたち代名詞「なに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+格助詞「に」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 (注)しかめやも【如かめやも】分類連語:及ぼうか、いや、及びはしない。※なりたち動詞「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 この歌は、八〇二歌の反歌として収録されており、序と八〇二、八〇三歌の歌群となっている。序および八〇二、八〇三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1508)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 菅生神社の次は三豊市高瀬町の高瀬中学校である。15分ほどのドライブ。中学校の隣の高瀬町町民体育館前の駐車場に車を停める。

 正門から入り事務室に行き、万葉歌碑を見たい旨を申し出る。事務の方は、どなたかと連絡を取られる。許可が出たようである。わざわざ事務室から出てこられ、斜交いにある歌碑に案内してくださる。有り難いことである。


 同中学校のHPなどをみても万葉歌碑については触れられていなかった。いろいろ検索してみると、公益社団法人香川県教育会発行の「夢づくり人づくり新聞第42号」・「好きです!わたしたちの校区!高瀬中学校の自慢」に、「子への慈しみがあふれた万葉歌碑」として紹介されている。歌の意味や昭和四十三年に建立され、また同年は教育の町宣言を発した年であり、豊かな社会の発展の原動力は教育であるとし教育に力を入れている旨が書かれている。

公益社団法人香川県教育会発行の「夢づくり人づくり新聞第42号」・「好きです!わたしたちの校区!高瀬中学校の自慢」から引用させていただきました。

 

 

 「金・銀・玉」という高価な価値を有する物と比しても「子という宝」は「勝れる」ものという価値観の対比を詠っている。

 ある意味、非常に分かりやすい言い回しである。

歌碑と「石門のこころ」の碑

 歌碑の横に「石門のこころ」という碑が建てられていた。石門とは、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」によると、「江戸中期の石田梅岩(ばいがん)を開祖とする実践哲学で、近世町人の日常の生活体験を基礎にして神道(しんとう)・儒教(じゅきょう)・仏教の三教や老荘(ろうそう)思想をも取り入れて、人間の本性を探究しようとする人生哲学、近世庶民の生み出した倫理的自覚の学である。・・・石門心学は近世思想界の一大潮流を形成した。石門心学思想の特色は、第一に、近世において道徳的に卑しめられていた庶民に対し、道の実践では武士と対等の存在と説いたヒューマニズムの主張である。第二に、四民(士農工商)の社会的役割と存在意義を具体的に明確にし、とくに町人についての社会通念であった賤商(せんしょう)観を否定するとともに、自他の和合を基本にした商業道徳の自覚を強調したことである。第三に、心学者たちは、心学思想普及のための教化方法として、道話(どうわ)という平易軽妙な語り口による講義・・・などの方法を採用し、聖人の学問を身近なわかりやすいものとして紹介し、一般庶民の社会教化に大きな影響を与えた。また、寺子屋教育などのテキスト作成や就学児童に対する特別講義の実施など、児童教育にも積極的に関与し、教育の実をあげた。第四に、心学者たちは単なる教説の普及だけではなく、・・・飢饉(ききん)に際して各講舎を中心に施米(せまい)などの救済活動・・・、あるいは丙午(ひのえうま)などの迷信に対する啓蒙(けいもう)運動など、社会の現実に対応した実践活動を展開した意義も重要である。・・・多様な石門心学運動の過程で、初期の石田梅岩にみられた人間の本性に関する哲学的探究と『正直』と『倹約』の徳を中心に商人の立場を積極的に主張した姿勢から、心学は『本心』の平安なあり方を主題とする『心』の『学』に転化するなど、時代の変化と心学者たちの個性による問題関心の変化がみられるが、石門心学が近世思想界に果たした役割の重要性は十分に評価しなければならない。」と書かれている。

 

 歌碑ならびに「石門のこころ」の碑に接し、人間の本性をあくなく追及する学びの道を説いているように思えたのである。

 なんだか学校では真に学ぶべきことを学んでこなかったように思えてくる。いまでも中学で丸暗記した事項が頭に入っているが、それが何だったの、と思ってしまう。

 この年になって、万葉集からいろいろな「学び」を教えてもらっているのである。

 

 読めば読むほど、八〇三歌は、学校の校庭には似合うものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

★「夢づくり人づくり新聞第42号」・「好きです!わたしたちの校区!高瀬中学校の自慢」 (公益社団法人香川県教育会HP)