●歌は、「託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出にけり」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「笠女郎贈大伴宿祢家持歌三首」<笠女郎(かさのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌三首>である。
◆託馬野尓 生流紫 衣染 未服而 色尓出来
(笠女郎 巻三 三九五)
≪書き下し≫託馬野(つくまの)に生(お)ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)めいまだ着ずして色に出(い)でにけり
(訳)託馬野(つくまの)に生い茂る紫草、その草で着物を染めて、その着物をまだ着てもいないのにはや紫の色が人目に立ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)「着る」は契りを結ぶことの譬え
(注)むらさき【紫】名詞:①草の名。むらさき草。根から赤紫色の染料をとる。古くから「武蔵野(むさしの)」の名草として有名。②染め色の一つ。①の根で染めた色。赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌碑の左手前に副碑があり、そこには、歌の意味と、「託馬」を「つくま」と読む例はなく、町向かいの粟島で馬の飼育を託したことが実証され、また宅間野では紫草の生育が確認された等から、「託馬野」を「滋賀県米原市朝妻筑摩」とする考えを否定し、「たくま」と読み「詫間」町とすべきと書かれている。(副碑は雨の影響と劣化により判読不能な箇所がある。)
少し気になって調べてみると、笠女郎の歌には、「託馬野に生ふる紫草(三九五歌)、「陸奥の真野の草原遠けども(三九六歌)」と地名が詠まれているが、いずれも譬喩であり、三首目も「奥山の岩本菅を根深めて結びし心(三九七歌)」と深く契りを交わす譬えとして詠われている。
竹生政資氏(佐賀大学医学部 地域医療科学教育研究センター)の「万葉ワールド」に「万葉集395番歌の『託馬野』の所在地について」と題する論文が掲載されており、興味深い内容が書かれている。
「平城京跡から『筑紫大宰進上肥後国託麻郡…子 紫草』という木簡が出土し、肥後国託麻郡がまさに奈良時代初期(万葉集の時代)に紫草の産地であったことが直接証明されたのである。おそらく、395 番歌の作者である笠女郎は肥後国託麻郡から(大宰府経由で)奈良の都に貢納されてきた肥後産の紫根(紫草の根)で衣を染めたのであろう。彼女が紫草を採取するためにわざわざ産地まで足を運んだと考える必要はない。例えば、滝川政次郎氏が言うように『詠み人が足畿外に出ることの稀である婦人であることを考えれば、後説を長としなければならない』とする理由はないのである。ここで『後説』とは『託馬=つくま=近江国の筑摩』説のことを指している。なお、奈良文化財研究所の木簡データベースを引くと、上記の木簡のほかに、大宰府跡から出土した木簡から、筑紫国の怡土郡・糟屋郡・岡賀郡、豊後国の海部郡、肥後国の合志郡・山鹿郡なども紫草の産地だったことがわかる。」
この部分は説得力がある。もっとも、副碑の「託馬」=「詫間」は分が悪いようである。
副碑にあるような考え方に基づき当該地として歌碑を設置する例はままあるようである。これも万葉ロマンをかきたて、いろいろと調べ万葉文化に引きこまれていくトリガー効果は抜群である。
笠女郎(生没年不詳)について、「コトバンク 朝日日本歴史人物事典」に「奈良時代の歌人。笠朝臣氏出身だが、閲歴も不明。『万葉集』に残る短歌29首は、すべて大伴家持に贈ったものである。家持の和した歌は2首のみ・・・巻4に、同時の作ではないにもかかわらず、24首が一括して収められることが目を引く。これは、斬新な比喩を用い、また恋情を繊細かつ優美に表出する・・・彼女の力量を(家持は)高く評価し、その作品の保存を心掛けていた結果だろう。<参考文献>青木生子『日本古代文芸における恋愛』」と書かれている。
大半の歌は、これまでに紹介しているので歌のみながめてみよう。ただし一四五一、一六一六歌は初めてなので、書き下しや訳についても紹介させていただきます。
■■題詞:「笠女郎贈大伴宿祢家持歌三首」■■
■巻三 三九五歌■
託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出でにけり
■巻三 三八六歌■
陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを
■巻三 三九七歌■
奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも
■■題詞「笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首」■■
■巻四 五八七歌■
我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我れも偲はむ
■巻四 五八八歌■
白鳥の飛羽山松の待ちつつぞ我が恋ひわたるこの月ごろを
■巻四 五八九歌■
衣手を打廻の里にある我れを知らにぞ人は待てど来ずける
■巻四 五九〇歌■
あらたまの年の経ぬれば今しはとゆめよ我が背子我が名告らすな
■巻四 五九一歌■
我が思ひを人に知るれか玉櫛笥開きあけつと夢にし見ゆる
■巻四 五九二歌■
闇の夜に鳴くなる鶴の外のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに
■巻四 五九三歌■
君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも
■巻四 五九四歌■
我がやどの夕蔭草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも
■巻四 五九五歌■
我が命の全けむ限り忘れめやいや日に異には思ひ増すとも
■巻四 五九六歌■
八百日行く浜の真砂も我が恋にあにまさらじか沖つ島守
■巻四 五九七歌■
うつせみの人目を繁み石橋の間近き君に恋ひわたるかも
■巻四 五九八歌■
恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ我れ痩す月に日に異に
■巻四 五九九歌■
朝霧のおほに相見し人故に命死ぬべく恋ひわたるかも
■巻四 六〇〇歌■
伊勢の海の礒もとどろに寄する波畏き人に恋ひわたるかも
■巻四 六〇一歌■
心ゆも我は思はずき山川も隔たらなくにかく恋ひむとは
■巻四 六〇二歌■
夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして
■巻四 六〇三歌■
思ひにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死にかへらまし
■巻四 六〇四歌■
剣大刀身に取り添ふと夢に見つ何の兆ぞも君に逢はむため
■巻四 六〇五歌■
天地の神に理なくはこそ我が思ふ君に逢はず死にせめ
■巻四 六〇六歌■
我れも思ふ人もな忘れ多奈和丹浦吹く風のやむ時もなかれ
■巻四 六〇七歌■
皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寐寝かてぬかも
■巻四 六〇八歌■
相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後方に額つくごとし
■巻四 六〇九歌■
心ゆも我は思はずきまたさらに我が故郷に帰り来むとは
■巻四 六一〇歌■
近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ
三九五から三九七歌、ならびに五八七から六一〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1094)」で紹介している。
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一四五一歌と一六一六歌をみていこう。
題詞は、「笠女郎贈大伴家持歌一首」<笠女郎、大伴家持に贈る歌一首>である。
◆水鳥之 鴨乃羽色乃 春山乃 於保束無毛 所念可聞
(笠女郎 巻八 一四五一)
≪書き下し≫水鳥(みづどり)の鴨(かも)の羽色(はいろ)の春山のおほつかなくも思ほゆるかも
(訳)水鳥の鴨の羽色をしている春の山がぼんやり霞んで見えるように、あなたのお気持ちがはっきりわからず、もどかしく思われてなりません。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)みづとりの【水鳥の】分類枕詞:水鳥の代表であることから「鴨(かも)」、および同音の地名「賀茂(かも)」に、また、水鳥の色や生態から「青葉」「立つ」「浮き(憂き)」などにかかる。「みづとりの鴨」(学研)
(注)おぼつかない【覚束無い】〔形口〕おぼつかなし〔形ク〕(「おぼ」は、「おほに」「おほほし」「おぼろ」「おぼめく」などの「おほ(おぼ)」と同じく、ぼんやりした、不明確な状態を表わす。「覚束」は当て字。古くは「おほつかなし」)対象の様子がはっきりせず、つかみどころのないさまをいい、また、そのためにおこる不安な気持を表わす。:① (景色などが)ぼんやりして、はっきりしない。ぼうっとしていてよく見えない。②2 (対象の御子がはっきりせず)気がかりだ。不安だ。心細い。頼りない。もどかしい。「暗くて足許がおぼつかない」③ 疑わしい。不審である。また、不確かである。現代では、多く物事がうまくいきそうにないの意に用いる。④ 疎遠で相手の様子がわからない。訪れがない。無沙汰である。うとうとしい。⑤ (会わずにいる状態がもどかしく)待ちどおしい。会いたい。(広辞苑無料検索 日本国語大辞典)ここでは②の意
(注)上三句は序。「おほつかなくも」を起こす。(伊藤脚注)
題詞は、「笠女郎贈大伴宿祢家持歌一首」<笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌一首>である。
◆毎朝 吾見屋戸乃 瞿麦之 花尓毛君波 有許世奴香裳
(笠女郎 巻八 一六一六)
≪書き下し≫朝ごとに我が見るやどのなでしこの花にも君はありこせぬかも
(訳)朝ごとに私が見る庭のなでしこの花、あの方は、この花ででもあって下さらないものなのかな。(同上)
(注)ありこす【有りこす】分類連語:(こちらに対して)あってくれる。 ⇒なりたち:ラ変動詞「あり」の連用形+上代の希望の助動詞「こす」(学研)
家持は、なでしこをこよなく愛好していたのである。女郎は家持に逢いたいあまり、なでしこを切り札に使ったのだが、それでも効果がなかったと悔やんでいる。
女郎のあの手この手の巧みな歌は、歌としての素晴らしさには、家持は惹かれていたのであろう。歌から垣間見える女郎の強すぎる思いゆえに家持は一歩引いていたのかもしれない。
家持のなでしこの歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その168改)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集395番歌の『託馬野』の所在地について」 竹生政資氏論文(佐賀大学医学部 地域医療科学教育研究センター) (「万葉ワールド」HP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 朝日日本歴史人物事典」