万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1720~1722)―東山魁夷せとうち美術館前庭広場小径(7)~(9)―万葉集 巻八 一六二三、巻九 一七七六、巻十 二三一五

―その1720―

●歌は、「我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。

東山魁夷せとうち美術館前庭広場小径(7)万葉歌碑<プレート>(大伴田村大嬢)

●歌碑(プレート)は。東山魁夷せとうち美術館前庭広場小径(7)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無

       (大伴田村大嬢 巻八 一六二三)

 

≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし

 

(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。

(注)かく【懸く・掛く】他動詞:①垂れ下げる。かける。もたれさせる。②かけ渡す。③(扉に)錠をおろす。掛け金をかける。④合わせる。兼任する。兼ねる。⑤かぶせる。かける。⑥降りかける。あびせかける。⑦はかり比べる。対比する。⑧待ち望む。⑨(心や目に)かける。⑩話しかける。口にする。⑪託する。預ける。かける。⑫だます。⑬目標にする。⑭関係づける。加える。(学研)ここでは⑨の意

(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹

 

題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。

 

 この歌ならびに似たような題詞の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。

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―その1721―

●歌は、「絶等寸の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君を偲はむ」である。

東山魁夷せとうち美術館前庭広場小径(8)万葉歌碑<プレート>(播磨娘子)

●歌碑(プレート)は、東山魁夷せとうち美術館前庭広場小径(8)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆絶等寸笶 山之峯上乃 櫻花 将開春部者 君之将思

       (播磨娘子 巻九 一七七六)

 

≪書き下し≫絶等寸(たゆらき)の山の峰(を)の上(へ)桜花咲かむ春へは君を偲はむ

 

(訳)絶等寸(たゆらき)の山の峰のあたりの桜花、その花が咲く春の頃には、いつも花によそえてあなた様を思うことでしょう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)絶等寸(たゆらき)の山:播磨国府のあった姫路市の丘か。(伊藤脚注)

(注)播磨娘子:播磨の遊行女婦か

(注)いうこうじょふ【遊行女婦】:各地をめぐり歩き、歌舞音曲で宴席をにぎわした遊女。うかれめ。

 

 この歌ならびに一七七七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その691)」で紹介している。

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 万葉集には「遊行女婦」の歌も数多く収録されている。遊行女婦あるいはそれと思われる娘子の歌をみてみよう。

 

■清江娘子 巻一 六九歌■

草枕 客去君跡 知麻世婆 岸之埴布尓 仁寶播散麻思呼

      (清江娘子 巻一 六九)

 

≪書き下し≫草枕旅行く君と知らませば岸の埴生(はにふ)ににほはさましを

 

(訳)草を枕の旅のお方と知っていたなら、この住吉の岸の埴土(はにつち)で衣を染めてさしあげるのでしたのに(住吉に留まって下さるお方とばかり思っていたので、染めてさしあげられませんでした)(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)にほはす【匂はす】:他動詞:①美しく染める。美しく色づける。②香りを漂わせる。薫らせる。③それとなく知らせる。ほのめかす。(学研) ここでは①の意

 

左注は、「右一首清江娘子進長皇子 姓氏未詳」<右の一首は清江娘子(すみのえのをとめ)、長皇子(ながのみこ)に進(たてまつ)る   姓氏未詳>である。

(注)清江娘子:住吉の遊行女婦と思われる。(伊藤脚注)

 

 

 

六六から六九歌の題詞は、「太上天皇幸于難波宮時歌」<太上天皇(おほきすめらみこと)、難波の宮に幸(いでま)す時の歌>である。

 

 六六から六九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その794-2)」で紹介している。

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■筑紫娘子 巻三 三八一歌■

題詞は、「筑紫娘子贈行旅歌一首  娘子字曰兒嶋」<筑紫娘子(つくしのをとめ)行旅(かうりよ)に贈る歌一首  娘子、字を曰児島といふ>である。

(注)筑紫の娘子:大宰府大伴旅人に仕えた遊行女婦。(伊藤脚注)

 

◆思家登 情進莫 風候 好為而伊麻世 荒其路

       (筑紫娘子 巻三 三八一)

 

≪書き下し≫家(いへ)思ふと心進むな風(かざ)まもり好(よ)くしていませ荒しその道

 

(訳)家郷を思うあまりにお心をせかせなさいますな。風向(かざむ)きをよく見きわめていらしゃいませ。荒うございますよ、大和への海路(うなじ)は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

常陸娘子 巻四 五二一歌■

題詞は、「藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首」<藤原宇合大夫(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、遷任して京に上る時に、常陸娘子(ひたちのをとめ)が贈る歌一首>である。

(注)常陸娘子:常陸の遊行女婦か。(伊藤脚注)

 

◆庭立 麻手苅干 布暴 東女乎 忘賜名

       (常陸娘子 巻四 五二一)

 

≪書き下し≫庭に立つ麻手(あさで)刈り干(ほ)し布曝(さら)す東女(あづまをみな)を忘れたまふな

 

(訳)庭畑に茂り立っている麻を刈って干し、織った布を日にさらす東女(あずまおんな)、この田舎くさい女のことをどうかお忘れ下さいますな。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)庭:季節によって畑になったり、仕事場になったりする、家の前の空き地。(伊藤脚(注)麻手:布の原料としての麻の意か。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1588)」で紹介している。

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■大宅女 巻四 七〇九歌■

題詞は、「豊前國娘子大宅女嬥歌一首 未審姓氏」<豊前(とよのみちのくち)の国の娘子、大宅女(おほやめ)が歌一首 いまだ姓氏を審らかにせず>である。

(注)豊前(とよのみちのくち)の国:福岡県東部と大分県北西部。(伊藤脚注)

(注)大宅女:伝未詳。遊行女婦か。(伊藤脚注)

 

 

◆夕闇者 路多豆多頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見

       (大宅女 巻四 七〇九)

 

≪書き下し≫夕闇(ゆふやみ)は道たづたづし月待ちて行(い)ませ我(わ)が背子その間(ま)にも見む

 

(訳)夕闇は道が暗くて心もとのうございます。月の光を待ってお帰りなさいませ、あなた。その間にもお顔を見ていたく思います。(同上)

(注)たづたづし 形容詞:「たどたどし」に同じ。(学研)

(注の注)たどたどし 形容詞:①心もとない。おぼつかない。はっきりしない。②あぶなっかしい。たどたどしい。(学研)ここでは②の意

 

 

■娘子 巻六 九六五歌■

題詞は、「冬十二月大宰帥大伴卿上京時娘子作歌二首」<冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京(みやこ)に上(のぼ)る時に、娘子(をとめ)が作る歌二首>である。

 

◆凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞

       (娘子 巻六 九六五)

 

≪書き下し≫おほならばかもかもせむを畏(かしこ)みと振りたき袖(そで)を忍(しの)びてあるかも

 

(訳)あなた様が並のお方であられたなら、別れを惜しんでああもこうも思いのままに致しましょうに、恐れ多くて、振りたい袖も振らにでこらえております。

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。(学研)

(注)かもかも>かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)

 

■娘子 巻六 九六六歌■

◆倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈

       (娘子 巻六 九六六)

 

≪書き下し≫大和道(やまとぢ)は雲隠(くもがく)りたりしかれども我(わ)が振る袖をなめしと思(も)ふな

 

(訳)大和への道は雲の彼方にはるばる続いております。しかしあなたがその向こう遠くへ行ってしまわれるのにこらえきれずに振ってしまう袖、この私の振る舞いを、どうか無礼だとお思い下さいますな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)なめし 形容詞:無礼だ。無作法だ。(学研)

 

 九六五・九六六歌ならびに大伴旅人が和えた歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その801)」で紹介している。

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■播磨娘子 巻九 一七七七歌■

題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。

 

◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念

       (播磨娘子 巻九 一七七七)

 

≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 

(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)なぞ【何ぞ】副詞;①どうして(…か)。なぜ(…か)。▽疑問の意を表す。②どうして…か、いや、…ではない。▽反語の意を表す。 ⇒語法:「なぞ」は疑問語であるため、文中に係助詞がなくても、文末の活用語は連体形で結ぶ。(学研)ここでは②の意

(注)くしげ 【櫛笥】:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。

 

 

■娘子<未詳> 巻九 一七七八歌■

 題詞は、「藤井連遷任上京時娘子贈歌一首」<藤井連(ふぢゐのむらじ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、娘子(をとめ)が贈る歌一首>である。

 

◆従明日者 吾波孤悲牟奈 名欲山 石踏平之 君我越去者

       (娘子<未詳> 巻九 一七七八)

 

≪書き下し≫明日(あす)よりは我(あ)れは恋ひなむな名欲山(なほりやま)岩(いは)踏(ふ)み平(なら)し君が越え去(い)なば

 

(訳)明日からは、私はさぞかし恋しくてならないことでしょう。あの名欲山を、岩踏み平しながらあなたのご一行が一斉に越えて行ってしまったならば。(同上)

(注)名欲山は、大分県にある山で今の「木原山」をさすらしい。

(注)岩踏み平し:大勢で踏みつけて平にして。(伊藤脚注)

 

 

■(遊行女婦]) 巻八 一四九二歌■

題詞は、「橘歌一首  遊行女婦」<橘の歌一首  遊行女婦

(注)遊行女婦:貴人の宴席などに侍した女。(伊藤脚注)

 

◆君家乃 花橘者 成尓家利 花乃有時尓 相益物乎

       (<遊行女婦> 巻八 一四九二

 

≪書き下し≫君が家(いへ)の花橘はなりにけり花のある時に逢はましものを

 

(訳)あなたのお家の花橘は、いまはすっかり実になりましたね。花の盛んに咲いている時にお逢いできたらよかったのに。(同上)

(注)君:家持をさすか。(伊藤脚注)

(注)なる【生る】自動詞:①生まれる。②実がなる。結実する。(学研)ここでは②の意

(注)花なる時:花の盛りの時に。もっと前からの意を寓する。(伊藤脚注)

 

 

 

■作者未詳 巻十二 三一四〇歌■

◆波之寸八師 志賀在戀尓毛 有之鴨 君所遺而 戀敷念者

       (作者未詳 巻十二 三一四〇)

 

≪書き下し≫はしきやししかある恋にもありしかも君に後れて恋しき思へば

 

(訳)ああ、あ、恋とはこんなにもつらいものであったのか。あの方に撮り残されて、恋しくてならないことを思うと。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)遊行女婦の歌であろう。(伊藤脚注)

 

 

■遊行女婦土師 巻十八 四〇四七歌■

◆多流比賣野 宇良乎許藝都追 介敷乃日波 多努之久安曽敝 移比都支尓勢牟

       (遊行女婦土師 巻十八 四〇四七)

 

≪書き下し≫垂姫(たるひめ)の浦を漕ぎつつ今日(けふ)の日は楽しく遊べ言ひ継(つ)ぎにせむ

 

(訳)この垂姫の浦を漕ぎめぐって、今日一日は楽しく遊んで下さい。今日の楽しさをのちのちまで言い伝えてまいりましょう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首遊行女婦土師」<右の一首は、遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)>である。

(注)遊行女婦:官人等の宴席に侍した教養ある女性。

 

 

 

■遊行女婦土師 巻十八 四〇六七歌■

題詞は、「四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首」<四月の一日に、掾久米朝臣広縄(じようくめのあそみひろつな)が館(たち)にして宴(うたげ)する歌四首>である。

 

◆敷多我美能 夜麻尓許母礼流 保等登藝須 伊麻母奈加奴香 伎美尓伎可勢牟

        (遊行女婦土師 巻十八 四〇六七)

 

≪書き下し≫二上(ふたがみ)の山に隠(こも)れるほととぎす今も鳴かぬか君に聞かせむ

 

(訳)二上の山に隠(こも)っているはずの時鳥よ、今の今鳴いてくれないものか。我が君にお聞かせしたい。(同上)

 

左注は、「右一首遊行女婦土師作之」<右の一首h、遊行女婦土師作る>である。

 

 

 

■蒲生娘子 巻十九 四二三二歌■

題詞は、「遊行女婦蒲生娘子歌一首」<遊行女婦(うかれめ)蒲生娘子(かまふのをとめ)が歌一首>

 

◆雪嶋 巌尓殖有 奈泥之故波 千世尓開奴可 君之挿頭尓

       (蒲生娘子 巻十九 四二三二)

 

≪書き下し≫雪の山斎(しま)巌(いはほ)に植ゑたるなでしこは千代(ちよ)に咲かぬか君がかざしに

 

(訳)雪の積もった美しい園、その園の岩に植えてあるなでしこは、千代常(ちよとことわ)に咲いてくれないものか。あなた様の挿頭(かざし)にするために。(同上)

 

 このようにみてくると、遊行女婦とはいえ、宴に参加しまたその歌を披露しているのである。さらに優れた歌として万葉集に収録されているのである。歌の前には、何人も平等という考え方であろう。

 さらに。四二三六・四二三七歌の左注(右の二首、伝誦するは遊行女婦蒲生ぞ)にあるように古歌の伝誦も行い場に応じた機微な対応も果たせる力を持っていたことがうかがえるのである。

 四一〇六歌の補注にある「左夫流と言ふは遊行婦女が字なり」とある左夫流子は、家持の部下の尾張少咋(をはりのをくひ)の不倫の相手であり、家持は尾張少咋を喩すにあたって、「左夫流その子に紐の緒のいつがり合ひて・・・君が心のすべもすべなさ(四一〇六歌)」、「里人の見る目恥づかし左夫流子にさどはす君が・・・」と詠うほど家持にとってあきれ果てた存在なのである。

 

 四一〇六から四一一〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その123改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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―その1722―

●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。

東山魁夷せとうち美術館前庭広場小径(9)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、東山魁夷せとうち美術館前庭広場小径(9)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者  或云 枝毛多和ゝゝ

      (柿本人麻呂歌集 巻十 二三一五)

 

 ≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば  或いは「枝もたわたわ」といふ

 

(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)とををなり【撓なり】形容動詞:たわみしなっている。(学研)

(注)たわたわ【撓 撓】( 形動ナリ ):たわみしなうさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その871)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」