万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1726)―坂出市沙弥島 ナカンダ浜―万葉集 巻二 二二〇~二二二

●歌は、「玉藻よし讃岐の国は国からか見れど飽かぬ神からかここだ貴き・・・(二二〇歌)」、

  「妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや(二二一歌)」、

  「沖つ波来寄る荒磯を敷栲の枕とまきて寝せる君かも(二二二歌)」である。

坂出市沙弥島 ナカンダ浜万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、坂出市沙弥島 ナカンダ浜にある。

 

●歌をみていこう。

 この歌は、題詞、「讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麿作歌一首并短歌」<讃岐(さぬき)の狭岑(さみねの)島にして、石中(せきちゅう)の死人(しにん)を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首并(あは)せて短歌>の長歌(二二〇歌)と反歌二首(二二一、二二二歌)の歌群である。

(注)狭岑(さみねの)島:香川県塩飽諸島中の沙美弥島。今は陸続きになっている。

(注)石中の死人:海岸の岩の間に横たわる死人。

 

◆玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒磯面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 往而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 鬱悒久 待加戀良武 愛伎妻等者

       (柿本人麻呂 巻二 二二〇)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)とともに 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来(きた)る 那珂(なか)の港ゆ 船浮(う)けて 我(わ)が漕(こ)ぎ来(く)れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶引き折(を)りて をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)面(も)に 廬(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺を 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥(ふ)す君が 家(いへ)知らば 行きても告(つ)げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

 

(訳)玉藻のうち靡(なび)く讃岐の国は、国柄が立派なせいかいくら見ても見飽きることがない。国つ神が畏(かしこ)いせいかまことに尊い。天地・日月とともに充ち足りてゆくであろうその神の御顔(みかお)であるとして、遠い時代から承(う)け継いで来たこの那珂(なか)の港から船を浮かべて我らが漕ぎ渡って来ると、突風が雲居はるかに吹きはじめたので、沖の方を見るとうねり波が立ち、岸の方を見ると白波がざわまいている。この海の恐ろしさに行く船の楫(かじ)が折れるなかりに漕いで、島はあちこちとたくさんあるけれども、中でもとくに名の霊妙な狭岑(さみね)の島に漕ぎつけて、その荒磯の上に仮小屋を作って見やると、波の音のとどろく浜辺なのにそんなところを枕にして、人気のない岩床にただ一人臥(ふ)している人がいる。この人の家がわかれば行って報(しら)せもしよう。妻が知ったら来て言問(ことど)いもしように。しかし、ここに来る道もわからず心晴れやらぬままぼんやりと待ち焦がれていることだろう、いとしい妻は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまもよし【玉藻よし】分類枕詞:美しい海藻の産地であることから地名「讚岐(さぬき)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)那珂(なか)の港:丸亀市金倉川の河口付近。(伊藤脚注)

(注の注)金倉川:中津万象園・丸亀美術館の東側を流れる川である。

(注)ときつかぜ【時つ風】名詞:①潮が満ちて来るときなど、定まったときに吹く風。②その季節や時季にふさわしい風。順風。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研)

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。(学研)

(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(学研)

(注)狭岑(さみね)の島:今の沙弥島(しゃみじま)(香川県HP)

(注)ころふす【自伏す】:ひとりで横たわる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも。(学研)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)

 

 

◆妻毛有者 採而多宜麻之 作美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也

        (柿本人麻呂 巻二 二二一)

 

≪書き下し≫妻もあらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野(の)の上(うへ)のうはぎ過ぎにけらずや

 

(訳)せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに、狭岑のやまの野辺一帯の嫁菜(よめな)はもう盛りが過ぎてしまっているではないか。(同上)

 

「うはぎ」は、古名はオハギ(『出雲風土記(いずもふどき)』)あるいはウハギで、『万葉集』にはウハギの名で二首が収録されている。春の摘み草の対象とされ、「春日野(かすがの)に煙(けぶり)立つ見ゆ娘子(おとめ)らし春野のうはぎ摘(つ)みて煮らしも」(巻十 一八七九)と詠まれているように、よく食べられていたとみられる。(コトバンク 日本大百科全書<文化史>)

 

 

◆奥波 来依荒磯乎 色妙乃 枕等巻而 奈世流君香聞

       (柿本人麻呂 巻二 二二二)

 

≪書き下し≫沖つ波来(き)寄(よ)る荒磯(ありそ)を敷栲(しきたへ)の枕とまきて寝る(な)せる君かも

 

(訳)沖つ波のしきりに寄せ来る荒磯なのに、そんな磯を枕にしてただ一人で寝ておられるこの夫(せ)の君はまあ。」(同上)

(注)なす【寝す】動詞:おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。※動詞「寝(ぬ)」に尊敬の助動詞「す」が付いたものの変化した語。上代語。(学研)

 

 この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1711)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 今は陸続きとなっているが、それ以前の姿についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1713)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 今回の一番の目的。「沙弥島」への上陸である。

 東山魁夷せとうち美術館から「万葉回廊」を南に進み、小さな沙弥港を回り込み、左手に西海岸を見ながら北に少し上り道を進む。ミニ峠を越えると左手に今は廃校になっている「坂出市立沙弥小中学校」がある。すぐ目の前が「ナカンダ浜」である。浜辺沿いの道を海の家の「サメに注意」の看板を横目に歩いて行くと、柿本人麻呂の歌碑とその先に沢山の万葉樹木園の歌碑群に行き着く。

旧 坂出市立沙弥小中学校

瀬戸内海国立公園 沙弥島園地案内図島

「サメに注意」

人麻呂歌碑と万葉樹木園の歌碑(プレート)群

 「沙弥ナカンダ浜」については、坂出市HP「万葉の島沙弥島」に次のように書かれている。「沙弥ナカンダ浜の地名の由来については,『中の田(畑)』がなまってナカンダとなった説と,北の浦をキタンダ,西の浦をニシンダという方言から『中の浦』をナカンダといったとする説の2つがあります。」

 

 梅原 猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論 下」(新潮文庫)の中で、人麿が、近江以後、「彼は四国の狭岑島(さみねのしま)、そして最後には石見の鴨島(かもしま)へ流される。流罪は、中流から遠流へ、そして最後には死へと、だんだん重くなり、高津(たかつ)の沖合で、彼は海の藻くずと消える。」と書かれている。また、同氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論 上」(新潮文庫)の中で、「人麿のこの歌を私が流罪の歌と考えるのは、必ずしも島の状況によってのみではない。それ以上にこの歌のもつ深い悲しみの響きゆえである。人麿はこの狭岑島で死人を見たが、その感動は異常である。その死人の中にほとんど己れを見ているほどだ。なぜ人麿は石中死人の中に己れを見なくてはならなかったのか。それは人麿流人説によってはじめて説明されると思う。」と書かれている。

「をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島」の句は、ご当地を讃美するとはいえ、「狭岑(さみね)の島」が何故「名ぐはし」いかを知っている人にしか分からないように思える。これについては、同氏の、前述著「柿本人麿論 上」(新潮文庫)の中で、「島といえばすでに当時の貴族には一つのイメージがあったであろうから。そして狭岑の島、おそらくは沙弥島という名の島は、中央の貴族にもよく知られていたであろう。」と書かれているが、死のイメージがつきまとう流刑地として「名ぐはし」かったのではなかろうか。

同氏は、人麿は、「好色と政治的陰謀を止(や)めようとしないので、藤原不比等をはじめとする政治権力者に疎まれ、次第に罪が大きくなっていったといったことを書いておられる。この辺りは、勉強不足でついていけない所であるが、妻の数の多さと合わせてじっくり見て行きたいところでもある。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 下」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 日本大百科全書<文化史>」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「坂出市HP」