万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1739~1741)―坂出市沙弥島 万葉樹木園(13)~(14)―万葉集 巻六 九二五、巻六 九七一、巻六 一〇〇九

―その1739―

●歌は、「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(13)万葉歌碑(山部赤人

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(13)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴

       (山部赤人 巻六 九二五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く

 

(訳)ぬばたまの夜が更けていくにつれて、久木の生い茂る清らかなこの川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ぬばたま:黒い玉の意で、ヒオウギの花が結実した黒い実をいう。ヒオウギはアヤメ科の多年草で、アヤメのように、刀形の葉が根元から扇状に広がっている。この姿が、昔の檜扇に似ているのでこの名がつけられたという。

(注)ひさぎ:植物の名。キササゲ、またはアカメガシワというが未詳。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 この歌は、題詞「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」のなかの前群の反歌二首のうちの一首である。前群は吉野の宮を讃える長歌(九二三歌)と反歌二首(九二四・九二五歌)であり、後群は天皇を讃える長歌(九二六歌)と反歌一首(九二七歌)という構成をなしている。

 

 前群の反歌(九二四歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その776)」で、吉野町喜佐谷 桜木神社の歌碑を紹介している。

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 九二三~九二七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その125改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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―その1740―

●歌は、「白雲の竜田の山の・・・岡辺の道に丹つつぢのにほはむ時の・・・」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(14)万葉歌碑(高橋虫麻呂

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(14)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「四年壬申藤原宇合卿遣西海道節度使之時高橋連蟲麻呂作歌一首并短歌」<四年壬申(みづのえさる)に、藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、西海道(さいかいどう)の節度使(せつどし)に遣(つか)はさゆる時に、高橋連蟲麻呂(たかはしのむらじむしまろ)の作る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

      (高橋虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(同上)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)

(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典

(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)

(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て

(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)

(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)

(注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞;「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

 

高橋虫麻呂は、藤原宇合の庇護を受けた歌人である。虫麻呂が宇合の事を詠った歌が万葉集には六首収録されている。この六首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1365)」で紹介している。

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―その1741―

●歌は、「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(15)万葉歌碑(聖武天皇

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(15)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之樹

       (聖武天皇 巻六 一〇〇九)

 

≪書き下し≫橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の樹

 

(訳)橘の木は、実も花もめでたく、そしてその葉さえ、冬、枝に霜が降っても、ますます栄えるめでたい木であるぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)いや 感動詞:①やあ。いやはや。▽驚いたときや、嘆息したときに発する語。②やあ。▽気がついて思い出したときに発する語。③よう。あいや。▽人に呼びかけるときに発する語。④やあ。それ。▽はやしたてる掛け声。(学研)

 

 題詞は、「冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首」<冬の十一月に、左大弁(さだいべん)葛城王等(かづらきのおほきみたち)、姓橘の氏(たちばなのうぢ)を賜はる時の御製歌一首>である。

 

 ここに聖武天皇橘諸兄を中核とするグループと藤原仲麻呂を中心とする藤原一族との対立の萌芽が見られるのである。諸兄の子、橘奈良麻呂の変へと歴史は大きく舵を切って行くのである。この歌と共にこの流れにも触れてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1044)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉