万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1748~1750)―坂出市沙弥島 万葉樹木園(22)~(24)―万葉集巻八 一四九一、巻八 一六二三、巻九 一七四五

―その1748―

●歌は、「卯の花の過ぎば惜しみかほととぎす雨間も置かずこゆ鳴き渡る」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(22)万葉歌碑(大伴家持



●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(22)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴家持雨日聞霍公鳥喧歌一首」<大伴家持、雨日(あめふるひ)に霍公鳥の喧(な)くを聞く歌一首>である。

 

◆宇乃花能 過者惜香 霍公鳥 雨間毛不置 従此間喧渡

       (大伴家持 巻八 一四九一)

 

≪書き下し≫卯(う)の花の過ぎば惜しみかほととぎす雨間(あまま)も置かずこゆ鳴き渡る

 

(訳)卯の花が散ってしまうと惜しいからか、時鳥が雨の降る間(ま)も休まず、ここを鳴きながら飛んで行く。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あまま【雨間】名詞:雨と雨との合間。雨の晴れ間。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) 

(注の注)雨間も置かず:雨の降る間もいとわずに。(伊藤脚注)

(注)こ【此】代名詞:これ。ここ。▽近称の指示代名詞。話し手に近い事物・場所をさす。⇒注意:現代語では「この」の形で一語の連体詞とするが、古文では「こ」一字で代名詞。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1073)」で紹介している。

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 「こゆ鳴き渡る」という言い方は静と動のバランスがとれた心地良い響きである。この「こゆ鳴き渡る」を使った歌をみてみよう。

 

◆聞津八跡 君之問世流 霍公鳥 小竹野尓所沾而 従此鳴綿類

       (作者未詳 巻十 一九七七)

 

≪書き下し≫聞きつやと君が問はせるほととぎすしののに濡れてこゆ鳴き渡る

 

 

(訳)その声を聞いたかとあなたがお尋ねの時鳥は、しっとりと濡れながら、ここを鳴いて渡っています。(同上)

(注)しののに:雨にびっしょり濡れて

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その300)」で紹介している。

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◆雨𣋠之 雲尓副而 霍公鳥 指春日而 従此鳴度

       (作者未詳 巻十 一九五九)

 

≪書き下し≫雨晴(あまば)れの雲にたぐひてほととぎす春日(かすが)をさしてこゆ鳴き渡る

 

(訳)雨の晴れ間を流れてゆく雲に連れそいながら、時鳥が、春日の方に向かって、ここ我が家の庭先を鳴き渡って行く。(同上)

(注)たぐふ【類ふ・比ふ】自動詞:①一緒になる。寄り添う。連れ添う。②似合う。釣り合う。(学研)ここでは①の意

 

 

 

―その1749―

●歌は、「我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(23)万葉歌碑(大伴田村大嬢)



●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(23)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。

(注)いもうと【妹】名詞:①姉。妹。▽年齢の上下に関係なく、男性からその姉妹を呼ぶ語。[反対語] 兄人(せうと)。②兄妹になぞらえて、男性から親しい女性をさして呼ぶ語。③年下の女のきょうだい。妹。[反対語] 姉。 ※「いもひと」の変化した語。「いもと」とも。(学研)

 

◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無

       (大伴田村大嬢 巻八 一六二三)

 

≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし

 

(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(同上)

(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。

(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹

 

 この歌ならびにこの題詞とよく似た題詞の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。

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―その1750―

●歌は、「三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(24)万葉歌碑(高橋虫麻呂



●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(24)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「那賀郡曝井歌一首」<那賀(なか)の郡(こほり)の曝井(さらしゐ)の歌一首>である。

(注)那賀郡:茨城県水戸市の北方

 

◆三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我

       (高橋虫麻呂 巻九 一七四五)

 

≪書き下し≫三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通(かよ)はむそこに妻もが

 

(訳)那賀の村のすぐ向かいにある曝井の水、その水が絶え間なく湧くように、ひっきりなしに通いたい。そこに妻がいてくれたらよいのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みつぐりの【三栗の】分類枕詞:栗のいがの中の三つの実のまん中の意から「中(なか)」や、地名「那賀(なか)」にかかる。(学研)

(注)上三句は序。「絶えず」を起こす。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1172)」で紹介している。

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 「三栗」を詠んだもう一首をみてみよう。

 

◆松反 四臂而有八羽 三栗 中上不来 麻呂等言八子

       (柿本人麻呂歌集 巻九 一七八三)

 

≪書き下し≫松反(まつがへ)りしひてあれやは三栗(みつぐり)の中上(なかのぼ)り来(こ)ぬ麻呂(まろ)といふ奴(やっこ)

 

(訳)鷹の松返りというではないが、ぼけてしまったのかしら、機嫌伺に中上りもして来ない。麻呂という奴は。(同上) 

(注)松反り(読み)まつがへり:[枕]「しひ」にかかる。かかり方未詳。(コトバンク デジタル大辞泉) 鷹が手許に戻らず松の木に帰る意か。(伊藤脚注)

(注)しふ【癈ふ】自動詞:目や耳などの感覚がまひする。身体の器官がだめになる。老いぼれる。(学研)

(注)中上り:地方官が任期中に報告に上京すること。(伊藤脚注)

 

 

 「栗」については、廣野 卓氏は、その著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)のなかで、「クリは堅果類のなかでは最も風味がよく、三内丸山(さんないまるやま)遺跡から出土したクリのDNAバンド(配列)の分析により、すでに縄文時代には、優良種を選択的に栽培した可能性もあると推測されている。『書記』神功皇后(じんぐうこうごう)紀、履中(りちゅう)紀、舒明紀に栗園の記述があるので、古墳時代には栽培されていたことは確実である。日本古来のクリはシバグリである。現在のクリは品種改良の手が加えられているとはいえ、古代びとが食料とした堅果類のなかで、現在も引きつづき一般的に多食されているのはクリだけである。・・・関西では丹波栗が品質のよさで有名だが、すでに奈良時代から丹波国はクリの産地であったから、その伝統をつたえるものだろう。」と書かれている。

 

 このような栗ではあるが、栗の歌は、上記の「三栗」二首と山上憶良の「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ・・・(巻五 八〇二歌)」の三首しか収録されていないことが不思議に思われてならない。

 八〇二歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1508)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉