万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1780)―高松市朝日町 NEXCO西日本四国支所玄関前植込み―万葉集巻二 二二〇

●歌は、「玉藻よし讃岐の国は国からか見れど飽かぬ神からかここだ貴き・・・」である。

高松市朝日町 NEXCO西日本四国支所玄関前植込み万葉歌碑(柿本人麻呂



●歌碑は、高松市朝日町 NEXCO西日本四国支所玄関前植込みにある。

 

●歌をみていこう。

 

 この歌は、題詞「讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麿作歌一首并短歌」<讃岐(さぬき)の狭岑(さみねの)島にして、石中(せきちゅう)の死人(しにん)を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首并(あは)せて短歌>の長歌(二二〇歌)である。

(注)狭岑(さみねの)島:香川県塩飽諸島中の沙弥島。今は陸続きになっている。

(注)石中の死人:海岸の岩の間に横たわる死人。

 

◆玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒磯面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 往而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 鬱悒久 待加戀良武 愛伎妻等者

       (柿本人麻呂 巻二 二二〇)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)とともに 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来(きた)る 那珂(なか)の港ゆ 船浮(う)けて 我(わ)が漕(こ)ぎ来(く)れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶引き折(を)りて をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)面(も)に 廬(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺を 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥(ふ)す君が 家(いへ)知らば 行きても告(つ)げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

 

(訳)玉藻のうち靡(なび)く讃岐の国は、国柄が立派なせいかいくら見ても見飽きることがない。国つ神が畏(かしこ)いせいかまことに尊い。天地・日月とともに充ち足りてゆくであろうその神の御顔(みかお)であるとして、遠い時代から承(う)け継いで来たこの那珂(なか)の港から船を浮かべて我らが漕ぎ渡って来ると、突風が雲居はるかに吹きはじめたので、沖の方を見るとうねり波が立ち、岸の方を見ると白波がざわまいている。この海の恐ろしさに行く船の楫(かじ)が折れるなかりに漕いで、島はあちこちとたくさんあるけれども、中でもとくに名の霊妙な狭岑(さみね)の島に漕ぎつけて、その荒磯の上に仮小屋を作って見やると、波の音のとどろく浜辺なのにそんなところを枕にして、人気のない岩床にただ一人臥(ふ)している人がいる。この人の家がわかれば行って報(しら)せもしよう。妻が知ったら来て言問(ことど)いもしように。しかし、ここに来る道もわからず心晴れやらぬままぼんやりと待ち焦がれていることだろう、いとしい妻は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまもよし【玉藻よし】分類枕詞:美しい海藻の産地であることから地名「讚岐(さぬき)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)那珂(なか)の港:丸亀市金倉川の河口付近。(伊藤脚注)

(注の注)金倉川:中津万象園・丸亀美術館の東側を流れる川である。

(注)ときつかぜ【時つ風】名詞:①潮が満ちて来るときなど、定まったときに吹く風。②その季節や時季にふさわしい風。順風。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研)

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。(学研)

(注)狭岑(さみね)の島:今の沙弥島(しゃみじま)(香川県HP)

(注)ころふす【自伏す】:ひとりで横たわる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも。(学研)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)

 

 この歌ならびに反歌二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1711)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 駐車場に車を停め、受付にお邪魔をする。歌碑について尋ねてみた。雑草がはびこっているので見づらいですが、とことわりながら、出てこられ、わざわざ案内していただいたのである。じつに有り難いことである。

 NEXCO西日本四国支所に万葉歌碑が設置されていることに意外性を感じつつ、なぜか親しみを覚えたのであった。

 道を挟んで、巨大な船が2隻ドッグ入りしているのが印象的であった。

 

 

 

■■愛媛県万葉歌碑めぐり■■

9月20、21日に愛媛県万葉歌碑巡りの計画をたてたが、「過去に例がない危険」を伴う台風14号(2022)にやきもきさせられた。

進路予報などから最終的に1日ずらせて21、22日に変更した。

 

■自宅→西予市三滝公園万葉の道■

 朝3時出発である。三滝渓谷までは約420km、休憩をカウントして7時間30分、10時30分ごろ到着予定である。淡路島南PA到着が5時30分頃である。そして香川県府中湖PAが7時30分頃と順調に早朝ドライブである。

 ここまでは良かったが、「到着予定が10時26分」となり、もうすぐだと思った時、ナビの道と実際の道との感覚のズレからか、結果として道を間違え、到着予定時間が11時08分となる。少し走ればルート検索のあと最短に訂正してくれるはずである。しかし、山道で表示は出るが音声案内はでない。Uターンができそうなところもない。

 山の中をしかも台風一過であるから、落ちた枝や小枝、葉を踏み分けて進むのである。標識もない。土砂崩れに遭遇しかねない恐れもある。緊張感と不安感から、どっと疲れが吹き出す。

 結局三滝渓谷の城川自然ロッジ(今は営業していない)に到着したのは11時30分頃であった。1時間のロスタイムである。

三滝渓谷自然公園案内掲示

三滝渓谷入口万葉の道他案内掲示

 「万葉の道」は、ロッジ横から「屋根付き橋」までの約300mの小径であり、道の谷川側に歌碑が立てられている。

屋根付き橋

 小路には、枝や木の葉が散乱しているが、台風の後にしては、これぐらいで済んでよかったとの思いである。

小枝が散乱する万葉の道と歌碑

小枝や落ち葉が散乱



西予市三滝公園万葉の道→八幡浜市矢野町神山八幡神社

 八幡浜市市民文化センター東側に小高い山がある。この山に八幡神社がある。参道は結構な石段である。ようやく社殿にたどり着く。社殿右手に「万葉史蹟矢野神山」に碑がある。社殿の裏側に真新しい歌碑が立てられていた。先達のブログ写真と違っており、平成二年に立てなおしたらしい。

八幡浜神社参道

「萬葉史蹟 矢野神山」の碑



■ホテル→松山市梅田町郵便局■

 松山市内のラッシュを避けるべく、ホテルを6時に出発する。郵便局に万葉歌碑が建てられている。額賀王の熟田津の歌である。

松山梅田町郵便局と歌碑

 

松山市梅田町郵便局→松山市古三津久枝神社■

 住宅街の片隅にある古びた神社である。ここも額賀王の熟田津の歌碑である。

久枝神社境内

松山市古三津久枝神社→松山市姫原軽之神社・比翼塚■

 軽之神社は住宅街にあるが、ここだけはタイムスリップしたような趣がある。歩いて比翼塚に向かう。

軽之神社境内にある「軽之神社・軽太子の塚」の説明案内板には、「允恭天皇の皇太子木梨軽太子と軽大郎女の兄妹を祀る。『古事記』によると、軽太子は同母の妹軽大郎女と許されぬ恋におち、太子は伊予の湯に流された。姫は恋しくてたまらず追いかけてきたが、二人はついに『自ら共に死にたまひき』とある。『日本書紀』では、軽大郎女が先に流されたとある。村の人たちは二人の霊を哀れんで神社を建て毎年四月二八日に祭礼を行っている。軽太子と軽大郎女を祀った比翼塚がこの東の山裾にあり、その側に二人の詠んだ歌を刻んだ歌碑が建てられている」と書かれている。

軽之神社

比翼の塚

「軽之神社・軽太子の塚」説明案内板



松山市姫原軽之神社・比翼塚→松山市御幸町護国神社・愛媛万葉苑■

 「万葉苑」は、護国神社境内の「郷土植物園」が母体で、額田王の熟田津の歌碑が建立されたのを機に万葉植物が植えられ、昭和四十三年(1968年)に「愛媛万葉苑」として開苑した。

 万葉歌碑プレートが立てられ、近くに万葉植物が植えられており時の経つのも忘れてしまいそうであった。

愛媛万葉苑の碑

愛媛万葉苑説明案内板

 

松山市御幸町護国神社・愛媛万葉苑→愛媛県西条市下島山櫟津岡 飯積神社■

 飯積神社は「櫟津岡」にある。長忌寸意吉麻呂の歌に「・・・櫟津の檜橋より・・・」と読まれており「櫟津」に因んで歌碑が建てられたようである。

飯積神社名碑

飯積神社鳥居と参道




 歌碑の紹介は後日のブログで行う予定です。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「軽之神社・軽太子の塚の説明案内板」