万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1783)―桜井市橋本 吉備池廃寺跡―万葉集巻三 四一六

●歌は、「百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」である。

桜井市橋本 吉備池廃寺跡万葉歌碑(大津皇子

●歌碑は、桜井市橋本 吉備池廃寺跡にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見 雲隠去牟

      (大津皇子 巻三 四一六)

 

≪書き下し≫百伝(ももづた)ふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日(けふ)のみ見てや雲隠りなむ

 

(訳)百(もも)に伝い行く五十(い)、ああその磐余の池に鳴く鴨、この鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去って行くのか。(伊藤 博 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ももづたふ【百伝ふ】分類枕詞:①数を数えていって百に達するの意から「八十(やそ)」や、「五十(い)」と同音の「い」を含む地名「磐余(いはれ)」にかかる。②多くの地を伝って遠隔の地へ行くの意から遠隔地である「角鹿(つぬが)(=敦賀(つるが))」「度逢(わたらひ)」に、また、遠くへ行く駅馬が鈴をつけていたことから「鐸(ぬて)(=大鈴)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)くもがくる【雲隠る】自動詞:①雲に隠れる。②亡くなる。死去する。▽「死ぬ」の婉曲(えんきよく)的な表現。多く、貴人の死にいう。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

 

 題詞は、「大津皇子被死之時磐余池陂流涕御作歌一首」<大津皇子(おほつのみこ)、死を被(たまは)りし時に、磐余の池の堤(つつみ)にして涙を流して作らす歌一首>、

 

 左注は、「右藤原宮朱鳥元年冬十月」≪右、藤原の宮の朱鳥(あかみとり)の元年の冬の十月>とある。

 

 大津皇子辞世の歌である。悲劇の皇子である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その118改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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 大津皇子は、謀反の疑いで叔母にあたる持統天皇によって誅殺された。磐余には大津皇子の住いがあった。皇子は文武両道に秀でていたが、持統天皇はわが子草壁皇子皇位を継承させるべく大津皇子を謀反の罪に問うたと言われている。

 この歌に関して、亀山郁夫氏は「万葉集の詩性(ポエジー) 令和時代の心を読む」 中西 進 編著 (角川新書)の中の自稿「万葉集とわたし」で、「明日の死を運命づけられた青年に、これほどにも冷静におのれの死を見つめる余裕が生まれえるものなのか。辞世の歌にしてはリアルな叫びからあまりに遠ざけられてはいないか。・・・わたしが先に述べた疑念は、『万葉の秀歌』を読み進めるなかで氷解した。」とし、中西 進氏の「『雲隠る』が敬語表現であること、かつ『なむ』という推量の助詞がついていることから、この歌が大津自身の作であることを否定」していることにふれ、さらに「当時は歌はだれが代作してもよく、人びとは大津の作として享受し涙したのである。・・・われわれも、大津の心をこの一首から理解すればよく、実作者はだれでもかまわないのである。」と引用されている。

 万葉集の「歌物語」的側面に言及されているのである。

 

 

愛知県、静岡県広島県福井県香川県と遠征が続いていたが、近場の「桜井市吉備池ならびに橿原市万葉歌碑巡り」を行なったというか行わざるをえなくなったのは、8月29日にブログ(その1713)「東山魁夷せとうち美術館前庭の歌碑(プレート):中大兄皇子 巻一 十三歌」について書こうとした時、橿原市白橿町近隣公園の歌碑が頭に浮かび前回紹介事例としようとした。ところが、調べてみると、この歌については、2019年5月2日作成の(その64改)ブログ「桧原井寺池畔の同歌の歌碑」しかリストに出てこない。こちらも初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 橿原市の万葉歌碑リストの資料メモを探し出してチェックしてみると2019年6月18日に巡った、⑦南浦町古池、⑩畝尾都多本神社、⑪天香具山、⑫天香山神社、⑭紀寺跡、㉑白橿町近隣公園のデータが完全に抜け落ちていることが分かったのである。作成したものと思っていただけにショックである。もう一度写真も含め取り直す必要性から計画を立てたのである。

 桜井市吉備池の万葉歌碑も一度トライしているが果たせなかったので、今回の計画に組み入れたのである。

 天気予報を見て「曇り一時雨」を信じて決行した。

しかし、結局は歌碑巡りの間ずっと降っていたのである。

 

 

吉備池畔には、大津皇子と大伯皇女の歌碑が2つある。先達のブログなどから、吉備池の北西の土手に大津皇子の、その西側に大伯皇女の歌碑があることを確認した。

北西角に近い空き地に車を滑り込ませる。北西角の上に歌碑がある。胸躍る気持ちで近づくも草ぼうぼうの状態である。この一角から土手に上がるルートが見つからない。少し遠回りになるが、前回トライした吉備春日大社前の道から土手に上がる。そこから右手に進む。幸いに雨は小降りになっているが、進めば進むほどズボンの先から濡れて来る。北西コーナー部は完全に草に蔽われている。足で草をかき分け踏みしめ道を作る。やっと石碑の頭が、草の間から見えた。ここまで来てあきらめるわけにはいかない。びしょ濡れ覚悟であたりの草を踏みしめる。ようやく大津皇子の歌碑と対面することが出来た。そこから西に進めば大伯皇女の歌碑があるが、雨の中、ほぼ身の丈に近いこの草むら相手に突進することはあきらめる。現地の「史跡 吉備池廃寺跡案内図」を参考に葛に覆われた木の下あたりに大伯皇女の歌碑があるであろうと思われるので写真に収めて次の目的地に向かったのである。

     「史跡 吉備池廃寺跡案内図」(赤丸が万葉歌碑)

 

     葛に覆われた木の下あたりに大伯皇女の歌碑?

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集の詩性(ポエジー) 令和時代の心を読む」 中西 進 編著 (角川新書)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」