万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1788)―橿原市明日香村 紀寺跡(明日香庭球場)―万葉集巻七 一〇九六

●歌は、「いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山」である。

橿原市明日香村 紀寺跡<明日香庭球場>万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、橿原市明日香村 紀寺跡(明日香庭球場)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山

       (作者未詳 巻七 一〇九六)

 

≪書き下し≫いにしへのことは知らぬを我(わ)れ見ても久しくなりぬ天(あめ)の香具山(かぐやま)

 

(訳)過ぎ去った遠い時代のことはわからないけれども、私が見はじめてからでも、もうずいぶんのあいだ、変わることもなく神々(こうごう)しく聳(そび)えている。天の香具山は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)を 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。まれに体言に付く。:①〔逆接の確定条件〕…のに。…けれども。②〔順接の確定条件〕…ので。…から。③〔単純接続〕…と。…ところ。…が。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)我見ても:私が見始めてからも・(伊藤脚注)

 

 奈良県HP「はじめての万葉集 vol15『天の香具山』」に「・・・万葉歌にもさまざまな山が詠まれていますが、その中のひとつに、香具山(現在の地名は天香久山)があります。

 香具山は『万葉集』の中で唯一『天の』と表現されています。歴代の天皇が登って『国を見る』ことで国土を治める儀式をしたという場所であり、天から降ってきたという伝説もある山です。天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸に隠れて地上は闇に閉ざされた、という『古事記』や『日本書紀』にある神話の中にも、天上世界の山として同じ名が登場します。実際の香久山は、わずか百五十メートル程の高さしかありませんが、天に続く神聖な山だと考えられていたようです。・・・」と書かれている。

 

 「天の香具山」、「香具山」と詠まれた歌は十三首収録されている。みてみよう。

 

■二歌■

◆山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者

       (舒明天皇 巻一 二)

 

≪書き下し≫大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は                        

(訳)大和には群がる山々があるけれども、中でも精霊のとりわけ神々しくよりつく天の香具山、この山の頂きに出で立って国見をすると。国原にはけむりが盛んに立ち上っている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。ああよい国だ。蜻蛉(あきず)島大和の国は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とりよろふ 自動詞:天(あま)の香具山(かぐやま)をほめていう語。 ※用例が引用した歌の一例しかなく、語義未詳の語。上代語。(学研)

(注の注)とりよろふ:精霊の神々しくよりつく意か。(伊藤脚注)

(注)海原は 鷗立ち立つ海原:池を海に、池辺の水鳥を鷗に見立てたもの。(伊藤脚注)

(注)うまし【甘し・旨し・美し】(シク活用):すばらしい。立派だ。よい。 ⇒参考:中古以降ク活用が一般的になった。上代には、シク活用は、用例(うまし国)のように、語幹(終止形と同形)が体言を修飾した。(学研)

(注)あきづしま【秋津島蜻蛉島】分類枕詞:「やまと(大和・日本)」にかかる。「あきづしま大和」(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1784)」で紹介している。

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■十三歌■

高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相格良思吉

       (中大兄皇子 巻一 十三)

 

≪書き下し≫香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)を惜(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あいあらそ)ひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき

 

(訳)香具山は、畝傍をば失うには惜しい山だと、耳成山と争った。神代からこんな風であるらしい。いにしえもそんなふうであったからこそ、今の世の人も妻を取りあって争うのであるらしい。(同上)

(注)畝傍を惜しと:畝傍を失うのは惜しいと。(伊藤脚注)

(注)古も:現在にずっと続いてきている過去をいう。伊藤脚注)

(注)しかにあれこそ うつせみも:そうであればこそ現世の人も・・・。今在る事を神代からの事として説明するのは神話の型。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1713)で紹介している。

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■十四歌■

高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良

      (中大兄皇子 巻一 十四)

 

≪書き下し≫香具山耳成山と闘(あ)ひし時立ちて見に来(こ)し印南国原(いなみくにはら)

 

(訳)香具山と耳成山とが妻争いをした時、阿菩大神(あぼのおおみかみ)がみこしをあげて見にやって来たという地だ、この印南国原は。(同上)

(注)立ちて見に来し:御輿をあげて見に来たという(伊藤脚注)

(注)印南国原:明石から加古川あたりにかけての平野(伊藤脚注)

(注)阿菩大神(あぼのおおみかみ):出雲系神話の神。大和(やまと)三山の妻争い神話で、仲裁に出雲から大和へ行く途中、いさかいが終わったことを聞き、播磨(はりま)国揖保(いぼ)郡上岡の里に鎮座したという。「播磨国風土記」に見える。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その622)」で紹介している。

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■二八歌■

◆春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

    (持統天皇 巻一 二八)

 

≪書き下し≫春過ぎて夏来(きた)るらし白栲(しろたへ)の衣干したり天の香具山

 

(訳)今や、春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの香具山にまっ白い衣が干してあるのを見ると。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しろたへ【白栲・白妙】名詞:①こうぞ類の樹皮からとった繊維(=栲)で織った、白い布。また、それで作った衣服。②白いこと。白い色。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 (注の注)ここは、まっ白いの意。「栲」は楮の樹皮で作った白い布。(伊藤脚注)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その117改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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■五二歌■

 題詞は、「藤原宮御井歌」<藤原の宮の御井(みゐ)に歌>である。

◆八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門従 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水

       (作者未詳 巻一 五二)

 

≪書き下し≫やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水

 

(訳)あまねく天の下を支配せられるわが大君、高々と天上を照らしたまう日の神の皇子、われらの天皇(すめらみこと)が藤井が原のこの地に大宮(おおみや)をお造りになって、埴安の池の堤の上にしっかと出で立ってご覧になると、ここ大和の青々とした香具山は、東面(ひがしおもて)の大御門(おおみかど)にいかにも春山(はるやま)らしく茂り立っている。畝傍のこの瑞々(みずみず)しい山は、西面(にしおもて)の大御門にいかにも瑞山(みずやま)らしく鎮まり立っている。耳成の青菅(あおすが)茂る清々(すがすが)しい山は、北面(きたおもて)の大御門にふさわしく神さび立っている。名も妙なる吉野の山は、南面(みなみおもて)の大御門からはるか向こう、雲の彼方(かなた)に連なっている。佳山々に守られた、高く聳え立つ御殿、天(あめ)いっぱいに広がり立つ御殿、この大宮の水こそは、とこしえに湧き立つことであろう。ああ御井(みい)の真清水は。(同上)

(注)御井:聖泉。土地の命の根源。(伊藤脚注)

(注)藤井が原:藤の茂る井のある原。題詞の「藤原」に同じ。(伊藤脚注)

(注)埴安の(池):香具山の麓にあった池。(伊藤脚注)

(注)ありたつ【あり立つ】自動詞:①いつも立っている。ずっと立ち続ける。②繰り返し出かける。(学研)ここでは①の意

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語。(学研)

(注)たかしる 高知る】他動詞:①立派に造り営む。立派に建てる。②立派に治める。 ※「たか」はほめことば、「しる」は思うままに取りしきる意。(学研)ここでは①の意

 

 

■一九九歌■

◆・・・吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香来山之宮 萬代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文

      (柿本人麻呂 巻二 一九九)

 

≪書き下し≫・・・我(わ)が大君の 万代(よろづよ)と 思ほしめして 作らしし 香具山(かぐやま)の宮 万代に 過ぎむと思へや 天(あめ)のごと 振り放(さ)け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏(かしこ)くあれども

 

(訳)・・・我が大君が千代万代(よろずよ)にと思し召して造られた香具山の宮、この宮はいついつまでも消えてなくなることなどあるはずがない。天(あま)つ空(ぞら)を仰ぎ見るように振り仰ぎながら、深く深く心に懸けてお偲びしてゆこう。恐れ多いことではあるけれども。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1787)」で紹介している。

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■二五七歌■

◆天降付 天之芳来山 霞立 春尓至婆 松風尓 池浪立而 櫻花 木乃晩茂尓 奥邊波 鴨妻喚 邊津方尓 味村左和伎 百礒城之 大宮人乃 退出而 遊船尓波 梶棹毛 無而不樂毛 己具人奈四二

      (鴨君足人 巻三 二五七)

 

≪書き下し≫天降(あも)りつく 天(あめ)の香具山 霞(かすみ)立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗茂(くれしげ)に 沖辺(おきへ)には 鴨(かも)妻(つま)呼(よ)ばひ 辺(へ)つ辺(へ)に あぢ群騒(むらさわ)き ももしきの 大宮人(おおみやひと)の 退(まか)り出(で)て 遊ぶ船には 楫棹(かぢさを)も なくてさぶしも 漕(こ)ぐ人なしに

 

(訳)天から降って居ついたという天の香具山、この山では、霞のかかる春になると、松を渡る風に麓の池の波が立て、桜の花も木蔭いっぱいに咲き乱れ、池の沖の方には鴨がつがいを呼び、岸辺ではあじ鴨の群れが騒いでいるけれども、ももしきの宮仕えの人びとが御殿から退出していつも遊んだ船には、今や櫂(かい)も棹(さお)もなくて物さびしい。船を漕ぐ人もいなくて。(同上)

(注)あもりつく【天降り付く】の解説:[枕]香具山 (かぐやま) が天上から降ったという伝説から、「天の香具山」「神の香具山」にかかる。(goo辞書)

(注)かすみたつ【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。「かすみたつ春日の里」(学研)>春の枕詞。(伊藤脚注)

(注)このくれ【木の暗れ・木の暮れ】名詞:木が茂って、その下が暗いこと。また、その暗い所。「木の暮れ茂(しげ)」「木の暮れ闇(やみ)」とも。(学研)

(注)へつ【辺つ】分類連語:海辺近くの。岸辺の。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)

(注)あぢ【䳑】名詞:水鳥の名。秋に飛来し、春帰る小形の鴨(かも)。あじがも。ともえがも。(学研)

 

 

■二五九歌■

◆何時間毛 神左備祁留鹿 香山之 鉾椙之本尓 薜生左右二

       (鴨君足人 巻三 二五九)

 

≪書き下し≫いつの間(ま)も神(かむ)さびけるか香具山(かぐやま)の桙杉(ほこすぎ)の本(もと)に苔(こけ)生(む)すまでに

 

(訳)いつの間にこうも人気がなく神さびてしまったのか。香具山の尖(とが)った杉の大木の、その根元に苔が生すほどに。(同上)

(注)ほこすぎ【矛杉・桙杉】:矛のようにまっすぐ生い立った杉。(広辞苑無料検索)

(注)桙杉(ほこすぎ)の本(もと):矛先の様にとがった、杉の大木のその根元。(伊藤脚注)

 

 

■二六〇歌■

◆天降就 神乃香山 打靡 春去来者 櫻花 木暗茂 松風丹 池浪飆 邊都遍者 阿遅村動 奥邊者 鴨妻喚 百式乃 大宮人乃 去出 榜来舟者 竿梶母 無而佐夫之毛 榜与雖思

       (作者未詳 巻三 二六〇)

 

≪書き下し>天降(あも)りつく 神(かみ)の香具山 うち靡(なび)く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に 松風に 池波立ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ ももしきの 大宮人の 退り出て 漕ぎける船は 棹楫も なくて寂しも 漕がむと思へど

 

(訳)天から降って居ついた神山である天の香具山、この山に草木の靡く春がやってくると、桜の花が木蔭いっぱいに咲き乱れ、松を渡る風に、麓の池の波が立ち、その岸辺にはあじ鴨の群れが騒ぎ、沖の方には鴨がつがいを呼んでいる。だがしかし、ももしきの宮仕えの人びとが御殿から退出していつもここで漕いでいた船には、今や棹(さお)や櫂(かい)もなく、物さびしい。その船を漕いでみようと思ったものの。(同上)

(注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。(学研)

 

 二五七、二五九、二六〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1466)」で紹介している。

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■三三四歌■

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

       (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。

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■一〇九六歌■

前出の歌碑の歌

 

 

■一八一二歌■

◆久方之 天芳山 此夕 霞霏▼ 春立下

      (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一二)

※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫ひさかたの天(あめ)の香具山(かぐやま)この夕(ゆうへ)霞(かすみ)たなびく春立つらしも                           

 

(訳)ひさかたの天の香具山に、この夕べ、霞がたなびいている。まさしく春になったらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1785)」で紹介している。

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■二四四九歌■

香山尓 雲位桁曵 於保々思久 相見子等乎 後戀牟鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四四九)

 

≪書き下し≫香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも

 

(訳)香具山に雲がたなびいてはっきり見えないように、ぼんやりと見ただけの子なのに、この子にのちになって恋い焦がれることであろうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「おほほしく」を起こす。(伊藤脚注)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。 ※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)ここでは①の意

 

 香具山も「高山」、「香来山」、「芳来山」、「香具山」、「芳山」、「香山」と表記されている。

 

 前に来た時は明日香庭球場駐車場に停めてからあちこち探し回ったのである。テニスコート周辺、隣接する田畑などうろつき回りあきらめかけていた時に駐車場の道路わきの茂みの中で見つけたのである。

 今回は駐車場北西角に車を停める。歌碑はすぐそこにある。前回の経験がいきたのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「橿原の万葉歌碑めぐり」 (橿原市パンフレット)