●歌は、「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(二十歌)」と
「紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも(二十一歌)」である。
●二十歌から見ていこう。
題詞は、「天皇遊獦蒲生野時額田王作歌」<天皇(すめらみこと)、蒲生野(かまふの)の遊狩(みかり)したまふ時に、額田王が作る歌>である。
(注)蒲生野:琵琶湖の東岸、近江国蒲生郡に広がっていた野。668年天智天皇は蒲生野で薬猟を行っており(《日本書紀》)、男は薬用の動物を狩猟し、女は薬草を摘むという古代中国の風習に倣うものであった。また《万葉集》の額田王と大海人皇子の贈答歌はこのときのこととされる。(後略)(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)
(注)みかり【遊獦】:天皇が狩りをされた、すなわち、薬猟り(くすりがり)をされたこと。薬猟りとは、不老長寿の薬にするために、男は鹿の袋角(出始めの角)を、女は薬草をとる、という行事をいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
◆茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
(額田王 巻一 二〇)
≪書き下し≫あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る
(訳)茜(あかね)色のさし出る紫、その紫草の生い茂る野、かかわりなき人の立ち入りを禁じて標(しめ)を張った野を行き来して、あれそんなことをなさって、野の番人が見るではございませんか。あなたはそんなに袖(そで)をお振りになったりして。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)あかねさす【茜さす】分類枕詞:赤い色がさして、美しく照り輝くことから「日」「昼」「紫」「君」などにかかる。(学研)
(注)むらさき 【紫】①草の名。むらさき草。根から赤紫色の染料をとる。②染め色の一つ。①の根で染めた色。赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた。(学研)ここでは①の意
(注)むらさきの 【紫野】:「むらさき」を栽培している園。(学研)
(注)しめ【標・注連】名詞:①神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。②「標縄(しめなは)」の略。(学研)ここでは①の意
(注)のもり【野守】名詞:立ち入りが禁止されている野の番人。(学研)
●次に二十一歌をみていこう。
題詞は、「皇太子答御歌 明日香宮御宇天皇 謚日天武天皇」<皇太子(ひつぎのみこ)の答へたまふ御歌 明日香(あすか)の宮に天の下知らしめす天皇、謚(おくりな)して天武天皇(てんむてんのう)といふ>である。
◆紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
(大海人皇子 巻一 二一)
≪書き下し≫紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に我(あ)れ恋(こ)ひめやも
(訳)紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが気に入らないのであったら、人妻と知りながら、私としてからがどうしてそなたに恋いこがれたりしようか。(伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)むらさきの【紫の】(枕詞):①植物のムラサキで染めた色のにおう(=美シクカガヤク)ことから,「にほふ」にかかる。②ムラサキは染料として名高いことから、地名「名高(ナタカ)」にかかる。③ムラサキは濃く染まることから、「こ」にかかる。(広辞苑無料検索 大辞林)
(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)ここでは⑤の意
(注)にくし【憎し】形容詞:①しゃくにさわる。気に入らない。いやだ。憎らしい。②感じが悪い。みっともない。見苦しい。③あっぱれだ。見事だ。優れている。▽憎く感じるほど優れているようす。(学研)ここでは③の意
(注)やも 分類連語:①…かなあ、いや、…ない。▽詠嘆の意をこめつつ反語の意を表す。②…かなあ。▽詠嘆の意をこめつつ疑問の意を表す。 ※上代語。 ⇒語法:「やも」が文中で用いられる場合は、係り結びの法則で、文末の活用語は連体形となる。 ⇒参考:「やも」で係助詞とする説もある。 ⇒なりたち:係助詞「や」+終助詞「も」。一説に「も」は係助詞。(学研)
左注は、「紀日 天皇七年丁卯夏五月五日縦獦於蒲生野于時大皇弟諸王内臣及群臣皆悉従焉」<紀には「天皇の七年丁卯(ひのとう)の夏の五月の五日に、蒲生野(かまふの)に縦猟(みかり)す。時に大皇弟(ひつぎのみこ)・諸王(おほきみたち)、内臣(うちのまへつきみ)また群臣(まへつきみたち)、皆悉(ことごと)に従(おほみとも)なり」といふ>である。
(注)天皇七年:天智七年(668年)
(注)大皇弟(ひつぎのみこ):皇帝弟で、大海人皇子。(伊藤脚注)
(注)内臣(うちのまへつきみ):ここは藤原鎌足。(伊藤脚注)
伊藤 博氏は、二〇・二一歌について、二一歌の「人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に」の脚注で、「前歌の第四句に対応する掛け合い。宴での座興。事実ではない。」と書かれている。
万葉集としての歌物語の一環である。
この歌については、大津市皇子が丘 JR大津京駅前の歌碑と共に、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その234)」で紹介している。
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これまで見てきた、二〇・二一歌の歌碑をみてみよう。(歌碑プレートは割愛させていただきます。)
■香芝市下田西 総合体育館万葉歌碑(二〇歌)■
■香芝市下田西 総合体育館万葉歌碑(二一歌)■
■東近江市糠塚町 万葉の森船岡山 蒲生野狩猟レリーフ横万葉歌碑(二〇・二一歌)■
■東近江市糠塚町 万葉の森船岡山 山頂付近万葉歌碑(二〇・二一歌)■
■東近江市八日市本町 市神神社万葉歌碑<「額田王立像銘」碑文>(二〇・二一歌)■
■蒲生郡竜王町 雪野山大橋欄干万葉歌碑ならびに額田王立像(二〇歌)
■蒲生郡竜王町 雪野山大橋欄干万葉歌碑ならびに大海人皇子像(二一歌)■
■豊前国府跡公園万葉歌の森万葉歌碑(二〇歌)■
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会)