万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1799)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(11)―万葉集 巻十 一八九五

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(11)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

       (柿本人麻呂歌集 巻十  一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。 ⇒参考:(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 一八九五歌の上二句「春去 先三枝」は、〔春去 先〕が〔三枝〕を起こし、【春去 先三枝】が、【幸(さきく)】を起こす二重構造、「二重の序」になっている。

 

【〔春さればまづ〕〔さきくさの〕】【幸(さき)く】あらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「二重の序」の例について、伊藤 博氏は、その著「萬葉集相聞の世界」(塙書房)で次のような特徴があると指摘されている。

  • すべて相聞歌に限られる。
  • 上の序が下の主想と意味上関連を持つ。
  • 歌の型も、初めの序はかならず体言(主に固有名詞)を起し、後の序は用言的叙述を起して、一定している。

 

 これらを念頭に、例歌をみてみよう。

 

 

◆橡之 衣解洗 又打山 古人尓者 猶不如家利

      (作者未詳 巻十二 三〇〇九)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほ及(し)かずけり

 

(訳)橡(つるばみ)染めの地味な衣を解いて洗って、また打つという、真土(まつち)山のような、本つ人―古馴染の女房には、やっぱりどの女も及ばなかったわい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句はマタ打ツ意で「真土」を、上三句はマツチの類音で「本つ」を起こす。(伊藤脚注)

(注)もとつひと【元つ人】名詞:昔なじみの人。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)

(注)真土山(読み)マツチヤマ:奈良県五條市和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[枕]同音の「待つ」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

 

■二重構造の図示■

【〔橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ〕〔真土山(まつちやま)〕】【本(もと)つ】人にはなほ及(し)かずけり

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その703)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆處女等乎 袖振山 水垣乃 久時由 念来吾等者

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四一五)

 

娘子(をとめ)らを袖(そで)布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひけり我(わ)れは

       

 

(訳)娘子に向かって袖を振るという、その布留山の瑞垣が大昔からあるように、ずっと久しい年月を思いに思ってきたのだ、この私は。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みづかきの【瑞垣の】分類枕詞:神社の垣根は久しく続くことから「久し」にかかる。※のちに「みづがきの」とも。(学研)

(注)「袖」までが「布留」の、第三句までが「久しき」の序。(伊藤脚注)

 

■二重構造の図示■

【〔娘子(をとめ)らを袖(そで)〕〔布留〕山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の】【久しき】時ゆ思ひけり我(わ)れは

 

 この歌については、前出のブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。

 

 

◆妹之髪 上小竹葉野之 放駒 蕩去家良思 不合思者

       (作者未詳 巻十一 二六五二)

 

≪書き下し≫妹(いも)が髪上(あ)げ竹葉野(たかはの)の放(はな)ち駒(ごま)荒びにけらし逢はなく思へば

 

(訳)あの子の髪を掻き上げてたくという竹葉野放ち飼いの馬、その馬のように、あの子の気持ちはすっかり荒れすさんで離れてしまったらしい。逢ってくれないことを思うと。(同上)

(注)「上げ」までは「竹」を、上三句は「荒い」を起こす序。(伊藤脚注)

(注)かみあげ【髪上げ】名詞:①女子の成人の儀式で、それまで垂らしていた髪を頭頂に結い上げて、後ろに垂らすこと。平安時代の貴族社会では、結婚前の十二歳から十五歳ぐらいの間に、「裳着(もぎ)」とともに行った。②「女房(にようばう)」「女官(にようくわん)」が、儀式参列や給仕の際にした、髪が食べ物につかないようにする髪型。頭頂に小さな髷(まげ)を結い、釵子(さいし)をさす。(学研)

(注)あらぶ【荒ぶ】[動]:①暴れる。荒れる。②気持ちが離れる。疎遠になる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)けらし 助動詞特殊型《接続》活用語の連用形に付く。:①〔過去の事柄の根拠に基づく推定〕…たらしい。…たようだ。②〔過去の詠嘆〕…たのだなあ。…たなあ。 ⇒参考:(1)過去の助動詞「けり」の連体形「ける」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の変化した語。(2)②は近世の擬古文に見られる。(学研)ここでは②の意

 

■二重構造の図示■

【〔妹(いも)が髪上(あ)げ〕〔竹〕葉野(たかはの)の放(はな)ち駒(ごま)】【荒】びにけらし逢はなく思へば

 

 

 

◆吾妹兒乎 聞都賀野邊能 靡合歡木 吾者隠不得 間無念者

       (作者未詳 巻十一 二七五二)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)を聞き都賀野辺(つがのへ)のしなひ合歓木(ねぶ)我(あ)は忍びえず間(ま)なくし思へば

     

 

(訳)あの子の噂を聞き継ぎたい、その都賀野の野辺にしなっている合歓木(ねむ)のように、私はしのびこらえることができない。ひっきりなしに思っているので。(同上)

(注)「聞き」まで「都賀」を、上三句は「忍び」を起す序。(伊藤脚注)

 

■二重構造の図示■

【〔我妹子(わぎもこ)を聞き〕〔都賀〕野辺(つがのへ)のしなひ合歓木(ねぶ)】我(あ)は忍びえず間(ま)なくし思へば

 

 

◆妹目乎 見巻欲江之 小浪 敷而戀乍 有跡告乞

       (作者未詳 巻十二 三〇二四)

 

≪書き下し≫妹が目を見まく堀江(ほりえ)のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ

       

(訳)あの子に逢いたいと欲り願う、その江に絶え間なく立つさざ波、その波のように、繰り返し焦がれていると、あの子に伝えておくれ。(同上)

(注)みまく【見まく】分類連語:見るだろうこと。見ること。 ※上代語。

なりたち動詞「みる」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」

(注)「見まく」までは「堀江」を、上三句は「しきて」を起こす序。(伊藤脚注)

(注)さざれなみ【細れ波】名詞:さざ波。 ⇒参考:さざ波がしきりに立つことから「間(ま)無くも」「しきて」「止(や)む時もなし」などを導く序詞(じよことば)を構成することもある。

 

■二重構造の図示■

【〔妹が目を見まく〕〔堀江(ほりえ)〕のさざれ波】【しきて】恋ひつつありと告げこそ

 

 

 

 

◆吾妹兒尓 又毛相海之 安河 安寐毛不宿尓 戀度鴨

       (作者未詳 巻十二 三一五七)

 

我妹子(わぎもこ)にまたも近江(あふみ)の安(やす)の川(かは)安寐(やすい)も寝(ね)ずに恋ひわたるかも

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)にまたも近江(あふみ)の安(やす)の川(かは)安寐(やすい)も寝(ね)ずに恋ひわたるかも。

 

(訳)いとしいあの子にまたも逢うという、近江の川、その川の名ではないが、らかな眠りさえできずに。あの子に恋いつづけている。(同上)

(注)「またも」までは「近江」を、上三句は「安寐(やすい)」を起こす序。(伊藤脚注)

 

■二重構造の図示■

【〔我妹子(わぎもこ)にまたも〕〔近江(あふみ)〕の安(やす)の川(かは)】【安寐(やすい)】も寝(ね)ずに恋ひわたるかも。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1687)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「近江の安の川」は、今の「やすがわ【野洲川】」か。:滋賀県南東部、鈴鹿山脈御在所山に源を発し、ほぼ西流して琵琶湖に注ぐ川。長さ61キロ。下流は三角州を形成し、放水路がある。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 さらに、伊藤氏は「二重の序」を有する歌は、巻十~巻十二など近畿の歌謡が主体であるとされ、次の二首(五〇一、三九三一歌)は、類型をなす近畿歌謡の二重の序の詠風に影響されたものと見ておられる。

 

◆未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者

      (柿本人麻呂 巻四 五〇一)

 

≪書き下し≫ 未通女(をとめ)らが袖(そで)布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我(わ)れは

 

(訳)おとめが袖を振る、その布留山の瑞々しい垣根が大昔からあるように、ずっとずっと前から久しいこと、あの人のことを思ってきた、この私は。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)「袖」までが「布留」を、上三句が「久しき」を起こす二重の序。(伊藤脚注)

(注)ふるやま【布留山】:石上神宮の東方にある円錐形の山、標高266m。

 

 二四一五と五〇一歌を比較してみるとほとんど変わらない。(類歌)

處女等乎 袖振山 水垣乃 久時由 念来吾等者

           (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四一五)

未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者

           (柿本人麻呂 巻四 五〇一)

 

■二重構造の図示■

【〔未通女(をとめ)らが袖(そで)〕〔布留〕山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の】【久しき】時ゆ思ひき我(わ)れは

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その50改)」で紹介している。

➡ 

万葉歌碑を訪ねて(その50改)―天理市布留町 石上神宮―万葉集 巻四 五〇一 - 万葉集の歌碑めぐり

 

 

◆吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母

      (平群氏女郎 巻十七 三九三一)

 

≪書き下し≫君により我が名はすでに竜田山(たつたやま)絶えたる恋の繁(しげ)きころかも

 

(訳)我が君のせいで私の浮名はとっくに立ってしまったという名の竜田山(たつたやま)、その名のように断ち切ったはずの恋心が、しきりにつのるこのごろです。「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)上三句は二重の序。上二句が「竜田山」を起しつつ下二句に響き、上三句が「絶ち」を起こす。(伊藤脚注)

(注)「孤悲」と表記しているのは、書き手の遊び心であろう。

 

■二重構造の図示■

【〔君により我が名はすでに〕〔竜田山(たつたやま)〕】【絶え】たる恋の繁(しげ)きころかも

 

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その841)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 そして、「二重の序」を、民謡における掛け合いの機智の所産と見ておられるのである。いわゆる懸け詞的な機転の利く語呂合わせがもてはやされるのは、今も昔も変わらないのである。

 いずれの歌もリズミカルでそこに機転の利く掛け合いが施されている歌である。

 

 

 上記以外の例歌もみてみよう。

 

◆吾妹兒尓 衣借香之 宜寸川 因毛有額 妹之目乎将見

       (作者未詳 巻十二 三〇一一)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に衣(ころも)春日(かすが)の宜寸川(よしきがは)よしもあらぬか妹(いも)が目を見む

 

(訳)いとしい子に衣を貸すという、春日の宜寸川、その名のように何かよしでもないものか。あの子と逢いたくて仕方がない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「衣」までは貸す意で「春日」を、上三句は同音で「宜寸川(よしきがは)」を起こす序。(伊藤脚注)

(注)宜寸川:春日山北方から西流して佐保川に注ぐ小川(伊藤脚注)

 

 

■二重構造の図示■

【〔我妹子(わぎもこ)に衣(ころも)〕〔春日(かすが)〕の宜寸川(よしきがは)】【よし】もあらぬか妹(いも)が目を見む

 

 

 

◆]登能雲入 雨零川之 左射礼浪 間無毛君者 所念鴨

       (作者未詳 巻十二 三〇一二)

 

≪書き下し≫との曇(ぐも)り雨布留川(ふるかは)のさざれ波間(ま)なくも君は思ほゆるかも

 

(訳)一面にかき曇って雨が降る、その布留川のさざ波のように、絶え間なくしきりに、あなたは恋しく思われてなりません。(同上)

(注)とのぐもる【との曇る】自動詞:空一面に曇る。 ※「との」は接頭語。(学研)

(注)「雨」までは「布留川」を、上三句は「間なく」を起こす序。(伊藤脚注)

 

■二重構造の図示■

【〔との曇(ぐも)り雨〕〔布留川(ふるかは)〕のさざれ波】【間(ま)なく】も君は思ほゆるかも

 

 

 「枕詞」との組み合わせにより「二重の序」的色彩を帯びた歌もみてみよう。

 

◆白檀弓 今春山尓 去雲之 逝哉将別 戀敷物乎

       (作者未詳 巻十 一九二三)

 

≪書き下し≫白真弓(しらまゆみ)今(いま)春山に行く雲の行きや別れむ恋(こひ)しきものを

 

(訳)白真弓を張るという、今こそ盛りのその山に流れて行く雲のように、私は、あなたと別れて行かねばならないのか。恋しくてならないのに。(同上)

(注)しらまゆみ:「春」の枕詞。上三句は序。「行き」を起こす。(伊藤脚注)

(注)しらまゆみ【白真弓・白檀弓】分類枕詞:弓を張る・引く・射ることから、同音の「はる」「ひく」「いる」などにかかる。(学研)

 

■二重構造の図示■

【〔白真弓(しらまゆみ)〕今(いま)〔春〕山に行く雲の】【行き】や別れむ恋(こひ)しきものを

 

 

◆吾妹兒尓 相坂山之 皮為酢寸 穂庭開不出 戀度鴨

       (作者未詳 巻十 二二八三)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢坂山(あふさかやま)のはだすすき穂には咲き出(で)ず恋ひわたるかも

 

(訳)いとしいあの子に逢うという逢坂山のはだすすき、そのすすきがまだ穂を出していないように、私もそぶりに出さずひそかに恋いつづけている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)わぎもこに【吾妹兒に】枕詞:吾妹子に会う意から、「あふ」と同音を含む「逢坂山」「近江(あふみ)」「楝(あふち)の花」「淡路(あはぢ)」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)逢坂山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の滋賀県大津市の南にある山。古くから交通の要地で、ふもとに「逢坂の関」が設けられていた。和歌では多く「逢(あ)ふ」にかけて用いる。(学研)

(注)はだすすき【はだ薄】名詞:語義未詳。「はたすすき」の変化した語とも、「膚薄(はだすすき)」で、穂の出る前の皮をかぶった状態のすすきともいう。(学研)

(注の注)はだすすき【はだ薄】分類枕詞:すすきの穂の意から「穂」「末(うれ)(=穂の先)」「うら」にかかる。(学研)

(注)上三句は序。「穂には咲き出ず」を起こす。

 

 

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その955)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

■二重構造の図示■

【〔我妹子(わぎもこ)に〕〔逢坂山(あふさかやま)〕のはだすすき】【穂には咲き出(で)ず】恋ひわたるかも

 

 

 

◆浣衣 取替河之 <河>余杼能 不通牟心 思兼都母

      (作者未詳 巻十二 三〇一九)

 

≪書き下し≫洗(あら)ひ衣(きぬ)取替川(とりかひがは)の川淀(かはよど)の淀まむ心思ひかねつも

 

(訳)洗いざらしの着物に取り替えるという取替川の淀みのように、おいでの足の淀みそうなあなたの心を思うと、その苦しさに堪えきれません。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あらひきぬ【洗ひ衣】分類枕詞:着ている衣を、洗った衣と取り替えて着る意から「取り替ふ」と同音の「とりかひがは」にかかる。(学研)

(注)上三句は序。「淀む」を起こす。(伊藤脚注)

 

■二重構造の図示■

【〔洗(あら)ひ衣(きぬ)〕〔取替川(とりかひがは)〕の川淀(かはよど)の】【淀ま】む心思ひかねつも

 

 

 

 古今東西、「いいね」を求める心が、文化、文明を押し上げて行ったのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会