万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1804)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(16)―万葉集 巻十 二二七七

●歌は、「さを鹿の入野のすすき初尾花いづれの時か妹が手まかむ」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(16)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(16)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆左小壮鹿之 入野乃為酢寸 初尾花 何時加 妹之手将枕

      (作者未詳 巻十 二二七七)

 

≪書き下し≫さを鹿(しか)の入野(いりの)のすすき初尾花(はつをばな)いづれの時か妹(いも)が手まかむ

 

(訳)雄鹿が分け入るという入野(いりの)のすすきの初尾花、その花のようにういういしい子、いったいいつになったら、あの子の手を枕にすることができるのであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さをしかの【小牡鹿の】分類枕詞:雄鹿(おじか)が分け入る野の意から地名「入野(いりの)」にかかる。(学研)

(注)はつをばな【初尾花】:〔名〕 秋になって初めて穂の出た薄(すすき)。《季・秋》(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

(注の注)はつをばな:初々しい女の譬え。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1305‐2)」で紹介している。

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微笑ましく色っぽい歌である。

 

秋といえば、食欲の秋。

万葉集では牛を食べた話はなかったと思うが、鹿は、巻十六の乞食者の歌(三八八五歌)にもあるように、食されていたようである。

廣野 卓 著「食の万葉集」(中公新書)のなかに、「古代の代表的な肉はシカとイノシシの肉で、『常陸国風土記』はシカを山の宍(しし)と表現している。天武四年(六七五)四月に、勅によって人が飼育するウシ・ウマ・イヌ・サル・ニワトリの肉を食うことを禁じている。シカ・イノシシ・ウサギなどが除外されているのは、それらの肉食が庶民の生活に根づいていたからだろう。」と書かれている。

 

三八八五歌をみてみよう。

 

◆伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多ゝ弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥獦 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来立嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃婆夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 白賞尼

      (乞食者の詠 巻十六 三八八五)

 

≪書き下し≫いとこ 汝背(なせ)の君 居(を)り居(を)りて 物にい行くとは 韓国(からくに)の 虎といふ神を 生(い)け捕(ど)りに 八つ捕り持ち来(き) その皮を 畳(たたみ)に刺(さ)し 八重(やへ)畳(たたみ) 平群(へぐり)の山に 四月(うづき)と 五月(さつき)との間(ま)に 薬猟(くすりがり) 仕(つか)ふる時に あしひきの この片山(かたやま)に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本(もと)に 梓弓(あづさゆみ) 八(や)つ手挟(たばさ)み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み 鹿(しし)待つと 我が居(を)る時に さを鹿(しか)の 来立ち嘆(なげ)かく たちまちに 我(わ)れは死ぬべし 大君(おほきみ)に 我(わ)れは仕(つか)へむ 我(わ)が角(つの)は み笠(かさ)のはやし 我(わ)が耳は み墨(すみ)坩(つほ) 我(わ)が目らは ますみの鏡 我(わ)が爪(つめ)は み弓の弓弭(ゆはず) 我(わ)が毛らは み筆(ふみて)はやし 我(わ)が皮は み箱の皮に 我(わ)が肉(しし)は み膾(なます)はやし 我(わ)が肝(きも)も み膾(なます)はやし 我(わ)がみげは み塩(しほ)のはやし 老い果てぬ 我(あ)が身一つに 七重(ななへ)花咲く 八重(やへ)花咲くと 申(まを)しはやさに 申(まを)しはやさに

 

(訳)あいやお立ち合い、愛(いと)しのお立ち合い、じっと家に居続けてさてさてどこかへお出かけなんてえのは、からっきし億劫(おつくう)なもんだわ、その韓(から)の国の虎、あの虎というおっかない神を、生け捕りに八頭(やつつ)もひっ捕らまえて来てわさ、その皮を畳に張って作るなんぞその八重畳、その八重の畳を隔てて繰り寄せ編むとは平群(へぐり)のあのお山で、四月、五月の頃合、畏(かしこ)の薬猟(かり)に仕えた時に、ここな端山(はやま)に並び立つ、二つの櫟(いちい)の根っこのもとで、梓弓(あずさゆみ)八(やつ)つ手狭み、ひめ鏑(かぶら)八(やつ)つ手狭み、このあっちが獲物を待ってうずくまっていたとしなされ、その時雄鹿が一つ出て来てひょこっとつっ立ってこう嘆いたわいさ、「射られてもうすぐ私は死ぬはずの身。どうせ死ぬなら大君のお役に立ちましょう。私の角はお笠の材料(たね)、私の耳はお墨の壺(つぼ)、私の両目は真澄(ますみ)の鏡、私の爪はお弓の弓弭(ゆはず)、私の肌毛はお筆の材料(たね)、私の皮はお手箱の覆い、私の肉はお膾(なます)の材料(たね)、私の肝もお膾の材料(たね)、私の胃袋(ゆげ)はお塩辛の材料(たね)。そうそう、今や老い果てようとするこの私めの身一つに、七重も八重も花が咲いた花が咲いたと、賑々(にぎにぎ)しくご奏上下され、賑々しくご奏上下され」とな。(伊藤 博 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いとこ【愛子】名詞:いとしい人。▽男女を問わず愛(いと)しい人を親しんで呼ぶ語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)「いとこ 汝背(なせ)の君」:相手を親しんでの呼びかけ。聴衆あての表現。(伊藤脚注)

(注)をり【居り】:<自動詞>①座っている。腰をおろしている。②いる。存在する。 <補助動詞>(動詞の連用形に付いて)…し続ける。…している。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)やへだたみ【八重畳】①( 名 ):幾重にも重ねて敷いた敷物。神座として用いる。 ②( 枕詞 ):幾重にも重ねるところから、「へ(重)」と同音の地名「平群(へぐり)」にかかる。 (学研)

(注)くすりがり【薬狩】名詞:陰暦四、五月ごろ、特に五月五日に、山野で、薬になる鹿(しか)の若角や薬草を採取した行事。[季語] 夏。薬猟(学研)

(注)はやし:栄えさせる意の「栄す」の名詞形(伊藤脚注)

(注)ゆはず【弓筈・弓弭】名詞:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。※「ゆみはず」の変化した語。(学研)

(注)なます【鱠・膾】名詞:魚介・鳥獣の生肉を細かく刻んだもの。後世では、それを酢などであえた料理。さらに後には、大根・人参などを混ぜたり、野菜のみのものにもいう。(学研)

(注)みげ:牛や鹿などの胃。内臓(伊藤脚注)

(注)塩のはやし:塩からの材料。(伊藤脚注)

 

「我(わ)が肉(しし)は み膾(なます)はやし 我(わ)が肝(きも)も み膾(なます)はやし 我(わ)がみげは み塩(しほ)のはやし」と調理の仕方まで詠われている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1499)」で紹介している。

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 「肉(しし)は み膾(なます)はやし」とあるように、獣肉は、最初は細かく切って生で食べていた。保存や味付けのために塩漬けや干肉といった調理がなされていったのであろう。

 

 前出の「食の万葉集」(廣野 卓 著 中公新書)に、「平城京跡から出土した木簡に『鹿醢(しししおびしお)』と書かれたものがある。醢は、干肉を麹または塩をまぜた酒に漬けてつくる(『角川漢和中辞典』)、骨を除いた肉のつけもの(『諸橋大漢和辞典』)などとあり、『令義解』職員令大膳職(おおかしわでしき)の注記に、『肉醤(ししびしお)を醢(しおいしお)という』とあるので、肉醤とよんでいたものも醢である。つまり肉(宍<しし>)の塩漬けであり、麹で風味づけの工夫もしている。」と書かれている。

 

 

 調味料に差があるが、万葉の時代も今も食への関心は変わらないのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「食の万葉集」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会