万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1806)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(18)―万葉集 巻三 三九二

●歌は、「ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(18)万葉歌碑(大伴百代)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(18)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大宰大監大伴宿祢百代梅歌一首」<大宰大監(だざいのだいげん)大伴宿禰百代(おほとものすくねももよ)が梅の歌一首>である。

 

◆烏珠之 其夜乃梅乎 手忘而 不折来家里 思之物乎

       (大伴百代 巻三 三九二)

 

≪書き下し≫ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを                    

 

(訳)あの夜見た時、あたりをつけておいた梅だったのに、ついうっかりして手折らずに来てしまった。折ろう折ろうと心中深く思っていたのに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)その夜の梅:過ぎし宴席での遊行女婦の譬え。(伊藤脚注)

(注)た- 接頭語:名詞・副詞・動詞・形容詞の上に付いて、語調を整え、意味を強める。「たわらは」「たゆたに」「たやすし」「たもとほる」(学研)

(注)「折る」は契りを結ぶ意の譬え。(伊藤脚注)

 

 大伴百代は、梅花の宴の一員である。この歌をみてみよう。

 

◆烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都ゝ  [大監伴氏百代]

       (大伴百代 巻八 八二三)

 

≪書き下し≫梅の花散らくはいづくしかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ [大監(だいげん)伴氏百代(ばんじのももよ)]

 

(訳)梅の花が雪のように散るというのはどこなのでしょう。そうは申しますものの、この城の山にはまだ雪が降っています。その散る花はあの雪なのですね。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)城の山:大野山

(注)大監(だいげん):〘名〙 大宰府の判官のうちの上位の二人。正六位下相当。下に少監がある。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(太宰府番外編その3)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

大伴百代の歌は、万葉集には七首収録されている。

あとの五首をみてみよう。

 

題詞は、「大宰大監大伴宿祢百代戀歌四首」<大宰大監大伴宿禰百代が恋の歌四首>である。

 

◆事毛無 生来之物乎 老奈美尓 如是戀乎毛 吾者遇流香聞

       (大伴百代 巻四 五五九)

 

≪書き下し≫事もなく生き来(こ)しものを老いなみにかかる恋にも我(あ)れは逢へるかも

 

(訳)これまで平穏無事に生きて来たのに、年寄りだてらに、何とまあこんな苦しい恋に私は出くわすはめになってしまいました。(同上)

(注)こともなし【事も無し】分類連語:①何事もない。平穏無事だ。②難点がない。ちょっと好ましい。③(事をするのに)たやすい。 ※「事無し」の強調表現。(学研)ここでは①の意

(注)おいなみ【老い次・老い並】名詞:老年のころ。老境。(学研)

 

 

◆孤悲死牟 後者何為牟 生日之 為社妹乎 欲見為礼

      (大伴百代 巻四 五六〇)

 

≪書き下し≫恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ

 

(訳)恋い死にに死んでしまったら何の意味がありましょう。生き長らえている今の日のためにこそあなたの顔を見たいと思うのに。(同上)

 

 

◆不念乎 思常云者 大野有 三笠社之 神思知三

       (大伴百代 巻四 五六一)

 

≪書き下し≫思はぬを思ふと言はば大野なる御笠(みかさ)の杜(もり)の神し知らさむ

 

(訳)あなたのことを思ってもいないのに思っているなどと言ったら、いつわりに厳しい大野の御笠の森の神様もお見通しで、私は祟りを受けなければなりますまい。(同上)

(注)御笠(みかさ)の杜(もり):福岡県大野城市山田の社。(伊藤脚注)

(注)神し知らさむ:神様がお見通しでしょう。(伊藤脚注)

 

 

◆無暇 人之眉根乎 徒 令掻乍 不相妹可聞

       (大伴百代 巻四 五六二)

 

≪書き下し≫暇(いとま)なく人の眉根(まよね)をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも

 

(訳)手を休める暇もなく、人の眉根をむやみやたらと掻(か)かせておきなげら、いっこうに逢おうとしないあなたなのですね。(同上)

(注)眉のつけ根がかゆいのは思う人に逢える前兆とされた。(伊藤脚注)

 

 ちょっと脱線するが、眉を掻くだけでなく、くしゃみをするもの相手を呼び寄せる呪術だたようである。このことは次の問答歌でつかめる。

 

◆眉根掻 鼻水紐解 待八方 何時毛将見跡 戀来吾乎

      (作者未詳 巻十一 二八〇八)

 

≪書き下し≫眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐解(ひもと)け待てりやもいつかも見むと恋ひ来(こ)し我(あ)れを

 

(訳)眉(まゆ)の根元を掻いたり、くしゃみをしたり、紐が解けたりして、待っていてくれましたか。一刻も早く逢いたいと心引かれてやって来たこの私なのだが。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やも 分類連語:①…かなあ、いや、…ない。▽詠嘆の意をこめつつ反語の意を表す。②…かなあ。▽詠嘆の意をこめつつ疑問の意を表す。 ※上代語。 ⇒語法:「やも」が文中で用いられる場合は、係り結びの法則で、文末の活用語は連体形となる。 ⇒参考:「やも」で係助詞とする説もある。 ⇒なりたち:係助詞「や」+終助詞「も」。一説に「も」は係助詞。(学研)

 

 

◆今日有者 鼻火鼻火之 眉可由見 思之言者 君西在來

      (作者未詳 巻十一 二八〇九)

 

≪書き下し≫今日(けふ)なれば鼻の鼻ひし眉可(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり

 

(訳)お見えになるのが今日だったからですね 鼻がむずむずしてくしゃみが出、眉もむずかゆくて、もしやおいでかと思っていたのは、あなただったのですね。(同上)

 

 

 「眉根掻き」の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その7改)」で紹介している。

 ➡ 

万葉歌碑を訪ねて(その7改、8改)―奈良市法蓮町 佐保川堤―万葉集 巻六 九九三、九九四 - 万葉集の歌碑めぐり

 

 

 大伴百代の歌にもどろう。最後は五六六歌である。

 

題詞は、「大宰大監大伴宿祢百代等贈驛使歌二首」<大宰大監大伴宿禰百代ら、駅使(はまゆづかひ)に贈る歌二首>である。

 

草枕 羈行君乎 愛見 副而曽来四 鹿乃濱邊乎

       (大伴百代 巻四 五六六)

 

≪書き下し≫草枕旅行く君を愛(うるは)しみたぐひてぞ来(こ)し志賀(しか)の浜辺(はまへ)を

 

(訳)都に向けて旅立って行くあなた方、このあなた方が慕わしく離れがたいので、つい寄り添って来てしまいました。志賀の浜辺の道を。(同上)

(注)志賀の浜辺を:博多湾北の志賀島へ通じる浜道。ヲはを通っての意。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首大監大伴宿祢百代」< 右の一首は大監大伴宿禰百代>である。

 

 もう一首は山口忌寸若麻呂の歌である。(ここでは省略)

 そして、この二首の左注は、「以前天平二年庚午夏六月 帥大伴卿忽生瘡脚疾苦枕席 因此馳驛上奏 望請庶弟稲公姪胡麻呂欲語遺言者 勅右兵庫助大伴宿祢稲公治部少丞大伴宿祢胡麻呂兩人 給驛發遣令省卿病 而逕數旬幸得平復 于時稲公等以病既療 發府上京 於是大監大伴宿祢百代少典山口忌寸若麻呂及卿男家持等相送驛使 共到夷守驛家 聊飲悲別乃作此歌」<以前(さき)は、天平の二年庚午(かのえうま)の夏の六月に、帥(そち)大伴卿たちまちに瘡(かさ)を脚に生(な)し、枕席(ちんせき)に疾(や)み苦(くる)しぶ。これによりて馳驛(ちやく)して上奏し、望請庶弟(しよてい)稲公(いなきみ)、姪(てつ)胡麻呂(こまろ)に遺言を語らまく欲りすと望(のぞ)み請(こ)ふ。右兵庫助(うふやうごのすけ)大伴宿禰稲公、治部少丞(ぢぶのせうじよう)大伴宿禰胡麻呂の両人(ふたり)に勅(みことのり)して、駅(はまゆ)を賜ひて発遣(つかは)し、卿の病を省(とりみ)しめたまふ。しかるに、数旬を経(へ)て、幸(さき)く平復することを得(う)。時に、稲公ら、病のすでに療(い)えたるをもちて、府を発(た)ちて京に上る。ここに、大監大伴宿禰百代、少典山口忌寸若麻呂、また卿の男(こ)家持ら、駅使を相送りて、ともに夷守(ひなもり)の駅家(うまや)に到り、いささかに飲みて別れを悲しび、すなはちこの歌を作る>である。

(注)帥大伴卿:大伴旅人

(注)かさ【瘡】名詞:できもの。はれもの。(学研)

(注)ちんせき【枕席】〘名〙 (まくらと敷き物の意から):① ねどこ。寝具。② 寝室。ねや。また、夜の伽(とぎ)。枕藉。[補注]「ちん」は「枕」の慣用音で、正音は「しん」。「色葉字類抄」に「枕席 シムセキ」、「易林本節用集」に「枕席 シンセキ」の例が見られるので古くは「しんせき」と訓じられたか。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ちえき【馳駅】〘名〙:① 令制で、国家緊急の場合、駅使を派遣して諸道に三〇里(現在の約一六キロメートル)ごとに設けられた駅とその駅馬を使って通信すること。急ぐ場合の行程は一日一〇駅以上とされた。→飛駅(ひえき)。② 鎌倉時代、幕府の通信方法で、騎馬の使者が急行して通信すること。特に、京都の六波羅探題との間に使われ、六波羅飛脚、六波羅馳駅といわれた。飛脚。[補注]令制で駅制を使った通信を表わす語としては、「飛駅」と「馳駅」があり、同じことを意味する。ただ、「飛駅」が名詞として使われるのに対して、「馳駅」は「馳駅して」と、もっぱら動詞形で現われる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)当時、急使は奈良と大宰府の間を四、五日で走った。(伊藤脚注)

(注)しょてい【庶弟】〘名〙: 腹違いの弟。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)てつ【姪】〘名〙: 兄弟姉妹の子。めい、または、おい。[補注]古くは「おい」の意味をも表わしていたが、現在では「めい」だけをさしている。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)右兵庫助:右兵庫寮の次官。正六位下相当。(伊藤脚注)

(注)治部少丞:治部省の三等官。従六位上相当。(伊藤脚注)

(注)府を発ちて:大宰府を発って。

(注)家持:この時十三歳。旅人の名代として見送ったもの。(伊藤脚注)

(注)夷守(ひなもり)の駅家(うまや):所在不明。福岡県糟屋郡粕谷町内か。(伊藤脚注)

 

 大伴旅人の動静もこういった左注からもうかがい知ることが出来るのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会