●歌は、「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」である。
●歌をみていこう。
◆春野尓 須美礼採尓等 來師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
(山部赤人 巻八 一四二四)
≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝(ね)にける
(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、明治十二年に立てられた歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その417)」で紹介している。
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■■岐阜県万葉歌碑巡り 10月19日■■
ホテル→養老公園・元正天皇行幸遺跡(1)(2)→養老神社→(滋賀県近江八幡市牧町 水茎の岡)→自宅
※個別の歌碑の紹介ならびに歌の解説は後日行う予定です。ご了承下さい。
「養老町の歴史文化資源HP「養老町の歴史文化資源」の「養老公園石碑コース」には、「時間18分2秒」・「距離 1.66km」とある。コース略地図と各石碑の写真が載っている。「養老公園マップ」に載っている「元正太上帝万葉歌碑」や「元正天皇行幸遺跡」の万葉歌碑がこのコースには含まれていない。
万葉歌碑巡りであるから、「元正太上帝万葉歌碑」ならびに「元正天皇行幸遺跡」をスタートに養老の滝まで散策すれば良いと考え、養老入口駐車場から「T」字に歩く作戦を取る。(駐車場→<北原白秋歌碑>→「元正太上帝万葉歌碑」→<北原白秋歌碑>→「養老の滝」→<北原白秋歌碑>→駐車場)
養老公園入口駐車場に車を停める。<北原白秋歌碑>あたりを右折、「不老が池」を経由「元正天皇行幸遺跡」に到着。「元正天皇行幸遺跡」の背面の家持の歌を撮影。すぐ後ろにある「元正太上天皇万葉歌碑」も撮影。
先達のブログによると「養老公園・『元正天皇行幸遺跡』」としてこの2つの歌碑が紹介されている。
「養老公園マップ」や現地の案内板でも「元正天皇行幸遺跡」と「元正太上帝(・)万葉歌碑」は略図とはいえかなり距離があるイメージで書かれている。
通りすがりの地元の方3人ほどに「元正太上帝(・)万葉歌碑」を尋ねるもご存じでなかった。この遺跡を起点に3ルートがあるが3ルートとも探索しても見つからなかった、これがまた結構な坂道ときているので足・腰にはきついのである。諦めて養老神社、養老の滝を目指す。
養老神社の長い石段を上り、「笠萬誓萬葉歌碑」にやっと出会う。
そこから滝までのルートは橋が3つあるので、あみだくじのようなものである。どのルート上に万葉歌碑があるのか見当がつかない。
滝まで「あと400m」とあったが、もう限界である。
結局諦めて引き返したのである。
引き返してくる途中、工事現場に県の職員の方がおられたので「元正太上帝万葉歌碑」を聞いてみた。この辺りの開発に携わっていたので、以前見たような気がすると、おっしゃった上で、行ってみましょうとのお言葉。何とその方の車に乗せていただき再び遺跡近くまで戻ったのである。
心当りを、車で探していただいたのであるが、結局分からずじまいに終わった。
歌碑の案内も、旅行者の目線になってないと、までおっしゃり、見つからなかったことに「お役に立てずに・・・」と申し訳なさそうにおっしゃっていたのが印象的であった。こちらの方が、かえって恐縮してしまった。
有り難いことである。
万葉歌碑巡りではいろいろな方との出会いがあるが、これも万葉歌碑ならではかもしれない。
養老公園の万葉歌碑六基中、三基という残念な結果であったが、なぜか清々しい気持ちで、行って良かったという満足感に浸ることが出来たのである。
たかが万葉歌碑、されど万葉歌碑。
■番外編■
名神経由で帰るので、このままでは悔しいと、これまで二度挑戦し、見つけることが出来なかった近江八幡市の「水茎の岡の万葉歌碑」に三度目の挑戦をしてみた。
近江八幡市の総合政策部観光政策課の方にお送りいただいた資料をもとに、ひょっとして草木が刈られ歌碑に出会えるのではと密かに期待して行ったのである。
笹が身の丈ほどに伸びており、ここではと見当をつけ少し笹をかき分け、足で踏みつけ道を作りつつ進むが、笹、笹、笹。今回も徒労に終わったのである。
先達のブログ等の写真では美しい姿で写っているのに・・・。
また、機会をみて来よう。いつか出逢える日を夢見て。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「養老町の歴史文化資源>養老公園石碑コース」 (養老町の歴史文化資源HP)
★「養老公園マップ」