万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1811)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(23)―万葉集 巻七 一三一一

●歌は、「橡の衣は人皆事なしと言ひし時より着欲しく思ほゆ」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(23)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(23)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆橡 衣人皆 事無跡 日師時従 欲服所念

      (作者未詳 巻七 一三一一)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)は人(ひと)皆(みな)事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ

 

(訳)橡染(つるばみぞ)めの着物は、世間の人の誰にも無難に着こなせるというのを聞いてからというもの、ぜひ着てみたいと思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※古くは「つるはみ」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことなし【事無し】形容詞:①平穏無事である。何事もない。②心配なことがない。③取り立ててすることがない。たいした用事もない。④たやすい。容易だ。⑤非難すべき点がない。欠点がない。(学研) ここでは④の意 ➡「男女間のわずらわしさがない」の譬え

 

 「橡の衣」を身分の低い女性に喩え、身分違いのそのような気安い(着やすい)女性を妻にしたいと考えている男の歌である。日頃の思いと逆に逃避した心境であろうか。

 

 この歌ならびに「橡」を詠んだ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その597)」で紹介している。

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 「つるはみ」は、万葉集では六首詠まれている。他の五首を改めてみてみよう。

 

◆橡 解濯衣之 恠 殊欲服 此暮可聞

       (作者未詳 巻七 一三一四)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の解(と)き洗(あら)ひ衣(きぬ)のあやしくもことに着欲(きほ)しきこの夕(ゆうへ)かも

 

(訳)橡(つるはみ)の洗いざらしの着物が、我ながら不思議に、格別に着てみたくてならない、今日のこの夕暮れよ。(同上)

(注)解(と)き洗(あら)ひ衣(きぬ):昔から慣れ親しんできた身分の低い女の譬え。(伊藤脚注)

 

 

◆橡之 袷衣 裏尓為者 吾将強八方 君之不来座

(作者未詳 巻十二 二九六五)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の袷(あわせ)の衣(ころも)裏(うら)にせば我(わ)れ強(し)ひめやも君が来まさぬ

 

(訳)橡色の袷(あわせ)の着物、その着物を裏返すように、私にはもう用がないというのなら、私としたことが無理強いしたりするものか。いくら待ってもあの方はおいでにならない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「橡の袷(あわせ)の衣(ころも)」は「裏(うら)にせば」を起こす。袷(あわせ)だから裏がある。(伊藤脚注)

 

 

◆橡之 一重衣 裏毛無 将有兒故 戀渡可聞

(作者未詳 巻十二 二九六八)

 

≪書き下し≫橡の一重(ひとへ)の衣(ころも)うらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも

 

(訳)橡色の一重の着物、その着物に裏がないように、さっぱりその気もない子であるのに、綿足はずっと焦がれている。(同上)

(注)上二句は序。「うらもなく」を起こす。「うら」は、下との関係では心の意。(伊藤脚注)

 

 

◆橡之 衣解洗 又打山 古人尓者 猶不如家利

(作者未詳 巻十二 三〇〇九)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほ及(し)かずけり

 

(訳)橡染めの地味な着物を解いて洗ってまた打つという、真土山の名のような、本(もと)つ人―――古馴染の女房には、やっぱりどの女も及ばなかったわい。(同上)

(注)上二句は、マタ打ツ意で「真土」を、上三句は、マツチの類音で「本(もと)つ」を起こす序。(伊藤脚注)

 

 この歌については、和歌山県橋本市隅田町真土古道飛び越え石への途中の歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1422)」で紹介している。

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◆久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母

      (大伴家持 巻十八 四一〇九)

 

≪書き下し≫紅(くれなゐ)はうつろふものぞ橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも

 

(訳)見た目鮮やかでも紅は色の褪(や)せやすいもの。地味な橡(つるばみ)色の着古した着物に、やっぱりかなうはずがあるものか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)紅:紅花染。ここでは、遊女「左夫流子」の譬え

(注)橡(つるはみ)のなれにし衣(きぬ):橡染の着古した着物。妻の譬え(伊藤脚注)

(注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※ 古くは「つるはみ」。(学研)

 

 この歌については、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館の庭の歌碑(プレート)とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その834)」で紹介している。

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「橡の衣」の本質を踏まえ、身分の低い女に喩えたのが、一三一一、一三一四歌、その地味さ・馴染の良さでもって古女房に喩えたのが、三〇〇九、四一〇九歌である。

二九六五、二九六八歌は、衣の種類から「裏」の有無を譬えたものであり、その衣が「橡の衣」であったということである。

 いずれにしても、日常ありふれた素材から巧みな譬えを引き出す万葉びとの観察力・感性には驚かされる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★{weblio古語辞典 学研全訳古語辞典}

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会