万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1814)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(26)―万葉集 巻十 二二九一

●歌は、「朝咲き夕は消ぬる月草の消ぬべき恋も我れはするかも」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(26)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(26)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆朝開 夕者消流 鴨頭草乃 可消戀毛 吾者為鴨

      (作者未詳 巻十 二二九一)

 

≪書き下し≫朝(あした)咲き夕(ゆうへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも

 

(訳)朝咲いても夕方にはしぼんでしまう露草のように、身も消え果ててしまいそうな恋、そんなせつない恋を私はしている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「消ぬ」を起こす。「月草」は露草。(伊藤脚注)

(注の注)つきくさの【月草の】分類枕詞:月草(=つゆくさ)の花汁で染めた色がさめやすいところから「移ろふ」「移し心」「消(け)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌ならびに万葉集に収録されている「月草」の歌九首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1207)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

「万葉植物物語」 広島大学附属福山中・高等学校/編著 (中国新聞社)には「つゆくさ」について、「万葉集に詠まれているのは、いずれも染料にかかわる歌です。「つきくさ(月草)」は『着く草』の意で、染料にするという習慣をあらわした名前です。また、ツユクサは、朝露とともに咲き、露が消える頃にはしぼんでしまう花の状態を言ったものだとも思われます。男女の恋のうつろいやすさにたとえることにもなります。ツユクサの青く澄んだ色素は水に溶けて流れるので、昔から友禅染の下絵を描くのに利用されています。(後略)」と書かれている。

 

 「ツユクサ」は庭で花をつけていることがあるが、雑草としてしか見ていないので、抜いてしまうことが多い。しかし改めてじっくりツユクサをながめて見ると、万葉時代からの歴史を背負っている、しかも歌に詠み込まれることによってその時代の生活をも読み取れるんだとよって誇らしく語りかけて来るのである。

20220916撮影

 

 改めて「月草」の詠まれている歌を並べてじっくりみてみよう。

 

 

月草(つきくさ)のうつろひやすく思へかも我(あ)が思ふ人の言(こと)も告げ来(こ)ぬ(坂上大嬢 巻四 五八三)

 

◆月草(つきくさ)に衣(ころも)ぞ染(そ)むる君がため斑(まだら)の衣(ころも)摺(す)らむと思ひて(作者未詳 巻七 一二五五)

 

◆月草(つきくさ)に衣(ころも)色どり摺(す)らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ(作者未詳 巻七 一三三九)

 

◆月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露(あさつゆ)に濡(ぬ)れての後(のち)はうつろひぬとも(作者未詳 巻七 一三五一)

 

◆朝露(あさつゆ)に咲きすさびたる月草(つきくさ)の日くたつなへに消(け)ぬべく思ほゆ(作者未詳 巻十 二二八一)

 

◆朝(あした)咲き夕(ゆうへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも(作者未詳 巻十 二二九一)

 

月草の借(か)れる命(いのち)にある人をいかに知りてか後(のち)も逢はむと言ふ(作者未詳 巻十一 二七五六)

 

◆うちひさす宮にはあれど月草(つきくさ)のうつろふ心我(わ)が思はなくに(作者未詳 巻十二 三〇五八)

 

月草そのもの、月草で染めた生活感覚からの思いを織り込んでたくみに詠っている万葉びとの観察力や経験値を歌に活かす知恵にはただただ驚かされる。

 

「植物で見る万葉の世界」(國學院大學 萬葉の花の会 著)の「概説 万葉植物 櫻井 満氏」に次の様に興味深いことが書かれている。

「万葉の時代には、『古事記』『日本書記』『風土記』『懐風藻』などの古典がある。たとえば唐の国花として百花の王ともてはやされた『牡丹』は、万葉にはもちろんのこと、記・紀・懐風藻にもみえないが、『出雲国風土記』にみえる。また、奈良に都が遷って間もないころに、中国から渡来した『菊』は、万葉・記・紀にはみられないが、『懐風藻』には表現されている。・・・万葉にも記・紀・風土記懐風藻にもみえない『柿』は『正倉院文書』に『干柿』がみえ、平城宮跡などから柿の種子が発見されているのである。・・・」

さらに「『万葉集』の3分の1もの歌に植物がかかわっているということは、万葉の時代の風土と生活を伝えるものである。しかし、その歌はあくまで植物が詠み込まれているということで、植物を主題として詠みあげられた歌はむしろ少ないのである。」とも書かれている。

 

 『出雲国風土記』を検索してみると、意宇(オウ:現在の安来付近あたり)の山野の草木として「牡丹」があげられている。また、直接関係はないが、島根県HPの「しまねがイチバン」には、「松江市八束町のぼたん生産量は年間約64万5千本(平成27年・苗木)で日本一。ヨーロッパやアメリカなどにも輸出されている。シーズン(4〜5月)になると、色とりどりの大輪の花があふれる。」と書かれている。

 

 「菊」に関しては、万葉集で詠まれている「ももよぐさ」がキクではという説もある。これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1174)」で紹介している。

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これまでいくつかの万葉植物園を見てきたが、現地では歌碑やプレートに目が行き、植物をじっくりみてはこなかった。歌を通して植物を、植物を通して歌を、さらに理解を深めて行こうと思う。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉植物物語」 広島大学附属福山中・高等学校/編著 (中国新聞社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会

★「島根県HP」