万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1815)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(27)―万葉集 巻九 一七三〇

●歌は、「山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(27)万葉歌碑(藤原宇合

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(27)にある。

 

●歌をみていこう。

 

一七二九から一七三一歌の題詞は、「宇合卿歌三首」<宇合卿(うまかひのまへつきみ)が歌三首>である。

 

◆山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武

      (藤原宇合 巻九 一七三〇)

 

≪書き下し≫山科(やましな)の石田(いはた)の小野(をの)のははそ原見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ

 

(訳)山科の石田の小野のははその原、あの木立を見ながら、あの方は今頃独り山道を越えておられるのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)石田:京都府山科区の南部

(注)ははそ【柞】名詞:なら・くぬぎなど、ぶな科の樹木の総称。紅葉が美しい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その553)」で紹介している。

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 藤原宇合の六首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1365)」で紹介している。

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 「ははそ」を詠った歌は、万葉集では三首収録されている。後の二首は家持の歌である。

 みてみよう。

 

題詞は、「慕振勇士之名歌一首 并短歌」<勇士の名を振(ふる)はむことを慕(ねが)ふ歌一首 幷(あは)せて短歌」である。

 

◆知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母

         (大伴家持 巻十九 四一六四)

 

≪書き下し≫ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命(みこと) おほろかに 心尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射(い)わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩(は)き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏(ふ)み越え さしまくる 心障(さや)らず 後(のち)の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも

 

(訳)ちちの実の父の命も、ははそ葉の母の命も、通り一遍にお心を傾けて思って下さった、そんな子であるはずがあろうか。されば、われらますらおたる者、空しく世を過ごしてよいものか。梓弓の弓末を振り起こしもし、投げ矢を持って千尋の先を射わたしもし、剣太刀、その太刀を腰にしっかと帯びて、あしひきの峰から峰へと踏み越え、ご任命下さった大御心のままに働き、のちの世の語りぐさとなるよう、名を立てるべきである。(同上)

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。(学研)

(注)ははそばの【柞葉の】分類枕詞:「ははそば」は「柞(ははそ)」の葉。語頭の「はは」から、同音の「母(はは)」にかかる。「ははそはの」とも。(学研)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。(学研)

(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 ※ここでは、文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは、③の意

(注)さし【差し】接頭語:動詞に付いて、意味を強めたり語調を整えたりする。「さし仰(あふ)ぐ」「さし曇る」(学研)

(注)まく【任く】他動詞:①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で紹介している。

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もう一首の題詞は、「陳防人悲別之情歌一首幷短歌」<防人が悲別の情(こころ)を陳(の)ぶる歌一首幷(あは)せて短歌>である。

 

◆大王乃 麻氣乃麻尓ゝゝ 嶋守尓 和我多知久礼婆 波ゝ蘇婆能 波ゝ能美許等波 美母乃須蘇 都美安氣可伎奈埿 知ゝ能未乃 知ゝ能美許等波 多久頭努能 之良比氣乃宇倍由 奈美太多利 奈氣伎乃多婆久 可胡自母乃 多太比等里之氐 安佐刀埿乃 可奈之伎吾子 安良多麻乃 等之能乎奈我久 安比美受波 古非之久安流倍之 今日太尓母 許等騰比勢武等 乎之美都々 可奈之備麻勢婆 若草之 都麻母古騰母毛 乎知己知尓 左波尓可久美為 春鳥乃 己恵乃佐麻欲比 之路多倍乃 蘇埿奈伎奴良之 多豆佐波里 和可礼加弖尓等 比伎等騰米 之多比之毛能乎 天皇乃 美許等可之古美 多麻保己乃 美知尓出立 乎可之佐伎 伊多牟流其等尓 与呂頭多妣 可弊里見之都追 波呂ゝゝ尓 和可礼之久礼婆 於毛布蘇良 夜須久母安良受 古布流蘇良 久流之伎毛乃乎 宇都世美乃 与能比等奈礼婆 多麻伎波流 伊能知母之良受 海原乃 可之古伎美知乎 之麻豆多比 伊己藝和多利弖 安里米具利 和我久流麻埿尓 多比良氣久 於夜波伊麻佐祢 都ゝ美奈久 都麻波麻多世等 須美乃延能 安我須賣可未尓 奴佐麻都利 伊能里麻乎之弖 奈尓波都尓 船乎宇氣須恵 夜蘇加奴伎 可古等登能倍弖 安佐婢良伎 和波己藝埿奴等 伊弊尓都氣己曽

      (大伴家持 巻二十 四四〇八)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 島守(そまもり)に 我が立(た)ち来(く)れば ははそ葉(ば)の 母の命(みこと)は み裳(も)の裾(すそ) 摘(つ)み上(あ)げ掻(か)き撫(な)で ちちの実(み)の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白(しら)ひげの上(うへ)ゆ 涙垂(なみだた)り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただひとりして 朝戸出(あさとで)の 愛(かな)しき我(あ)が子 あらたまの 年の緒(を)長く 相(あひ)見ずは 恋(こひ)しくあるべし 今日(けふ)だにも 言(こと)どひせむと 惜(を)しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲(かく)み居(ゐ) 春鳥(はるとり)の 声のさまよひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)泣き濡(ぬ)らし たづさはり 別れかてにと 引き留(とど)め 慕ひしものを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 玉桙(たまぼこ)の 道に出で立ち 岡(おか)の崎(さき) い廻(た)むるごとに 万(よろづ)たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来(く)れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命(いのち)も知らず 海原(うなはら)の 畏(かしこ)き道を 島伝(づた)ひ い漕(こ)ぎ渡りて あり廻(めぐ)り 我が来るまでに 平(たひら)けく 親(おや)はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉(すみのゑ)の 我(あ)が統(す)め神(かみ)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 祈(いの)り申(まを)して 難波津(なにはづ)に 船を浮け据(す)ゑ 八十(やそ)楫(か)貫(ぬ)き 水手(かこ)ととのへて 朝開(あさびら)き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ

 

(訳)大君の仰せのままに、島守として私が家を出て来た時、ははその母の君はみ裳の裾をつまみ上げて私の顔を撫で、ちちの実の父の君は栲づのの白いひげ伝いに涙を流して、こもごも嘆いておっしゃることに、「鹿の子のようにただひとり家を離れて朝立ちして行くいとしい我が子よ、年月久しく逢わなかったら恋しくてやりきれないだろう、せめて今日だけでも存分に話をしよう」と、名残を惜しみながら悲しまれると、妻や子たちもあちらからこちらからいっぱいに私を取り囲んで、春鳥の鳴き騒ぐようにうめき声をあげてせつながり、白い袖を泣き濡らして、手に取り縋って別れるのはつらいと私を引き留め追って来たのに、大君の仰せの恐れ多さに旅路に出で立ち、岡の出鼻を曲がるごとに、いくたびとなく振り返りながら、こんなにはるかに別れて来ると、思う心も安らかでなく、恋い焦がれる心も苦しくてたまらないのだが・・・、生身のこの世の人間である限り、たまきはる命のほども計りがたいとはいえ、どうか、海原の恐ろしい道、その海原の道を島伝いに漕ぎ渡って、旅路から旅路へとめぐり続けて私が無事に帰って来るまで、親は親で幸福でいてほしい、妻は妻で達者でいてほしいと、我が神と縋る住吉の海の神様に幣を捧げてねんごろにお祈りをし、難波津に船を浮かべ、櫂(かい)をびっしり取り付け水手(かこ)を揃えて、朝早く私は漕ぎ出して行ったと、家の者に知らせて下さい。(同上)

(注)しまもり【島守】名詞:島の番人。(学研)

(注)ははそばの <柞葉の>:同音の「はは」の繰り返しで「母」にかかる枕詞。「ははそば」とは「ははその葉」のことで、ははそは、コナラおよびそれと似たクヌギの総称。万葉集には藤原宇合の歌に「山科の 石田の小野の ははそ原」とあり(9-1730)、ははその木が多く生えた原があったらしい。「ははそ葉の母の命」は大伴家持の歌2首にみられ(19-4164、20-4408)、「ちちの実の 父の命」と対にしてよまれている。この歌において父母を「父の命」「母の命」といった神名のごとき呼称でよむにあたって冠された語であることが知られる。(万葉神事語事典 國學院大學デジタル・ミュージアム

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。「ちちのみの父の命(みこと)」(学研)

(注)たくづのの【栲綱の】分類枕詞:栲(こうぞ)の繊維で作った綱は色が白いことから「白」に、また、その音を含む「新羅(しらぎ)」にかかる。(学研)

(注)のたぶ【宣ぶ】他動詞:「のたうぶ」に同じ。>のたうぶ【宣ぶ】他動詞:おっしゃる。「のたぶ」とも。 ▽「言ふ」の尊敬語。(学研)

(注)-じもの 接尾語:名詞に付いて、「…のようなもの」「…のように」の意を表す。「犬じもの」「鳥じもの」「鴨(かも)じもの」。 ※上代語。(学研)

(注)あさとで【朝戸出】名詞:朝、戸を開けて出て行くこと。(学研)

(注)ことどひ【言問ひ】名詞:言葉を言い交わすこと。語り合うこと。(学研)

(注)をちこち【彼方此方・遠近】名詞:①あちらこちら。②将来と現在(学研)

(注)さはに 【多に】副詞:たくさん。(学研)

(注)はるとりの【春鳥の】( 枕詞 ):春に鳴く鳥のようにの意で、「さまよふ」「音(ね)のみ泣く」「声のさまよふ」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)さまよふ【吟ふ・呻ふ】自動詞:力のない声でうめく。ため息をつく。 ※上代語。(学研)

(注)たづさはる【携はる】自動詞:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)

(注)したふ【慕ふ】他動詞:①(心引かれて)あとを追う。ついて行く。②恋しく思う。愛惜する。慕う。(学研)

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。

(注)そらなり【空なり】形容動詞:①心がうつろだ。上の空だ。②いい加減だ。あてにならない。③〔連用形「そらに」の形で〕物を見ないで。暗記していて。そらんじていて。(学研) ここでは①の意

(注)たひらけし【平らけし】形容詞:穏やかだ。無事だ。(学研)

(注)つつみなし【恙み無し】形容詞:支障がない。無事である。(学研)

(注)かぢ【楫・梶】名詞:櫓(ろ)や櫂(かい)。船をこぐ道具。(学研)   類語:真楫(まかじ)繁貫(しじぬ)く :船に左右そろった櫂 (かい) をたくさん取り付ける。(goo辞書)

(注)かこ【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その548)」で紹介している。

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■■■岐阜県万葉歌碑巡り第二段■■■

 18,19日に岐阜県の万葉歌碑巡りを行なったが、養老町HP「養老町の歴史文化資源>養老公園石碑コース」の「12 万葉歌碑(養老公園石碑コース用)」の「詳細」に「養老公園の養老六古碑の一つです。聖武天皇天平12年(740)養老へ行幸されました。この行幸に同行した大伴東人と大伴家持元正天皇の養老美泉行幸を思い出し歌を詠みました。この歌は共に万葉集に収録されており、この碑は近世に笠松郡代所の15名が連名で建てました。」と書かれている。

 「養老公園マップ」や現地の養老公園案内板に載っている「元正太上万葉歌碑」や「元正天皇行幸遺跡」の万葉歌碑が「養老公園石碑コース」には含まれていない。

 「元正天皇行幸遺跡」にあったのは「元正太上天皇万葉歌碑」であったので、略地図に書かれている位置からみて、「元正太上万葉歌碑」を「12 万葉歌碑(養老公園石碑コース用)」と勝手に思い込んでいたようである。

 結局19日は、「元正天皇行幸遺跡」周辺をあちこち歩きまわったが見つけることが出来ず、またその疲労が蓄積し、養老の滝近辺の2つの歌碑を探すパワーが残っていなかった。

 さらに、山県市長滝の甘南美寺の歌碑をパスしていたという大失態に気付いた。

 これらの歌碑リベンジはもう執念みたいなもの。全国旅行支援を活用すればコスト的には再挑戦すべきと判断、1週間後の25、26日の再挑戦となったのである。

 

 「元正太上万葉歌碑」は「元正太上天皇万葉歌碑」のことであり、「12 万葉歌碑(養老公園石碑コース用)」とは異なる、原点に戻り「12」の碑の位置を確認し、そこから再挑戦を行なった。

 養老公園入口駐車場に車を停める。簡単には行かなかったが、「芭蕉句碑」のすぐそばの「12 万葉歌碑(養老公園石碑コース用)」の碑に巡り逢えたのである。

大伴家持・東人万葉歌碑

 ブログなどの写真や案内図等から、身の丈以上はあるような石碑をこれまた勝手に想像していたのであるが、こじんまりした、しかし、歴史の重みを感じさせる碑であった。

 

 養老公園入口駐車場から養老の滝駐車場に移動する。ここは駐車料金500円が必要である。入り口で料金を支払うと、おばさんが「一番奥に停めると良いですよ。そこから階段を下りて行くと滝です。」と教えてくれた。

 途中濃尾平野もながめながら階段を下りて行く。足腰の悪い家内もストックや手すりを使いながらゆっくりと下りて行く。

濃尾平野の遠望

 ようやく滝に到着。今までの疲れが吹っ飛ぶ。

養老の滝と右下「田中大秀翁養老美泉辨碑」

 滝つぼ近くの「田中大秀翁養老美泉辨碑」とその手前の「続日本紀等銘文碑」を撮影することが出来た。

続日本紀等銘文碑」

 

 養老公園の次は山県市の甘南美寺である。

 

 約1時間のドライブである。結構山あいに入って行く。やがて伊自良湖が右手に。その先に異空間の世界のような寺院が迎えてくれる。

 参道石段を上りながらおごそかな雰囲気に身が包まれる思いである。

 突然、静寂を破りけたたましい番犬の鳴き声。寺務所前に繋がれているが、人恋しいのか、我々が怪しいのかは分からないが、鳴きながら飛び跳ねている。

 歌碑を探すべく参道を上りきり境内を散策するも見当たらない。仕方なく下りて行き、犬にほえたてられながらも、寺務所で尋ねる。200mほど下の寺名碑の下に歌碑があると教えていただく。

白華山甘南美寺名碑と万葉歌碑


 ミッション完了。岐阜駅近くのホテルに。

 今日のミッションは、「ぎふ旅コイン」の消化である。楽しく買い物をして無事に岐阜県万葉歌碑巡り第2弾を終了したのである。

ぎふ旅コイン



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「goo辞書」

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタル・ミュージアムHP)

★「養老町の歴史文化資源>養老公園石碑コース」 (養老町HP)

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会