●歌は、「妻ごもる矢野の神山露霜ににほひそめたり散らまく惜しも」である。
●歌をみていこう。
◆妻隠 矢野神山 露霜尓 々寶比始 散巻惜
(柿本人麻呂歌集 巻十 二一七八)
≪書き下し≫妻ごもる矢野(やの)の神山(かみやま)露霜(つゆしも)ににほひそめたり散らまく惜(を)しも
(訳)妻と隠(こも)る屋(や)というではないか、矢野の神山は、冷え冷えとした露が降りて美しく色づきはじめた。このもみじの散るのが、今から惜しまれてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)つまごもる【夫籠もる・妻籠もる】( 枕詞 ):①物忌みなどのため「つま」のこもる屋の意で、「屋上(やかみ)の山」「矢野の神山」にかかる。②地名「小佐保(おさほ)」にかかる。かかり方未詳。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)矢野:所在未詳。諸所にみえる地名。(伊藤脚注)
(注)にほふ【匂ふ】自動詞:美しく染まる。(草木などの色に)染まる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については兵庫県相生市矢野町森の磐座神社の万葉歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その684)」で紹介している。
➡ こちら684
八幡神社の住所は、愛媛県八幡浜市矢野町 神山510になっている。「矢野」の地名に基づき歌碑が建てられたのであろう。もっとも。同神社の「由緒」には、「當神社の社叢境内一帯は、古来歌枕「矢野神山」として世に知られ、最古の歌集萬葉集に、柿本人麻呂の歌(巻十・第二一七八番)を始め、歴代の勅撰和歌集、有名歌集に数多くの名歌をせ載られた名山旧跡であります。」と書かれている。
当初9月20、21日に愛媛県万葉歌碑巡りの計画をたてたが、「過去に例がない危険」を伴う台風14号(2022)に一時は中止もやむないと考えるようになったが、台風の進路予報、八幡浜市の天気予報などから最終的に1日ずらせて21、22日に変更・決行した。
西予市三滝公園万葉の道の次は、八幡浜市矢野町神山八幡神社である。
八幡浜市市民文化センターの駐車場に車を停める。街中であるが、同センターの東側に小高い山がある。この山に八幡神社が鎮座している。
参道は結構急な上り石段である。足腰の悪い家内は、ここでも参道入口で待機である。
一人参道石段を上る。ようやく社殿にたどり着く。
社殿右手前に「万葉史蹟矢野神山」の碑がある。歌碑が見当たらない。
社殿の奥を探してみようと裏側に回り込む。坪庭のようなところに真新しい歌碑が立てられていた。歌碑を見て見ると平成二年に立て直したようである。
本稿の巻末歌は、巻十七から巻二十である。みてみよう。
■■巻末歌 巻十七~二十■
■巻十七 四〇三一歌■
題詞は、「造酒歌一首」<造酒(ざうしゆ)の歌一首>である。
(注)造酒りは秋が普通。これは春の歌。めでたい歌を巻末歌としたものか。(伊藤脚注)
◆奈加等美乃 敷刀能里等其等 伊比波良倍 安賀布伊能知毛 多我多米尓奈礼
(大伴家持 巻十七 四〇三一)
≪書き下し≫中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと)言ひ祓(はら)へ贖(あか)ふ命(いのち)も誰(た)がために汝(な)れ
(訳)中臣の太祝詞言(ふとのりとごと)、その祝詞言を恭(うやうや)しく称(とな)えて穢(けが)れを祓い、御酒(ごしゅ)を捧(ささ)げて長かれと祈る私の命、この命は誰のためのものなのか、ほかでもない、みんなあなたのため。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと):中臣氏が管理する祝詞。「太」は讃め言葉。(伊藤脚注)
(注)言ひ祓(はら)へ贖(あか)ふ命(いのち):称(とな)えて穢れを祓い酒を捧げて長かれと祈る命。(伊藤脚注)
(注)あがふ【贖ふ】他動詞:①金品を代償にして罪をつぐなう。贖罪(しよくざい)する。②買い求める。 ※上代・中古には「あかふ」。後に「あがなふ」とも。(学研)
(注)誰(た)がために汝(な)れ:誰のためかというと、そなたのためなのだぞ。(伊藤脚注)
左注は、「右大伴宿祢家持作之」<右は、大伴宿禰家持作る>である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1707)」で紹介している。
➡ こちら1707
■巻十八 四一三八歌■
題詞は、「縁檢察墾田地事宿礪波郡主帳多治比部北里之家 于時忽起風雨不得辞去作歌一首」<墾田地(こんでんぢ)を検察する事によりて、礪波(となみ)の郡(こほり)主帳(しゆちやう)多治比部北里(たぢひべのきたさと)が家に宿る。時に、たちまちに風雨起(おこ)り、辞去すること得ずして作る歌一首>である
(注)こんでん【墾田】:律令制下、新たに開墾した田。朝廷が公民を使役して開墾した公墾田と、有力社寺や貴族・地方豪族が開墾した私墾田がある。はりた。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ここでは庶民の開墾した土地。
(注)主帳:郡の四等官。公文に関する記録等をつかさどる。
◆夜夫奈美能 佐刀尓夜度可里 波流佐米尓 許母理都追牟等 伊母尓都宜都夜
(大伴家持 巻十八 四一三八)
≪書き下し≫薮波(やぶなみ)の里に宿(やど)借り春雨(はるさめ)に隠(こも)りつつむと妹(いも)に告(つ)げつや
(訳)薮波の里で宿を借りた上に、春雨に降りこめられていると、我がいとしき人に知らせてくれましたか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)や 係助詞 《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。:文末にある場合。①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。:。(学研)ここでは②の意
左注は、「二月十八日守大伴宿祢家持作」<二月の十八日に、守大伴宿禰家持作る>である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その859)」で紹介している。
➡ こちら859
■巻十九 四二九二歌■
◆宇良ゝゝ尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比登里志於母倍婆
(大伴家持 巻十九 四二九二)
≪書き下し≫うらうらに照れる春日(はるひ)にひばり上(あ)がり心悲(かな)しもひとりし思へば
(訳)ぼんやりと照っている春の光の中に、ひばりがつーん、つーんと舞い上がって、やたらと心が沈む。ひとり物思いに耽(ふけ)っていると。(同上)
(注)うらうらに:やわらかくほんのりしてかすんでいる様子。左注の「遅ゝ(ちち)」に同じ。
序詞は、「廿五日作歌一首」<二十五日に作る歌一首>である。
左注は、「春日遅ゝ鶬鶊正啼 悽惆之意非歌難撥耳 仍作此歌式展締緒 但此巻中不偁作者名字徒録年月所處縁起者 皆大伴宿祢家持裁作歌詞也」<春日遅ゝ(ちち)にして鶬鶊(さうかう)正(ただに)啼(な)く 悽惆(せいちう)の意、歌にあらずしては撥(はら)ひかたきのみ。よりて、この歌を作り、もちて締緒(しめを)を展(の)ぶ。 但し、この巻の中に作者の名字を偁(い)はずして、ただ、年月所處(しょしょ)縁起のみを録(しる)せるは、皆大伴宿祢家持が裁作(つくる)歌詞なり。>である。
(訳)春の日はうららかに、うぐいすは今まさに鳴いている。悲しみの心は、歌でないと払いのけられない。そこでこの歌をつくって、鬱屈したこころを散じるのである。ただし、この巻の中で、作者の名字を示さず、ただ年月と事情だけを記してあるのは、みな大伴宿祢家持の作った歌である。(神野志隆光氏訳)
(注)春日遅ゝにして:暮近い日光の遅く進むさま。
(注)鶬鶊(さうかう):鴬の類
(注)悽惆(せいちう):痛み悲しむ心
(注)この歌:四二九〇~四二九二 春愁を詠う三首。春愁三首と呼ばれる。
(注)締緒(しめを):固定するためのひも。笠についている紐など
この歌は。家持が越中守から都に帰任した翌々春の二月二五日につくった歌である。
天平勝宝三年(751年)八月、家持は少納言となり、希望に胸をふくらませて越中から都に戻って来たのだが、都は不安な様相を帯びていた。藤原仲麻呂の台頭の頃である。家持が身を寄せるべき橘諸兄は、仲麻呂の巧みな謀略により、影が薄くなっていた。
このような憂うべき現状が「春愁三首」の背景にあると思われる。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その34改)」で紹介している。
➡ こちら34改
■巻二十 四五一六歌■
題詞は、「三年春正月一日於因幡國廳賜饗國郡司等之宴歌一首」<三年の春の正月の一日に、因幡(いなば)の国(くに)の庁(ちやう)にして、饗(あへ)を国郡の司等(つかさらに)賜ふ宴の歌一首>である。
(注)三年:天平宝字三年(759年)
(注)饗:国守は、元日に国司・郡司と朝拝し、その賀を受け饗を賜うのが習い。(伊藤脚注)
◆新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
(大伴家持 巻二十 四五一六)
≪書き下し≫新(あらた)しき年の初めの初春(はつはる)の今日(けふ)降る雪のいやしけ吉事(よごと)
(訳)新しき年の初めの初春、先駆けての春の今日この日に降る雪の、いよいよ積もりに積もれ、佳(よ)き事よ。(同上)
(注)上四句は実景の序。「いやけし」を起す。正月の大雪は豊年の瑞兆とされた。(伊藤脚注)
(注)いやしく【弥頻く】自動詞:ますます重なる。いよいよさかんになる。(学研)
左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は、守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。
上野 誠氏は、その著「万葉集講義」(中公新書)の中で、「一つよいことがあった(新年はめでたい)。さらにもう一つよいことがあった(その新年の吉兆を表す雪が降った)。だったら、さらによいことが続くはずだ、と家持はいいたいのである。」と解説されている。
将来への予祝をこめるこの歌でもって万葉集は閉じているのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」