万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1848~1850)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(13~15)―万葉集 巻十三 三三一四、巻八 一六二九、巻八 一四三五

―その1848―

●歌は、「つぎねふ山背道を人夫の馬より行くに己夫し徒歩より行けば・・・」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(13)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(13)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆次嶺経 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背

        (作者未詳 巻十三 三三一四)

 

≪書き下し≫つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ そこ思(おも)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と 我(わ)が持てる まそみ鏡に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買(か)へ我(わ)が背

 

(訳)つぎねふ山背道 山背へ行くその道を、よその夫は馬でさっさと行くのに、私の夫はとぼとぼと足で行くので、そのさまを見るたびに泣けてくる。そのことを思うと心が痛む。母さんの形見として私がたいせつにしている、まそ鏡に蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ)、これを品々に添えて負い持って行き、馬を買って下さい。あなた。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)つぎねふ 分類枕詞:地名「山城(やましろ)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)より 格助詞《接続》体言や体言に準ずる語に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段・方法〕…で。④〔比較の基準〕…より。⑤〔範囲を限定〕…以外。…より。▽多く下に「ほか」「のち」などを伴って。⑥〔原因・理由〕…ために。…ので。…(に)よって。⑦〔即時〕…やいなや。…するとすぐに。

※参考(1)⑥⑦については、接続助詞とする説もある。(2)上代、「より」と類似の意味の格助詞に「よ」「ゆ」「ゆり」があったが、中古以降は用いられなくなり、「より」のみが残った。(学研) ここでは③の意。

(注)まそみかがみ 【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)

(注)蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ):トンボの羽のように透き通った上等な領布上代の婦人の装身具。(学研)

 この歌は、三三一四歌(長歌)と三三一五、三三一七歌(反歌)と三三一六歌として三三一五歌の「或る本の反歌」の構成でなっている。

 もうすぐ11月22日(いい夫婦の日)であるが、この日にマッチしたお互いが思いやる心温まる歌群である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1154)」で紹介している。

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 「つぎね」については、春日大社神苑萬葉植物園では、「ヒトリシズカ」説を、愛媛万葉苑では「フタリシズカ」説をとっている。

 万葉集では「つぎね」が詠まれているのはこの一首のみであり、「ヒトリシズカ

とも「フタリシズカ」とも言われている。また植物ではないという説もある。

 

 YomeishuHP「生薬ものしり事典」の「ヒトリシズカ」には、「類似植物に『フタリシズカ』があります。違いを見ると、まずヒトリシズカは葉が4枚接して輪生状に見えますが、フタリシズカは2、3段に対生しています。また、ヒトリシズカの花穂は1本ですが、フタリシズカは通常2本、時にはそれより多く生ずることもあります。さらに、ヒトリシズカは早春に咲きますが、フタリシズカは花期が初夏で、草丈も30~50cmと大型なので、区別がつきます。」と書かれている。



 

―その1849―

●歌は、「高円の野辺のかほ花面影に見えつつ妹は忘れかねつも」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(14)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(14)にある。

 

●歌をみていこう。

 

一六二九、一六三〇の歌群の題詞は、「大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌一首并短歌」<大伴宿禰家持、坂上大嬢に贈る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

一六二九歌からみていこう。

 

◆叩ゝ 物乎念者 将言為便 将為ゝ便毛奈之 妹与吾 手携而 旦者 庭尓出立 夕者床打拂 白細乃 袖指代而 佐寐之夜也 常尓有家類 足日木能 山鳥許曽婆 峯向尓 嬬問為云 打蝉乃 人有我哉 如何為跡可 一日一夜毛 離居而 嘆戀良武 許己念者 胸許曽痛 其故尓 情奈具夜登 高圓乃 山尓毛野尓母 打行而 遊徃杼 花耳 丹穂日手有者 毎見 益而所思 奈何為而 忘物曽 戀云物呼

     (大伴家持 巻八 一六二九)

 

≪書き下し≫ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為(せ)むすべもなし 妹(いも)と我(あ)れと 手たづさはりて 朝(あした)には 庭に出(い)で立ち 夕(ゆうへ)には 床(とこ)うち掃(はら)ひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)さし交(か)へて さ寝(ね)し夜や 常にありける あしひきの 山鳥(やまどり)こそば 峰(を)向(むか)ひに 妻どひすといへ うつせみの 人なる我れや 何(なに)すとか 一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も 離(さか)り居(ゐ)て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ故(ゆゑ)に 心なぐやと 高円(たかまど)の 山にも野にも うち行きて 遊びあるけど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れむものぞ 恋といふものを

 

(訳)つくづくと物を思うと、何と言ってよいか、どうしてよいか、処置がない。あなたと私と手と手を交わして、朝方には庭に下り立ち、夕方には寝床を払い清めては、袖を交わし合って共寝した夜が、いったいいつもあったであろうか。あの山鳥なら、谷を隔てて向かいの峰に妻どいをするというのに、この世の人である私は、何だってまあ一日一夜を離れているだけで、こんなにも嘆き慕うのであろうか。このことを思うと胸が痛んでならない。それで心のなごむこともあるかと、高円の山にも野にも、馬に鞭打って出かけて行き遊び歩いてみるけれど、花ばかりがいたずらに咲いているので、それを見るたびにいっそう思いがつのる。いったいどのようにしたら忘れることができるであろうか。この苦しい恋というものを。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ねもころに>ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形 (学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。※「さ」は接頭語。(学研)

(注)なぐ【和ぐ】自動詞:心が穏やかになる。なごむ。

 

 

◆高圓之 野邊乃容花 面影尓 所見乍妹者 忘不勝裳

       (大伴家持 巻八 一六三〇)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の野辺(のへ)のかほ花(ばな)面影(おもかげ)に見えつつ妹(いも)は忘れかねつも

 

(訳)高円の野辺に咲きにおうかお花、この花のように面影がちらついて、あなたは、忘れようにも忘れられない。(同上)

(注)かほ花:「かほばな」については、カキツバタオモダカムクゲアサガオヒルガオといった諸説がある。

 

 当時、大伴大嬢は四一六九歌の題詞、四一九八歌の左注にあるように「家婦」と呼ばれていた。「家婦」とは、「〘名〙 家の妻。また、自分の妻。家の中の仕事をする女の意でいう。」

コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版)である。

 

  この歌群は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その361)」で紹介している。

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―その1850―

●歌は、「かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(15)万葉歌碑<プレート>(厚見王

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(15)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆河津鳴 甘南備河尓 陰所見而 今香開良武 山振乃花

        (厚見王 巻八 一四三五)

 

≪書き下し≫かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花

 

(訳)河鹿の鳴く神なび川に、影を映して、今頃咲いていることであろうか。岸辺のあの山吹の花は。(同上)

(注)かはづ【蛙】名詞:①かじかがえる。かじか。山間の清流にすみ、澄んだ涼しい声で鳴く。◇「河蝦」とも書く。②かえる。[季語] 春。(学研)ここでは①の意

(注)神なび川:神なびの地を流れる川。飛鳥川とも竜田川ともいう。

 

 この歌ならびに厚見王の歌の他の歌二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1051)」で紹介している。

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 以前、佐保川の桜を見に行った時に佐保川小学校の近くの川堤で「かはず」が詠まれている歌碑に巡り合った。千鳥とかわずが忘れられないという歌である。「かはず」は河鹿のことで美しい声で鳴くという。万葉集には「かはず」を詠んだ歌が二十首ある。それだけ人の心をとらえまた一般的であったのだろう。自然の中で河鹿の鳴き声を聞いてみたいものである。

 

 佐保川小学校の近くの川堤の歌をみてみよう。

 

◆佐保河之 清河原尓 鳴知鳥 河津跡二 忘金都毛

        (作者未詳 巻七 一一二三)

 

≪書き下し≫佐保川(さほがは)の清き川原(かはら)に鳴く千鳥(ちどり)かはずと二つ忘れかねつも

 

 

(訳)佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥、そして河鹿とこの二つのものは、忘れようにも忘れられない。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その9改)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版」