万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1866~1868)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(31,32,33)―万葉集 巻九 一七四二、巻十七 四〇一六、巻八 一五八七

―その1866―

●歌は、「しなでる片足羽川のさ丹塗りの大橋の上ゆ紅の赤裳裾引き山藍もち摺れる衣着て・・・」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(31)万葉歌碑<プレート>(高橋虫麻呂

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(31)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌」<河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

       (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集柏原市HP)

(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)

(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)

(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)

(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)

 

 この歌については、大阪府柏原市上市 大和川治水記念公園の歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1033)」で紹介している。

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なお「同(その1137)」では、高橋虫麻呂の人となりにも迫るべく全歌を紹介している。

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―その1867―

●歌は、「婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(32)万葉歌碑<プレート>(高市黒人

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(32)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「高市連黑人歌一首 年月不審」<高市連黒人が歌一首 年月審らかにあらず>である。

 

◆賣比能野能 須ゝ吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊

       (高市黒人 巻十七 四〇一六)

 

≪書き下し≫婦負(めひ)の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日(けふ)し悲しく思ほゆ

 

(訳)婦負(めひ)の野のすすきを押し靡かせて降り積もる雪、この雪の中で一夜の宿を借りる今日は、ひとしお悲しく思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)婦負(めひ)の野:富山市から、その南にかけての野。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右傳誦此歌三國真人五百國是也」<右、この歌を伝誦するは、三国真人五百国(みくにのまひといほくに)ぞ>である。

(注)四〇一一から四〇一五歌の披露された場で、鷹を失った家持の悲しみに応じて唱ったものか。(伊藤脚注)

 

 四〇一六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1096)」で紹介している。

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 (注)にある四〇一一から四〇一五歌をみてみよう。

 

題詞は、「思放逸鷹夢見、感悦作歌一首幷短歌」<放逸(のが)れたる鷹(たか)を思ひて夢見(いめみ)、感悦(よろこ)びて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆大王乃 等保能美可度曽 美雪落 越登名尓於敝流 安麻射可流 比奈尓之安礼婆 山高美 河登保之呂思 野乎比呂美 久佐許曽之既吉 安由波之流 奈都能左加利等 之麻都等里 鵜養我登母波 由久加波乃 伎欲吉瀬其等尓 可賀里左之 奈豆左比能保流 露霜乃 安伎尓伊多礼婆 野毛佐波尓 等里須太家里等 麻須良乎能 登母伊射奈比弖 多加波之母 安麻多安礼等母 矢形尾乃 安我大黒尓 <大黒者蒼鷹之名也> 之良奴里奴 鈴登里都氣弖 朝猟尓 伊保都登里多氏 暮猟尓 知登理布美多氏 於敷其等邇 由流須許等奈久 手放毛 乎知母可夜須伎 許礼乎於伎氏 麻多波安里我多之 左奈良敝流 多可波奈家牟等 情尓波 於毛比保許里弖 恵麻比都追 和多流安比太尓 多夫礼多流 之許都於吉奈乃 許等太尓母 吾尓波都氣受 等乃具母利 安米能布流日乎 等我理須等 名乃未乎能里弖 三嶋野乎 曽我比尓見都追 二上 山登妣古要氏 久母我久理 可氣理伊尓伎等 可敝理伎弖 之波夫礼都具礼 呼久餘思乃 曽許尓奈家礼婆 伊敷須敝能 多騰伎乎之良尓 心尓波 火佐倍毛要都追 於母比孤悲 伊岐豆吉安麻利 氣太之久毛 安布許等安里也等 安之比奇能 乎氏母許乃毛尓 等奈美波里 母利敝乎須恵氏 知波夜夫流 神社尓 氏流鏡 之都尓等里蘇倍 己比能美弖 安我麻都等吉尓 乎登賣良我 伊米尓都具良久 奈我古敷流 曽能保追多加波 麻追太要乃 波麻由伎具良之 都奈之等流 比美乃江過弖 多古能之麻 等▼多毛登保里 安之我母乃 須太久舊江尓 乎等都日毛 伎能敷母安里追 知加久安良婆 伊麻布都可太未 等保久安良婆 奈奴可乃乎知波 須疑米也母 伎奈牟和我勢故 祢毛許呂尓 奈孤悲曽余等曽 伊麻尓都氣都流

 ▼は、女偏に「比」。「等▼多毛登保里」=とびたもとほり

       (大伴家持 巻十七 四〇一一)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)ぞ み雪降る 越(こし)と名に負(お)へる 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にしあれば 山高み 川とほしろし 野を広み 草こそ茂(しげ)き 鮎(あゆ)走(はし)る 夏の盛りと 島つ鳥(とり) 鵜養(うかひ)がともは 行く川の 清き瀬ごとに 篝(かがり)さし なづさひ上(のぼ)る 露霜(つゆしも)の 秋に至れば 野も多(さは)に 鳥すだけりと ますらをの 友誘(いざな)ひて 鷹(たか)はしも あまたあれども 矢形尾(やかたを)の 我(あ)が大黒(おほぐろ)に <大黒というは蒼鷹の名なり> 白塗(しらぬり)の 鈴取り付けて 朝猟(あさがり)に 五百(いほ)つ鳥(とり)立て 夕猟(ゆふがり)に 千鳥(ちとり)踏(ふ)み立て 追ふ毎(ごと)に 許すことなく 手放(たばな)れも をちもかやすき これをおきて またはありかたし さ慣(な)らへる 鷹(たか)はなけむと 心には 思ひほこりて 笑(ゑ)まひつつ 渡る間(あひだ)に 狂(たぶ)れたる 醜(しこ)つ翁(おきな)の 言(こと)だにも 我には告げず との曇(ぐも)り 雨の降る日を 鷹狩(とがり)すと 名のみを告(の)りて 三島野(みしまの)を そがひに見つつ 二上(ふたがみ)の 山飛び越えて 雲隠(くもがく)り 翔(かけ)り去(い)にきと 帰り来(き)て しはぶれ告(つ)ぐれ 招(を)くよしの そこになければ 言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ 思ひ恋ひ 息づきあまり けだしくも 逢(あ)ふことありやと あしひきの をてもこのもに 鳥網(となみ)張り 守部(もりへ)を据(す)ゑて ちはやぶる 神の社(やしろ)に 照る鏡 倭文(しつ)に取り添へ 祈(こ)ひ禱(の)みて 我(あ)が待つ時に 娘女(をとめ)らが 夢(いめ)に告(つ)ぐらく 汝(な)が恋ふる その秀(ほ)つ鷹(たか)は 麻都太江(まつたえ)の 浜行き暮らし つなし捕(と)る 氷見(ひみ)の江(え)過ぎて 多祜(たこ)の島 飛びた廻(もとほ)り 葦鴨(あしがも)の すだく古江(ふるえ)に 一昨日(をとつひ)も 昨日(きのふ)もありつ 近くあらば いま二日(ふつか)だみ 遠くあらば 七日(なぬか)のをちは 過ぎめやも 来なむ我が背子(せこ) ねもころに な恋ひそよとぞ いまに告(つ)げつる

 

(訳)ここは都離れた大君のお役所、み雪降る越(こし)という名そのまま、遠い鄙の地であるから、山が高くて川は雄大。野が広くて、草は茂りに茂っている。鮎が走って躍る夏の盛りともなれば、鵜(う)の手綱を繰る鵜飼たちは、ほとばしる川の清らかな瀬ごとに篝火(かがりび)を焚きながら流れを凌(しの)いでさかのぼって行く。そして露置く秋ともなれば、野原いっぱいに鳥が集まっているというので、ますらおの仲間たちを誘って、鷹といえばたくさんいるけれども、中でも逸物(いちもつ)の、矢形尾(やかたお)の我が大黒に<大黒というのは蒼鷹(おおたか)の名である>、白く光った鈴を取り付けて、朝猟に五百つ鳥を追い立て、夕猟に千鳥を踏み立てて、追うたびに取り逃がすことはなく、手から放れるのも手に舞い戻るのも思いのまま、これ以外には二つとは得がたい、これほど手慣れた鷹はほかにあるまいと、心中得意になってほそく笑みながら楽しみにして過ごしていた矢先、間抜けなろくでなしの爺(じじ)いが、一言も私には断りなしに、空一面に雲がかかって雨の降る日なんぞ、他の者に鷹狩をしますとほんの形だけ告げて出かけ、その挙句に、「大黒は三島野をうしろにしながら、二上の山を飛び越えて、雲に隠れて飛んで行ってしまいました」と、帰って来て息せき切って告げる始末、だが、呼び寄せる手だてもさしあたってないので、どう言ってようのか物の言いようもなく、心の中では火さえ燃え立つばかりで、惜しくて惜しくて溜息の抑えようもなく、ひょっとして見つかることもあろうかと、山のあちら側にもこちら側にも、鳥網を張り設けて見張りを据えて、霊験あらたかな神の社に、照り輝く鏡を倭文弊帛(しつぬさ)に取り添え、ただひたすらお祈りしながら私が帰りを待っている折しも、一人の娘子が夢に立ち現れてこう告げてくれた。「あなたが待ち焦がれているその逸物の鷹は、麻都太江(まつだえ)の浜を日暮れまで飛び続け、つなし漁をする氷見(ひみ)の入江も通り過ぎて、多祜の島あたりを飛び廻った末に、葦鴨の群れている古江に、一昨日(おととい)も昨日(きのう)もいた。早ければもう二日ほど、遅くても七日の向こうにはよもやなりますまい。かならず戻って来ますよ、あなた。そんなに根をつめて恋しがることはない」と、ありありと告げてくれた。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)み雪降る:「越」の枕詞。(伊藤脚注)

(注)とほしろし形容詞:①大きくてりっぱである。雄大である。②けだかく奥深い。◇歌学用語。(学研)ここでは①の意

(注)しまつとり【島つ鳥】分類枕詞:島にいる鳥の意から「鵜(う)」にかかる。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)

(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)ここでは①の意

(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。「つゆしもの秋」(学研)ここでは③の意

(注)矢形尾:矢羽のような八の字の斑(ふ)のある尾か。(伊藤脚注)

(注)かやすし【か易し】形容詞:①たやすい。容易だ。②軽々しい。気軽だ。 ※「か」は接頭語。(学研)

(注)またはありがたし:二つとは得難い。(伊藤脚注)

(注)たぶる【狂る】自動詞:気が狂う。(学研)

(注)とのぐもる【との曇る】自動詞:空一面に曇る。 ※「との」は接頭語。(学研)

(注)三島野:越中国府の南東、高岡市付近から射水市にかけての野。(伊藤脚注)

(注)しはぶる【咳る】自動詞:せきをする。(学研)

(注)をく【招く】他動詞:招き寄せる。呼び寄せる。(学研)

(注)をてもこのも【彼面此面】名詞:あちら側とこちら側。かなたこなた。あちこち。 ※「をちおも(遠面)このおも(此面)」の変化した語。(学研)

(注)しづ【倭文】名詞:日本固有の織物の一種。梶(かじ)や麻などから作った横糸を青・赤などに染めて、乱れ模様に織ったもの。倭文織。 ※唐から伝来した綾(あや)に対して、日本(=倭)固有の織物の意。上代は「しつ」。(学研)

(注)つなし :コノシロの幼魚の古名。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)つなし捕る:「氷見の江」の枕詞。(伊藤脚注)

(注)だみ:程度を表す副助詞。ばかり。(伊藤脚注)

 

 短歌をみていこう。

 

◆矢形尾能 多加乎手尓須恵 美之麻野尓 可良奴日麻祢久 都奇曽倍尓家流

       (大伴家持 巻十七 四〇一二)

 

≪書き下し≫矢形尾(やかたを)の鷹(たか)を手に据(す)ゑ三島野に猟(か)らぬ日まねく月ぞ経(へ)にける

 

(訳)矢形尾の鷹を手に据えて三島野で猟をすることのない日がずっと続いた末、もうツキも変わってしまった。(同上)

 

 

二上能 乎弖母許能母尓 安美佐之弖 安我麻都多可乎 伊米尓都氣追母

       (大伴家持 巻十七 四〇一三)

 

≪書き下し≫二上(ふたがみ)のをてもこのもに網(あみ)さして我が待つ鷹を夢(いめ)に告(つ)げつも

 

(訳)二上のあちら側こちら側にも網を張り設けてその帰りを私が待っている鷹、その鷹のことでお告げがあった。(同上)

 

◆麻追我敝里 之比尓弖安礼可母 佐夜麻太乃 乎治我其日尓 母等米安波受家牟

       (大伴家持 巻十七 四〇一四)

 

≪書き下し≫松反(まつがえ)りしひにてあれかもさ山田(やまだ)の翁(をぢ)がその日に求(もと)めあはずけむ

 

(訳)松の梢に戻ってしまう間抜けな鷹のように老耄(おいぼ)れてしまったせいなのか、山田の案山子(かかし)爺いがその日のうちに探し出せなかったとは。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まつがへり【松反り】[枕]:「しひ」にかかる。かかり方未詳。(webloo辞書 デジタル大辞泉

(注)しふ【癈ふ】自動詞:目や耳などの感覚がまひする。身体の器官がだめになる。老いぼれる。(学研)

(注の注)しひにて:老い耄れてしまったのか。(伊藤脚注)

(注)求めあはずけむ:探し出せなかったとは。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1374)」で紹介している。

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◆情尓波 由流布許等奈久 須加能夜麻 須加奈久能未也 孤悲和多利奈牟

       (大伴家持 巻十七 四〇一五)

 

≪書き下し≫心には緩(ゆる)ふことなく須加(すか)の山すかなくのみや恋ひわたりなむ

 

(訳)心の中ではほぐれることとてなく、須加(すか)の山の名のように、すっかりしょげ返って恋つづけることになるのであろうか。(同上)

(注)須加(すか)の山:二上山の西の山か。ここは「すかなく」の枕詞。(伊藤脚注)

(注)すかなし[形ク]:心が晴れ晴れとしない。憂鬱だ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

左注は、「右射水郡古江村取獲蒼鷹 形容美麗鷙雉秀群也 於時養吏山田史君麻呂調試失節野猟乖候 摶風之翅高翔匿雲 腐鼠之餌呼留靡驗 於是張設羅網窺乎非常奉幣神祇恃乎不虞也 粤以夢裏有娘子喩曰 使君勿作苦念空費精神 放逸彼鷹獲得未幾矣哉 須叟覺寤有悦於懐 因作却恨之歌式旌感信 守大伴宿祢家持  九月廾六日作也」<右は、射水(いみづ)の郡(こほり)の古江(ふるえ)の村(むら)にして蒼鷹(おほたか)を取獲(と)る。形容(かたち)美麗(うるは)しくして、雉(きざし)を鷙(と)ること群に秀(すぐ)れたり。時に、 養吏山田史君麻呂(やまだのふびときみまろ)、調試(てうし)節を失(うしな)ひ、野猟候(こう)に乖(そむ)く。 摶風(はくふう)の翅(つばさ)、高く翔(かけ)りて雲に匿(かく)る。腐鼠(ふそ)の餌、呼び留(とど)むるに驗(しるし)靡(な)し。ここに、羅網(らまう)を張り設(ま)けて、非常を窺(うかが)ひ、神祇(かみ)に奉幣(ほうへい)して、不虞(ふぐ)を恃(たの)む。ここに夢(いめ)の裏(うら)に娘子(をとめ)あり。喩(をし)て曰(い)はく、「使君(きみ)、苦しき念(おもひ)を作(な)して、空(むな)しく精神(こころ)を費(つひ)やすこと、勿(まな)。 放逸(のが)れたるその鷹は、獲(と)り得むこと、幾時(いくだ)もあらじ」といふ。須叟(しゆゆ)にして覺(おどろ)き寤(さ)め、懐(こころ)に悦(よろこ)びあり。よりて、恨み却(のぞ)く歌を作り、もちてを感信を旌(あらは)す。 守(かみ)大伴宿禰家持  九月の二十六日に作る。>である。

(注)候:秋から冬が鷹猟の季節。(伊藤脚注)

(注)腐鼠(ふそ)の餌:つまらぬ餌によって。(伊藤脚注)

(注)非常:万一の幸運。(伊藤脚注)

(注)ふぐ【不虞】:思いがけないこと。また、その事柄。不慮。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)使君:中国で地方官をいう語。ここは、家持をさす。(伊藤脚注)

(注)まな【勿】[副]:漢文訓読で「…することまな」の形で、…するな、…してはならぬ、の意を表す。和文では単独で「いけない」と制止する意を表す。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しゅゆ【須臾】:短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。「―も忘れず」「―の命」(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)感信:心の中に確かに感じたしるし。(伊藤脚注)

 

 

―その1868―

●歌は、「あしひきの山の黄葉今日もか浮かび行くらむ山川の瀬に」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(33)万葉歌碑<プレート>(大伴書持)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(33)にある。

 

●歌をみえいこう。

 

◆足引乃 山之黄葉 今夜毛加 浮去良武 山河之瀬尓

       (大伴書持 巻八 一五八七)

 

≪書き下し≫あしひきの山の黄葉今日(こよひ)もか浮かび行くらむ山川(やまがは)の瀬に

 

(訳)あしひきの山からのもみじ葉、このもみじ葉は、今夜もまた、はらはらと散っては浮かんで流れていることであろう。山あいの川の瀬の上に(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首大伴宿祢書持」<右の一首は大伴宿禰書持(ふみもち)>である。

 

一五八一から一五九一歌の歌群の題詞は、「橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首」<橘朝臣奈良麻呂、集宴を結ぶ歌十一首>である。

十一首すべてに「黄葉」が詠われている。すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その939)」で紹介している。

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大伴書持の歌は万葉集では十二首が収録されている。これについては、「万葉歌碑を訪ねて(その1348表①)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「歌の解説と万葉集」 (柏原市HP)

★「goo辞書」