万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1869~1871)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(34~36)―万葉集 巻二十 四四九三、巻八 一五四二、巻十 一八七九

―その1869―

●歌は、「初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(34)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(34)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎

        (大伴家持 巻二十 四四九三)

 

≪書き下し≫初春(はつはる)の初子(はつね)の今日(けふ)の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺(ゆ)らく玉の緒

 

(訳)春先駆けての、この初春の初子の今日の玉箒、ああ手に取るやいなやゆらゆらと音をたてる、この玉の緒よ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆらく【揺らく】自動詞:(玉や鈴が)揺れて触れ合って、音を立てる。 ※後に「ゆらぐ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首右中辨大伴宿祢家持作 但依大蔵政不堪奏之也」<右の一首は、右中弁大伴宿禰家持作る。ただし、大蔵の政(めつりごと)によりて、奏し堪(あ)へず>

(注)大蔵の政によりて;右中弁として大蔵省の激務に追われていたことをいう。(伊藤脚注)

(注)奏し堪へず:予め作っておいたが奏上しえなかった、の意。(伊藤脚注)

 

 天平勝宝九年(757年)七月四日、橘奈良麻呂の変。八月十八日、天平宝字改元

 天平宝字元年(757年)十一月十八日、藤原仲麻呂の権勢をほしいままにした「いざ子どもたはわざなせそ天地の堅めし国ぞ大和島根は(四四八七歌)」の歌が収録されている。

 

 藤原仲麻呂の四四八七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1011)」で紹介している。

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 ここから、万葉集の終焉に向かって一気に下って行くのであるが、或る意味、だらだらと宴会歌が続くのである。そこには、かつてのような前向きな、明日を夢見る気持ちはなく、かつての親しい仲間を失い、体制の中に捉われ懐古に浸る歌が多い。しかも、歌を準備するも奏上できなかったものも多い。家持のオーラが萎え、進み出て奏上する場の空気もないのであろう。因幡の守として赴任するまで四五一四歌まで、順を追って、家持の歌をとりあげ、その中で、四四九三歌についてもブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1086)」で紹介している。

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―その1870―

●歌は、「我が岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見ぬ人もがも」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(35)万葉歌碑<プレート>(大伴旅人

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(35)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 将見人裳欲得

       (大伴旅人 巻八 一五四二)

 

≪書き下し≫我が岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも

 

(訳)この庭の岡に咲く萩の花、その花は、風がひどくて散りそうになった。咲き散るこの花を見てともに惜しむ人でもあってくれればよいのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

(注)前歌(一五四一歌)の「初萩」に対し、散る萩を惜しむ。亡き妻を心の底に置くか。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その924)」で紹介している。

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 一五四一、一五四二歌の題詞は、「大宰帥大伴卿歌二首」<大宰帥大伴卿が歌二首>である。

 一五四一歌もみてみよう。

 

◆吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿

       (大伴旅人 巻八 一五四一)

 

≪書き下し≫我が岡にさを鹿(しか)来鳴く初萩(はつはぎ)の花妻(はなつま)どひに来鳴くさを鹿

 

(訳)この庭の岡に、雄鹿が来て鳴いている。萩の初花を妻どうために来て鳴いているのだな、雄鹿は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語(学研)ここでは、③の意

 

旅人の「亡妻悲傷歌」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その895)」で紹介している。

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―その1871―

●歌は、「春日野に煙立つ見ゆ娘子らし春野うはぎ摘みて煮らしも」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(36)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(36)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春日野尓 煙立所見 ▼嬬等四 春野之菟芽子 採而▽良思文

       (作者未詳 巻十 一八七九)

        ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

      ※※▽は、「者」の下に「火」である。「煮る」である。

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)に煙立つ見(み)ゆ娘子(をとめ)らし春野(はるの)のうはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも

 

(訳)春日野に今しも煙が立ち上っている、おとめたちが春の野のよめなを摘んで煮ているらしい。(同上)

(注)うはぎ:よめなの古名。

(注)らし [助動]活用語の終止形、ラ変型活用語の連体形に付く。:①客観的な根拠・理由に基づいて、ある事態を推量する意を表す。…らしい。…に違いない。② 根拠や理由は示されていないが、確信をもってある事態の原因・理由を推量する意を表す。…に違いない。[補説] 語源については「あ(有)るらし」「あ(有)らし」の音変化説などがある。奈良時代には盛んに用いられ、平安時代には①の用法が和歌にみられるが、それ以後はしだいに衰えて、鎌倉時代には用いられなくなった。連体形・已然形は係り結びの用法のみで、また奈良時代には「こそ」の結びとして「らしき」が用いられた。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌については、春日野の位置や春日野にまつわる歌と共にブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1029)で紹介している。

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 「うはぎ」を詠んだ歌は万葉集では二首のみである。もう一首は柿本人麻呂の二二一歌である。二二一歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1711)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉