万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1884~1886)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(49~51)―万葉集 巻十二 三〇九六、巻十六 三八三七、巻十七 三九二一

―その1884―

●歌は、「馬柵越しに麦食む駒の罵らゆれどなほし恋しく思ひかねつも」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(49)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(49)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆柜楉越尓 麦咋駒乃 雖詈 猶戀久 思不勝焉

       (作者未詳 巻十二 三〇九六)

 

≪書き下し≫馬柵(うませ)越(ご)しに麦(むぎ)食(は)む駒(こま)の罵(の)らゆれどなほし恋しく思ひかねつも

 

(訳)馬柵越しに麦を食(は)む駒がどなり散らかされるように、どんなに罵られても、やはり恋しくて、思わずにいようとしても思わずにはいられない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「罵(の)らゆ」を起こす。(伊藤脚注)

(注)おもひかぬ【思ひ兼ぬ】他動詞①(恋しい)思いに堪えきれない。②判断がつかない。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うませ【馬柵】:馬を囲っておく柵(weblio辞書 デジタル大辞泉

                           

 この歌については、「麦」を詠んだ歌、「馬柵」を詠んだ歌とともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1176)」で紹介している。

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―その1885―

●歌は、「ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(50)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(50)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似有将見

       (作者未詳 巻十六 三八三七)

 

≪書き下し≫ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすは)に溜(た)まれる水の玉に似たる見む

 

(訳)空から雨でも降って来ないものかな。蓮の葉に留まった水の、玉のようにきらきら光るのが見たい。(同上)

(注)ひさかたの【久方の】分類枕詞:天空に関係のある「天(あま)・(あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などに、また、「都」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ぬか 分類連語:①〔多く、「…も…ぬか」の形で〕…てほしい。…ないかなあ。▽他に対する願望を表す。◇上代語。②…ではないか。▽打消の疑問を表す。 ⇒なりたち 打消の助動詞「ず」の連体形+係助詞「か」(学研)

(注)蓮荷尓 渟在水乃:美女の目に溜まる涙の譬えか。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右歌一首傳云 有右兵衛<姓名未詳> 多能歌作之藝也 于時府家備設酒食饗宴府官人等 於是饌食盛之皆用荷葉 諸人酒酣歌舞駱驛 乃誘兵衛云関其荷葉而作歌者 登時應聲作斯歌也<右の歌一首は、伝へて云はく、「右兵衛(うひやうゑ)のものあり。<姓名は未詳> 歌作の芸(わざ)に多能なり。時に、府家(ふか)に酒食(しゅし)を備へ設けて、府(つかさ)の官人らに饗宴(あへ)す。ここに、饌食(せんし)は盛(も)るに、皆蓮葉(はちすば)をもちてす。諸人(もろひと)酒(さけ)酣(たけなは)にして、歌舞(かぶ)駱驛(らくえき)す。すなはち、兵衛を誘(いざな)ひて云はく、『その蓮葉に関(か)けて歌を作れ』といへれば、たちまちに声に応へて、この歌を作る」といふ。

(注)うひゃうゑ【右兵衛】名詞:「右兵衛府」の略。また、「右兵衛府」の武官。[反対語] 左兵衛。(学研)

(注)うひゃうゑふ【右兵衛府】名詞:「六衛府(ろくゑふ)」の一つ。「左兵衛府(さひやうゑふ)」とともに、内裏(だいり)外側の諸門の警備、行幸のときの警護、左右京内の巡検などを担当した役所。右の兵衛府。[反対語] 左兵衛府。(学研)

(注)らくえき【絡繹・駱駅】人馬などが次々に続いて絶えないさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1175)」で紹介している。

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―その1886―

●歌は、「かきつはた衣の摺り付けますらをの着襲ひ猟する月は来にけり」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(51)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(51)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比獦須流 月者伎尓家里

       (大伴家持 巻十七 三九二一)

 

≪書き下し≫かきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付けますらをの着(き)襲(そ)ひ猟(かり)する月は来にけり

 

(訳)杜若(かきつばた)、その花を着物に摺り付け染め、ますらおたちが着飾って薬猟(くすりがり)をする月は、今ここにやってきた。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)きそふ【着襲ふ】他動詞:衣服を重ねて着る。(学研)

 

 題詞は、「十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首」<十六年の四月の五日に、独り平城(なら)の故宅(こたく)に居(を)りて作る歌六首>である。

 

左注は、「右六首天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作」<右の六首の歌は、天平十六年の四月の五日に、独り平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)に居(を)りて、大伴宿禰家持作る。>である。

 

 題詞、左注の「独り平城(なら)に居り」、「平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)」から、安積親王の喪に服していたと考えられるのである。家持は、天平十年から十六年、内舎人(うどねり)であった。

(注)天平十六年:744年

(注)うどねり【内舎人】名詞:律令制で、「中務省(なかつかさしやう)」に属し、帯刀して、内裏(だいり)の警護・雑役、行幸の警護にあたる職。また、その人。「うとねり」とも。 ※「うちとねり」の変化した語。(学研)

 

 「かきつばた」を詠んだ歌六首とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1322)」で紹介している。

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 安積親王についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1126)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉