万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1920~1922)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(85、86,87)―万葉集 巻八 一五三八、巻十 二一一〇、巻七 一三六二

―その1920―

●歌は、「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(85手前)万葉歌碑<プレート>(山上憶良

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(85)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝▼之花

      (山上憶良 巻八 一五三八)

   ▼は「白」の下に「八」と書く。「朝+『白』の下に『八』」=「朝顔

 

≪書き下し≫萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) なでしこの花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔の花

 

(訳)一つ萩の花、二つ尾花、三つに葛の花、四つになでしこの花、うんさよう、五つにおみなえし。ほら、それにまだあるぞ、六つ藤袴、七つ朝顔の花。うんさよう、これが秋の七種の花なのさ。(伊藤 博著「萬葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)旋頭歌体である。

 

あきのななくさ【秋の七草】については、「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」に次の様に書かれている。

 「ハギ、オバナ(ススキ)、クズ、ナデシコオミナエシ、フジバカマ、アサガオの7種の草本で、日本の秋の花を代表するものとされる。だれが選定したという記録はないが、《万葉集》に載せられた山上憶良の7種の花の短歌にこの順序で詠まれているものを指すのがふつうである。これらのうち、アサガオは日本の植物ではなく、熱帯アジアの原産で、奈良時代にはすでに日本に移入されており、広く栽培されていたらしいが、憶良の歌にいうアサガオはキキョウのことであるとされている。」 

 

一方、はるのななくさ【春の七草】については、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」に次の様に書かれている。

 「正月7日の『七草粥(がゆ)』の中に入れる7種の野草。秋の七草が観賞を目的としたものであるのに対し、春の七草では食用とされる植物が選ばれている。緑の乏しい寒中にとって食べ、邪気を払い、縁起を祝った中国の古い風習が日本にも伝えられ、春の七草になったといわれる。時代によっては12種のこともあったといわれるが、現在では、鎌倉時代の『河海抄(かかいしょう)』にみえる『芹(せり) なづな 御行(おぎょう) はくべら 仏座(ほとけのざ) すずな すずしろ これぞ七種(ななくさ)』の歌に詠み込まれている7種類が春の七草とされる。なお一般には、御行は『ごぎょう』、はくべらは『はこべら』と呼び習わされている。この七草をいまの植物名に当てはめると、芹=セリ(セリ科)、なづな=ナズナアブラナ科)、御行=ハハコグサ(キク科)、はくべら=ハコベナデシコ科)、仏座=コオニタビラコ(キク科)、すずな=カブ(アブラナ科)、すずしろ=ダイコン(アブラナ科)となる。」

 

 秋の七種は、目で見て楽しむ秋の花を代表するもの、春の七草は、食用とされる植物が選ばれている。起源は、秋の七種は万葉時代から、春の七草鎌倉時代ということになる。

 

 この歌ならびに秋の七種に因んだ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1027)」で紹介している。

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 11月27日、奈良に所用があったので、ひさしぶりに春日大社北参道をぶらつき一五三七・一五三八歌の歌碑を撮影してきた。



                           

―その1921―

●歌は、「人皆は萩を秋と言ふよし我れは尾花が末を秋とは言はむ」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(86 奥)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(86)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言

       (作者未詳 巻十 二一一〇)

 

≪書き下し≫人皆は萩(はぎ)を秋と言ふよし我(わ)れは尾花(をばな)が末(うれ)を秋とは言はむ

 

(訳)世の人びとは皆萩の花こそが秋の印だという。なに、かまうものか、われらは尾花の穂先を秋の風情だと言おう。(同上)

(注)我れ:上の「人皆」(世間の人皆)に対して、この場に集うわれわれはの意。原文も「吾等」とある。(伊藤脚注)

(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1305-2)」で紹介している。

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 この歌にあるように「尾花が末(うれ)」のような「〇〇が末(うれ)」という表現に、何か心引かれるものがある。三九五七歌の「木末(こぬれ)」ように、「こ(木)のうれ(末)」が変化した語もある。

 いくつかみてみよう。

 

■一六一八歌■

◆玉尓貫 不令消賜良牟 秋芽子乃 宇礼和ゝ良葉尓 置有白露

      (湯原王 巻八 一六一八)

 

≪書き下し≫玉(たま)に貫(ぬ)き消(け)たず賜(たば)らむ秋萩の末(うれ)わくらばに置ける白露

 

(訳)玉として糸に貫き、消さないままで頂きたいものです。秋萩の枝先にとりわけ見事に置いている白露を。(同上)

(注)「消た」は「消つ」の未然形。

(注)わくらば【病葉】名詞:病害や虫害などで変色した葉。特に、夏の青葉にまじる赤や黄色に変色した葉をいう。[季語] 夏。(学研)

(注の注)原文は「和ゝ良葉尓」だが「和久良葉尓」の誤りと見る。特に際立って。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1327)」で紹介している。

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■一八三〇歌■

◆打靡 春去来者 小竹之丹 尾羽打觸而 鸎之音

      (作者未詳 巻十 一八三〇)

 

≪書き下し≫うち靡(なび)く春さり来(く)れば小竹(しの)の末(うれ)に尾羽(をは)打ち触(ふ)れてうぐひす鳴くも

 

(訳)草木の靡く春がやって来たので、篠(しの)の梢に尾羽(おばね)を打ち触れて、鶯がしきりにさえずっている。(同上)

(注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。(学研)

(注)しの【篠】名詞:篠竹。群らがって生える細い竹。(学研)

(注)をは【尾羽】名詞:鳥の尾と羽。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1515)」で紹介している。

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■三八一九歌■

◆暮立之 雨打零者 春日野之 草花之乃 白露於母保遊

       (小鯛王 巻十六 三八一九)

 

≪書き下し≫夕立(ゆふだち)の雨うち降れば春日野の尾花(をばな)が末(うれ)の白露思ほゆ

 

(訳)夕立の篠(しの)つく雨が降ると、いつも、あの春日野の尾花の先に置く白露が思われる。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)白露:春日の遊行婦女などの譬えか。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1821)で紹介している。

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■三八七六歌■

◆豊國 企玖乃池奈流 菱之宇礼乎 採跡也妹之 御袖所沾計武

       (作者未詳 巻十六 三八七六)

 

≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の池なる菱(ひし)の末(うれ)を摘むとや妹がみ袖濡れけむ

 

(訳)豊国の企救(きく)の池にある菱の実、その実を摘もうとでもして、あの女(ひと)のお袖があんなに濡れたのであろうか。(同上)

(注)企救(きく):北九州市周防灘沿岸の旧都名。フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』の小倉市の歴史の項に「律令制下では豊前国企救郡(きくぐん)の一地域となる。」とある。

(注)袖濡れえむ:自分への恋の涙で濡れたと思いなしての表現。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その874)」で紹介している。

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■三九五七歌■

◆・・・安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流・・・

      (大伴家持 巻十七 三九五七)

 

≪書き下し≫・・・朝(あさ)庭(には)に 出で立ち平(なら)し 夕(ゆふ)庭(には)に 踏(ふ)み平(たひら)げず 佐保(さほ)の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末(こぬれ)に 白雲に 立ちたなびくと 我(あ)れに告(つ)げつる・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

(訳)・・・朝(あさ)の庭に出で立って踏み平(なら)すことも、夕(ゆうべ)の庭に立って往(い)ったり来たりすることもせず、佐保の内の家里を通り過ぎ、高い山の梢(こずえ)に白雲になびいている、などと、どうして私に報(しら)せてよこしたのか。・・・

(注)こぬれ【木末】名詞:木の枝の先端。こずえ。 ※「こ(木)のうれ(末)」の変化した語。上代語。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1348表①)で紹介している。

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―その1922―

●歌は、「秋さらば移しもせむと我が蒔きし韓藍の花を誰れか摘みけむ」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(87)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(87)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆秋去者 影毛将為跡 吾蒔之 韓藍之花乎 誰採家牟

      (作者未詳 巻七 一三六二)

 

≪書き下し≫秋さらば移(うつ)しもせむと我(わ)が蒔(ま)きし韓藍(からあゐ)の花を誰(た)れか摘(つ)みけむ

 

(訳)秋になったら移し染めにでもしようと、私が蒔いておいたけいとうの花なのに、その花をいったい、どこの誰が摘み取ってしまったのだろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)移しもせむ:移し染めにしようと。或る男にめあわせようとすることの譬え。(伊藤脚注)

(注)誰(た)れか摘(つ)みけむ:あらぬ男に娘を捕えられた親の気持ち(伊藤脚注)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1166)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」