万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1926,1927)―、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(91、92)―万葉集 巻十六 三八二六、巻十一 二四八〇

―その1926―

●歌は、「蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家にあるものは芋の葉にあらし」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(91)万葉歌碑<プレート>(長忌寸意吉麻呂)

●歌碑は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(91)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「荷葉(はちすは)を詠む歌」である。

 

蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之

        (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二六)

 

≪書き下し≫蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家にあるものは芋(うも)の葉にあらし

 

(訳)蓮(はす)の葉というものは、まあ何とこういう姿のものであったのか。してみると、意吉麻呂の家にあるものなんかは、どうやら里芋(いも)の葉っぱだな。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)蓮葉:宴席の美女の譬え。(伊藤脚注)

(注)宇毛乃葉:妻をおとしめて言った。芋(うも)に妹(いも)をかけた。(伊藤脚注)

 

 蓮の葉を、宴席に侍る美女に喩え、これと比べて家に居る妻は芋の葉のようだとおとしめて笑いを誘っている宴会歌である。芋(うも)に妹(いも)を懸けたところまでなかなか洒落た歌である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1136)」で紹介している。

 ➡ こちら1136

 

 この歌に関して、廣野 卓氏は、その著「食の万葉集」(中公新書)の中で、「この時代、宴席ではハスの葉に食を盛った。ハスの葉は高価だから、一般の官人の家庭ではハス葉の代わりにイモの葉を使用していたのであろう。だが、イモの葉に盛ったのでは見栄えがしない。いまも粋(いき)でないのをイモとよぶのは、万葉時代からのことらしい。サトイモは稲作よりも古く伝来したといわれ、この時代にサツマイモやジャガイモは、まだ伝来していないので、イモといえばサトイモをさすことになる。」と書かれている。

 また、「サトイモは薯蕷(ヤマツイモ)に対して家芋(イエツイモ)とも呼ばれている。名のように住居近くの菜園で栽培したイモであり、古代の重要な主食作物であった。」とも書かれている。

 ハスの葉にしろ、イモの葉にしろ、今様のランチョンマットのように使われていたとすれば、なかなか洒落た発想である。

 

 なお、万葉集で「芋(うも)」が詠まれているのはこの一首のみである。

 

20221214撮影 ご近所さんに頂いた「サトイモ

 

 

―その1927―

●歌は、「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(92)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(92)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋  或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は   或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ

 

(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(同上)

(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(学研)

(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その904)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

「いちし」が詠まれているのはこの一首のみである。「いちし」については、古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナの諸説が入り乱れ、万葉植物群の中で最も難解な植物とされていた。牧野富太郎氏によってヒガンバナ説が出され、山口県では「イチシバナ」、福岡県では、「イチジバナ」という方言があることが確認され、ヒガンバナ説が定着した。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

 

ヒガンバナ」については、公益社団法人 日本薬学会HPに、「秋の彼岸の頃、土手や道ばた、田んぼの畦道や墳墓の周辺に葉の無い鮮紅色の花が各地で見られるようになります。ヒガンバナの名前の由来はまさしく『彼岸に咲く花』です。別名の曼珠沙華(まんじゅさげ)は『赤花』を表す梵語(ぼんご、サンスクリット語)です。ヒガンバナは多年生で、草丈は20~40 cmになり、地下に鱗茎(りんけい)を有します。初秋の頃、花茎をまっすぐ伸ばし、その先に長い花柄を持った鮮紅色の花が数個輪生状に開きます。葉は濃緑色で中央に線が入った線形で、花が終わってから伸ばすため、葉と花を同時に見ることができないユニークな植物の一つです。」と書かれている。

20220918撮影 白いヒガンバナ

20221214撮影 ヒガンバナの葉

 

 本稿にて、松山市御幸町 護国神社・万葉苑の歌碑(プレート)の紹介は終わりとなります。

今後も、各地の万葉植物園を周る予定にしています。歌碑(プレート)は、万葉植物に因んでいるので、当然重複するのですが、その地その地の歌碑(プレート)として紹介していくつもりです。よろしくお願いもうしあげます。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「食の万葉集」 廣野 卓氏 著 (中公新書

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「公益社団法人 日本薬学会HP」

★「ぶらり丹波路」 (兵庫丹波観光ネットワーク推進委員会HP)

★「愛媛県農林水産研究所 HP」