万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1928)―愛媛県西条市下鳥山櫟津岡 飯積神社―万葉集 巻十六 三八二四

●歌は、「さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津の檜橋より来む狐に浴むさむ」である。

愛媛県西条市下鳥山櫟津岡 飯積神社万葉歌碑(長忌寸意吉麻呂)

●歌碑は、愛媛県西条市下鳥山櫟津岡 飯積神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

 標題は、「長忌寸意吉麻呂歌八首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首>であり、三八二四~三八三一歌の歌群となっている。

 

◆刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 檜橋従来許武 狐尓安牟佐武

        (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二四)

 

≪書き下し≫さし鍋(なべ)に湯沸(わ)かせ子ども櫟津(いちひつ)の檜橋(ひばし)より来(こ)む狐(きつね)に浴(あ)むさむ

 

(訳)さし鍋の中に湯を沸かせよ、ご一同。櫟津(いちいつ)の檜橋(ひばし)を渡って、コムコムとやって来る狐に浴びせてやるのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さしなべ【差し鍋】名詞:弦(つる)のついた、注(つ)ぎ口のある鍋。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)櫟津:天理市櫟本付近の川津か。雑器「櫃」を隠す。(伊藤脚注)

(注)檜橋:檜製の河橋。(伊藤脚注)

(注)来む:狐声コムを隠す。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右一首傳云 一時衆集宴飲也 於時夜漏三更 所聞狐聲 尓乃衆諸誘奥麻呂曰關此饌具雜器狐聲河橋等物 但作謌者 即應聲作此謌也」<右の一首は、伝へて云はく、ある時、衆(もろもろ)集(つど)ひて宴飲す。時に、夜漏三更(やらうさんかう)にして、狐の声聞こゆ。すなはち、衆諸(もろひと)意吉麻呂(おきまろ)を誘(いざな)ひて曰はく、この饌具、雜器、(ざうき)狐聲(こせい)河橋(かけう)等の物の関(か)けて、ただに歌を作れ といへれば、すなはち、声に応へてこの歌を作るといふ>

(注)やろう【夜漏】:夜の時刻をはかる水時計。転じて、夜の時刻。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)さんかう【三更】名詞:時刻の名。「五更(ごかう)」の第三。午後十二時。また、それを中心とする二時間。「丙夜(へいや)」とも。(学研)

 

  香川県坂出市ならびに愛媛県松山市万葉集にゆかりが深く、多数の歌碑が見られるが、そのほぼ真ん中あたりの愛媛県西条市にポツンとひとつ歌碑があるのもまた驚きである。

飯積神社(いいづみじんじゃ)について、「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」によると、「古くは櫟津神社(いちいづじんじゃ)との名称で呼ばれ、櫟津稲荷大明神として信仰され、島山郷(大生院・半田・上島山・下島山・船屋)の人々の農耕を守護する神として祀られた。なお社地を櫟津岡(いちいづのおか)といい、櫟津の名は古代より、この岡に櫟の木が繁茂していること、昔は海水が岡のあたりをめぐり、船着き場(津)を形成していたことに由来する。当地方は渦井川、室川等の河川が海に流れ込む所で、玉津(たまつ)・船屋(ふなや)等の港に関係する地名が多い。・・・唯一残っている社記には、末尾に宝暦2年(1752年)12月3日、京都の神道管領、吉田家の姓名印章があり、櫟津について万葉集巻十六にある長忌寸意麻呂(ながのいみきおきまろ)が京師に遊んだときの即興歌をのせている。」と書かれている。

飯積神社名碑

飯積神社鳥居と参道



この歌については、天理市櫟本町の和爾下神社(わにしたじんじゃ)の歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その53改)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

和爾下神社か飯積神社か。

「櫟津」がポイントになる。

この歌の歌碑がある「和爾下神社」は、奈良県天理市櫟本町にある。近くには「高瀬川」が流れている。「櫟津」は櫟の津という意味であろう。

一方、「飯積神社(いいづみじんじゃ)」は、愛媛県西条市下島山にあり、古くは櫟津神社(いちいづじんじゃ)との名称で呼ばれていた。

歌の「櫟津」は、「櫃」を懸けた地名的なもので、宴席にいた人たちや、いわゆる読者層に幅広く知られているが故に「承ける」と思われる。

歌はどこで詠まれたのかは分からないが、平城京に近い地の利は否定できないと思われる。

いずれにしろ「櫟津」に因んだということから、歌碑が立てられたと考えられる。

 

 

 話は変わるが、和爾下神社の北側、天理街道沿いに「中西ピーナツ」という工場直売の豆菓子屋がある。大神神社に行くときや万葉歌碑巡りでこの天理街道はよく利用するのでこの店にもちょくちょく寄っている。

 ピーナツ屋さんだけあって、「柿ピー」は、ピーナッツの量が多く新鮮であるのがうれしい。また店内でピーナツペーストも作ってもらえるのでパン食にはもってこいである。

 いろいろな豆菓子は食べて良し、手土産にしても喜ばれるのである。

 

 インスタグラムで万葉歌碑の情報を得ることが多い。最近では「村屋坐弥冨都比売神社」の歌碑をはじめいくつかの初めてお目にかかる歌碑が載せられていた。ありがたいことである。近々機会を設けて近場の歌碑巡りをしようと計画している。このルートに「中西ピーナツ」は、もちろん織り込むことにしている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」