●歌は、「朝なぎに楫の音聞こゆ御食つ国野島の海人の舟にしあるらし(山部赤人)」ならびに「・・・朝なぎに玉藻刈りつつ夕なぎに藻塩焼きつつ海人娘子ありとは聞けど・・・(笠金村)」である。
●歌碑は、兵庫県淡路市野島 大川公園にある。「野島海人の像」のプレートには九三四歌と九三五歌の一部が書かれている。「万葉集 巻六 山部赤人」とあるが、九三四歌は、山部赤人。九三五歌は、笠金村である。
●歌をみていこう。
題詞は、「山部宿祢赤人作歌一首 幷短歌」<山部宿禰赤人が作る歌一首 幷せて短歌>の「反歌一首」である。
◆朝名寸二 梶音所聞 三食津國 野嶋乃海子乃 船二四有良信
(山部赤人 巻六 九三四)
≪書き下し≫朝なぎに楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ御食(みけ)つ国野島(のしま)の海人(あま)の舟(ふめ)にしあるらし
(訳)朝凪に櫓(ろ)の音が聞こえてくる。あれは大御食の国淡路(あわじ)の、野島の海人たちの舟であるらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)みけつくに【御食つ国】名詞:天皇の食料を献上する国。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)野島:淡路島西岸、北端近くの地名。(伊藤脚注)
九三三歌(長歌)もみてみよう。
◆天地之 遠我如 日月之 長我如 臨照 難波乃宮尓 和期大王 國所知良之 御食都國 日之御調等 淡路乃 野嶋之海子乃 海底 奥津伊久利二 鰒珠 左盤尓潜出 船並而 仕奉之 貴見礼者
(山部赤人 巻六 九三三)
≪書き下し≫天地(あめつち)の 遠きがごとく 日月(ひつき)の 長きがごとく おしてる 難波(なには)の宮に 我(わ)ご大君(おほきみ) 国知らすらし 御食(みけ)つ国 日の御調(みつき)と 淡路(あはぢ)の 野島(のしま)の海人(あま)の 海(わた)の底(そこ) 沖(おき)つ海石(いくり)に 鰒玉(あはびたま) さはに潜(かづ)き出(で) 舟(ふめ)並(な)めて 仕(つか)へ奉(まつ)るし 貴(たほと)し見れば
(訳)天地が無窮であるように、日月が長久であるように、ここ難波の宮で、われらの大君はとこしえに国をお治めになるらしい。大御食(おおみけ)の国の日ごとの貢物として、淡路の野島の海人たちが、沖深い岩礁に潜って鰒玉(あわびだま)をたくさん採り出しては、舟を並べてお仕えしているのは、見るにまことに貴い。(同上)
(注)おしてる【押し照る】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。「押し照るや」とも。(学研)
(注)みけつくに【御食つ国】名詞:天皇の食料を献上する国。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)みつき【貢・調】名詞:租・庸・調(ちよう)などの租税の総称。▽「調(つき)(=年貢(ねんぐ))」を敬っていう語。 ※「み」は接頭語。のちに「みつぎ」。(学研)
(注)わたのそこ【海の底】分類枕詞:海の奥深い所の意から「沖(おき)」にかかる。(学研)
(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)
(注)鰒玉:食料としての鰒貝をほめていう。(伊藤脚注)
(注)さはに【多に】副詞:たくさん。(学研)
続いて、九三五歌をみてみよう。
長歌(九三五)、反歌(九三六、九三七歌)の題詞は、「三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首并短歌」<三年丙寅(ひのえとら)の秋の九月十五日に、播磨(はりま)の国の印南野(いなみの)に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村が作る歌一首并(あは)せて短歌>である。
(注)三年:神亀三年(726年)
(注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(学研)
◆名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三
(笠金村 巻六 九三五)
≪書き下し≫名寸隅(なきすみ)の 舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦に 朝なぎに 玉藻(たまも)刈りつつ 夕なぎに 藻塩(もしお)焼きつつ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行(ゆ)かむよしのなければ ますらをの 心はなしに たわや女(め)の 思ひたわみて た徊(もとほ)り 我(あ)れはぞ恋ふる 舟楫(ふなかぢ)をなみ
(訳)名寸隅(なきすみ)の舟着き場から見える淡路島の松帆(まつほ)の浦で、朝凪(あさなぎ)の時には玉藻を刈ったり、夕凪(ゆうなぎ)の時には藻塩を焼いたりしている。美しい海人の娘子たちがいるとは聞いているが、その娘子たちを見に行く手だてもないので、ますらおの雄々しい心はなく、たわや女(め)のように思いしおれて、おろおろしながら私はただ恋い焦がれてばかりいる。舟も櫓もないので。(同上)
(注)松帆(まつほ)の浦:淡路島北端付近(伊藤脚注)
(注)もしほ【藻塩】名詞:海藻から採る塩。海水をかけて塩分を多く含ませた海藻を焼き、その灰を水に溶かしてできた上澄みを釜(かま)で煮つめて採る。(学研)
(注)よし【由】名詞:手段。方法。手だて。(学研)
(注)たわやめ【手弱女】名詞:しなやかで優しい女性。「たをやめ」とも。 ※「たわや」は、たわみしなうさまの意の「撓(たわ)」に接尾語「や」が付いたもの。「手弱」は当て字。[反対語] 益荒男(ますらを)。(学研)
(注)おもひたわむ【思ひ撓む】自動詞:気持ちがくじける。(学研)
(注)たもとほる【徘徊る】自動詞:行ったり来たりする。歩き回る。 ※「た」は接頭語。上代語。(学研)
九三五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その611)」で紹介している。
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大川公園については、一般社団法人淡路島観光協会HP「貴船神社遺跡(緑の道しるべ大川公園)」に「近年発掘された製塩遺跡です。弥生時代から古代にかけて海人族が製塩を行っていたとされ、熱効率の向上を図った石敷炉が兵庫県では初めて発見された貴重な遺跡です。鉄製の釣り針やタコ壺などの海との繋がりを示す遺物も出土しており、万葉集に『朝凪に 楫の音聞こゆ 御食つ国 野島の海人の 船にしあるらし』と詠われた『野島の海人』はこの地で製塩を行っていたと考えられています。また、朝鮮半島から運ばれたとされる新羅式の土器も出土しており、野島の海人と朝鮮半島との関係の深さも想像することができます。現在は、緑の道しるべ大川公園として整備されており、製塩作業をする海人のモニュメントや解説板が建てられています。」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「一般社団法人淡路島観光協会HP」