万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1947)―兵庫県淡路市富島 JA淡路日の出北淡支店隣―万葉集 巻三 二五〇

●歌は、「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に船近づきぬ」である。

兵庫県淡路市富島 JA淡路日の出北淡支店隣万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴

     一本云 處女乎過而 夏草乃 野嶋我埼尓 伊保里為吾等者

      (柿本人麻呂 巻三 二五〇)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)刈る敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)の崎に船近づきぬ

 一本には「処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島が崎に廬(いほり)す我(わ)れは」といふ

 

(訳)海女(あま)たちが玉藻を刈る敏馬(みぬめ)、故郷の妻が見えないという名の敏馬を素通りして、はや船は夏草茂るわびしい野島の崎に近づきつつある。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまもかる【玉藻刈る】分類枕詞:玉藻を刈り採っている所の意で、海岸の地名「敏馬(みぬめ)」「辛荷(からに)」「乎等女(をとめ)」などに、また、海や水に関係のある「沖」「井堤(ゐで)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) 

(注)敏馬(みぬめ):神戸港の東、岩屋町付近。「見ぬ女」の意を匂わす。(伊藤脚注)

(注)野島が崎:兵庫県の淡路島にある野島の岬。和歌の名所。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

この歌については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その561)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

淡路市野島「海若(わたつみ)の宿」→淡路市富島「JA淡路日の出 北淡支店」隣■

 このような場所に何故っと思うような所にポツンととり残されたような場所に建てられている。

 向かって右の石柱の「富嶋」の文字の下に歌が書かれているが、摩滅していて判読不能である。この歌碑は嘉永7年(1854年)頃かそれ以前に建立されたものだそうである。

 この歌碑(「富嶋」と書かれた石柱)とライオンズクラブの副碑について、「飛鳥を愛する会 秋季現地講座 1:「飛鳥を愛する会 淡路・讃岐、吉備の史跡と万葉秀歌の舞台をめぐる旅」2016年10月2日~4日のブログ(日記)に詳しく書かれているので引用(一部加筆・省略)させていただきます。

 

■「富嶋」と刻された歌碑について■

「富嶋の文字の下には

   玉藻加る  富し満遠過ぎて  な川草の 野嶋可さ起尓 ふ年致何寿起奴

   たまもかる とみしまをすぎて なつくさの のしまがさきに ふねちかづきぬ 

万葉集巻3ー250  柿本人麻呂  の歌が刻まれているとされていますが、現在は摩滅していて判読することはできません。

(人麻呂の歌は『敏馬』であるが『富嶋』となっている。詳細は下の丸型歌碑の説明にあります)

この歌碑は嘉永7年(1854年)頃かそれ以前に建立されたものと思われます。

根拠となっているのは、ここから4kmほど離れた『浅野公園』にある万葉歌碑の副碑の碑文です。『~中略 今地誌を案ずるに、ここを去ること一里ばかり机浦(つくえうら)、瀕海(ひんかい)の田中に碣(いしぶみ)を立つるあり。古歌一首 たまもかる 敏馬をすぎて 夏草の 野島が崎に 舟近づきぬ を勒(ろく)し、以てこれを表す。~中略』 (原文は漢文、勒し→刻むこと) (ここから4kmばかりの机浦(富嶋)の田の中に石碑がある。古歌 たまもかる 敏馬をすぎて 夏草の 野島が崎に 舟近づきぬ の一首が刻まれている。)

 この浅野公園の副碑には嘉永7年(1854年)申寅3月の日付があります。すなわち、浅野公園の万葉歌碑の副碑が建立された時には、富嶋の歌碑はすでにあったことになります。」

 

「いざなぎライオンズクラブ」の歌碑

■いざなぎライオンズクラブの歌碑について<左の丸型の歌碑>■ 

 「こゝの歌碑は、江戸時代からこの地にあるものと推定されるが 何某が何時、何故設置したか明記をかくため詳らかてない。むかし土地の者が郷土を深く愛し万葉集より名歌を選び敏馬を富嶋と信じ後世に伝えるべく建てたと考えられる。長年風雨にさらされ剥落により判読が困難である。ここに先人の意思を尊重し正しいものと併せて刻む

 

     玉藻かる 富し満遠 過きて な川草の

     野嶋かさ起に ふね散河寿起奴

 

     珠藻かる 敏馬を過きて 夏艸の

     野嶋のさきに ふねちか着きぬ

           柿本朝臣人麻呂

 

     平成六年三月 いざなぎライオンズクラブ 明峰かく」

■補足説明■

「この富嶋の碑は江戸時代からこの地にあると推定されるが、いつ誰が何のために建てたのかは定かでない。当時の人々は万葉集の元歌がこの富島の地のことを詠んだものと信じ、それを後世に伝えるべく建てたのがこの富嶋の碑であると考えられるが、碑文の判読が困難である。この石碑には、郷土を愛した先人たちの意思を尊重し『正しい歌』と併せて刻むことにした。」

 

 読みづらい正副碑の刻されている内容まで理解することができ、こんなにもうれしいことはない。

 改めて、「飛鳥を愛する会」様のブログに御礼申し上げます。ありがとうございました。

不思議な空間にある歌碑



 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「飛鳥を愛する会 秋季現地講座 1:『飛鳥を愛する会 淡路・讃岐、吉備の史跡と万葉秀歌の舞台をめぐる旅』2016年10月2日~4日のブログ(日記)」