●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。
◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
(志貴皇子 巻八 一四一八)
≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも
(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)いはばしる【石走る・岩走る】自動詞:水がしぶきを上げながら岩の上を激しく流れる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)
この歌については、志貴皇子の歌六首とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1216)」で紹介している。
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この歌について、「奈良県HP はじめての万葉集vol.36」で、「春のよろこび」と題して次の様に紹介されている。
「寒い冬が終わり、日差しが暖かく感じられるようになると、人間だけでなく動植物たちもどこかほっとしているような気がします。冬眠から目覚めたり、新芽が出たりすることから、そう感じるのかもしれません。この歌は、そんな春の訪れを祝福するような歌です。滝のほとりでワラビを見つけ、ああ、もう春になったんだなあ、と実感し感動したようです。
ワラビはシダ植物の一種で、まだ葉が開く前の若芽を摘んで、春の山菜として食用にします。わらびもちも、もともとはワラビの根から採ったデンプンで作ったことからその名が付きました。ただし、ワラビのデンプンは精製に手間がかかり原料も少ないことから、現代では本ワラビ粉を使ったわらびもちはなかなか味わえない高級品といえます。
この歌の題には『志貴皇子の懽(よろこ)びの御歌』とあります。『懽』という文字は、平安時代の辞書である『類聚名義抄(るいじゅうみょうぎしょう)』にヨロコフとよまれていて、春の到来を喜ぶ歌であったとみられます。歌を詠んだ時の状況はよく分かっていませんが、新春を祝う宴席で詠まれたのではないかともいわれています。
志貴皇子は、天智天皇の皇子の一人で、政治的な面では目立った活躍はしませんでしたが、そのぶん歌の名手として高く評価されていたといわれます。七七〇年に六男の白壁王(しらかべのおおきみ)が天皇(光仁(こうにん)天皇)になったことから、死後五十年以上たって※春日宮御宇天皇と追尊されました。
この歌が巻八の冒頭に位置しているのは、『万葉集』が編さんされた奈良時代から見て古い時代の春の名歌だからというだけでなく、そんな時代背景も影響を及ぼしていたのかもしれません。
※「かすがのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと」と読みます。」
志貴皇子は、「春日宮天皇 田原西陵」に、光仁天皇は、「光仁天皇 田原東陵」にそれぞれ祀られている。
田原西陵については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その28改)」で、田原東陵については、「同(その1091)」で紹介している。
田原西陵
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田原東陵
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この歌は、巻八の巻頭歌である。各巻の巻頭歌については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1822~1826)」で紹介している。
■巻一~巻四 巻頭歌
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■巻五~巻八 巻頭歌
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■巻九~巻十二 巻頭歌
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■巻十三~巻十六 巻頭歌
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■巻十七~巻二十 巻頭歌
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■慶野松原「国民宿舎慶野松原荘」→徳島県阿南市「那賀川社会福祉会館」■
慶野松原を後にして、鳴門大橋を渡り四国へ。予定では1時間ほどで着くはずが、徳島市や小松島市といった主要都市を通るので、渋滞に巻き込まれ2時間ほどかかってしまった。
ナビ通り到着するも「勤労青少年ホーム」である。歌碑らしいものは見当たらない。事務所で尋ねてみると、職員の方がわざわざ外にまで出てきていただき、社会福祉会館の建物と行き方を教えていただく。なんとすぐ近くであるが、事務所前の抜け道のような道らしからぬ道からである。ようやく会館に到着。
このように時間をかけはるばるとやって来たのであるから、ある意味ポピュラーな歌でなく、ご当地ゆかりの歌碑であったらな、と思う。しかし、ここにあるのは万葉歌碑である。贅沢は言えない。
正面の前庭に歌碑は建てられていた。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」