万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1952)―徳島県鳴門市 人丸神社―万葉集 巻七 一三〇一

●歌は、「海神の手に巻き持てる玉ゆゑに磯の浦みに潜きするかも」である。

徳島県鳴門市 人丸神社万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、徳島県鳴門市 人丸神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆海神 手纒持在 玉故 石浦廻 潜為鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻七 一三〇一)

 

≪書き下し≫海神(わたつみ)の手に巻き持てる玉ゆゑに礒の浦(うら)みに潜(かづ)きするかも

 

(訳)海の神が手に巻きつけている真珠であるのに、そんな真珠を採ろうと、私は岩の多い海辺で水に潜(もぐ)っている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考:「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)玉:親の秘蔵する娘の譬え。(伊藤脚注)

(注)潜(かづ)きするかも:真珠を採ろうと潜る。女を手に入れようと苦労することの譬え。(伊藤脚注)

 

神社等の由来

「人丸神社」名碑

鳥居と参道

社殿



 

 人丸神社(ひとまるじんじゃ)については、「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」に「徳島県鳴門市里浦町里浦に鎮座する神社。」でその歴史は、「この地は元々、柿本人麻呂が船を寄せたと伝わる場所で、島根県益田市の高津柿本神社兵庫県明石市柿本神社とともに柿本人麻呂を祀る日本三社の一つに挙げられている。」と書かれている。

島根県益田市の高津柿本神社兵庫県明石市柿本神社にも行ったことがある。それぞれの歌碑をみてみよう。

 

島根県益田市の高津柿本神社

同神社には、2021年10月21日に訪れている。

 

島根県益田市の高津柿本神社の歌碑

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。

 

◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有

       (柿本人麻呂 巻二 二二三)

 

≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ

 

(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(同上)

(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。

(注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(学研)

(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意

(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)

 

 

島根県益田市の高津柿本神社の社殿

島根県益田市の高津柿本神社の鳥居と参道石段

 島根県益田市の高津柿本神社ならびに歌碑については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1330)」で紹介している。

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次に兵庫県明石市柿本神社をみてみよう。

兵庫県明石市柿本神社

 同神社には、2020年7月2日に訪れている。歌碑は二基ある。

明石市人丸町 柿本神社の歌碑(二五五歌)

 題詞「柿本朝臣人麻呂羇旅歌八首」<柿本朝臣人麻呂が羇旅の歌八首>(二四九から二五六歌)の一首である。

◆天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見  一本云家門當見由

       (柿本人麻呂 巻三 二五五)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ恋ひ来れば明石(あかし)の門(と)より大和島(やまとしま)見ゆ  一本には「家のあたり見ゆ」といふ。

 

(訳)天離る鄙の長い道のりを、ひたすら都恋しさに上って来ると、明石の海峡から大和の山々が見える。(同上)

(注)明石の門(読み)あかしのと:明石海峡のこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

明石市人丸町 柿本神社の歌碑(二三五歌)

 題詞は、「天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首」<天皇(すめらみこと)、雷(いかづち)の岳(おか)に幸(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首>である。

(注)天皇持統天皇か。天武天皇とも文武天皇ともいう。

 

◆皇者 神二四座者 雷之上尓 廬為流鴨 

       (柿本人麻呂 巻三 二三五)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上(うへ)に廬(いほ)らせるかも

 

(訳)天皇は神であらせられるので、天雲を支配する雷神、その神の上に廬(いおり)をしていらっしゃる。(同上)

(注)いほる 【庵る・廬る】:仮小屋を造って宿る。

 

 

明石市人丸町 柿本神社の社殿

明石市人丸町 柿本神社の鳥居と参道石段

明石市人丸町 柿本神社ならびに歌碑については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その608,609」で紹介している。

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人麻呂の生誕地と伝えられている葛城市柿本の柿本神社もみてみよう。

■葛城市柿本 柿本神社

 葛城市HPには、葛城市柿本は、人麻呂の生誕地と伝えられ、人麻呂を祀る柿本神社があると次の様に書かれている。

「葛城市柿本は、『万葉集』の代表的な歌人柿本人麻呂と深い縁があります。人麻呂の生誕地と伝えられ、人麻呂を祀る柿本神社は、宝亀元(770)年に人麻呂を改葬し、その傍らに社殿を建てたのが始まりと言われています。なお、柿本神社は他に天理市兵庫県明石市島根県益田市など全国にあります。

人麻呂の生没年は明らかではありませんが、『万葉集』と『石見国風土記(いわみこくふどき)』によると、七代の天皇に仕え、石見国島根県)に赴いていたことが分かります。本市柿本には人麻呂の屋敷があったとされる場所があり、『石見田(いわみだ)』と呼ばれています。人麻呂は、『万葉集』に多数の優れた歌を残しています。特に長歌では、皇族をたたえる歌や死を悼む歌、また妻への思いを詠んだ相聞歌があり、雄大で荘重な歌風です。抒情歌人として高い成熟度を示し、万葉歌人の第一人者とされ、現在では歌聖とあがめられています。」

葛城市柿本 柿本神社の歌碑

◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念

           (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四五三)

 

≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)春柳(読み)ハルヤナギ:①[名]春、芽を出し始めたころの柳。②[枕]芽を出し始めた柳の枝をかずらに挿す意から、「かづら」「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)上三句は序、「立ち」を起こす。

 

 人麻呂歌集の「略体」の典型と言われる歌で、「春楊葛山發雲立座妹念」と各句二字ずつ、全体では十字で表記されている

葛城市柿本 柿本神社鳥居と社殿

 葛城市柿本 柿本神社ならびに歌碑については、ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で紹介している。

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眉山ロープウェイ山頂駅近く→徳島県鳴門市「人丸神社」■

 眉山公園から約1時間のドライブである。住宅地のはずれにある。鳴門こども園の隣である。コンパクトな造りの社殿近くに歌碑は建てられている。

ここで淡路島・徳島万葉歌碑巡りは終了である。

予定通り、帰路、神戸淡路鳴門自動車道の緑PAに立ち寄り、玉ねぎを買い込んだのである。



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「葛城市HP」