―その1984―
●歌は、「君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」である。
●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉公園・万葉植物園(1)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王不堪戀慕而追徃時謌曰」<古事記に曰はく 軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に奸(たは)く。この故(ゆゑ)にその太子を伊予の湯に流す。この時に、衣通王(そとほりのおほきみ)、恋慕(しの)ひ堪(あ)へずして追ひ徃(ゆ)く時に、歌ひて曰はく>である。
(注)軽太子:十九代允恭天皇の子、木梨軽太子。
(注)軽太郎女:軽太子の同母妹。当時、同母兄妹の結婚は固く禁じられていた。
(注)たはく【戯く】自動詞①ふしだらな行いをする。出典古事記 「軽大郎女(かるのおほいらつめ)にたはけて」②ふざける。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)伊予の湯:今の道後温泉
(注)衣通王:軽太郎女の別名。身の光が衣を通して現れたという。
◆君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待 此云山多豆者是今造木者也
(軽太郎女 巻二 九〇)
(注)軽太郎女(かるのおおいらつめ):別名は、衣通王(そとほりのおほきみ)
≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ ここに山たづといふは、今の造木をいふ
(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。にわとこの神迎えではないが、お迎えに行こう。このままお待ちするにはとても堪えられない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞:「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(weblio辞書 Wiktionary(日本語版 日本語カテゴリ)
※万葉集には、「やまたづ」を詠んだ歌は二首が収録されているが、いずれも「やまたづの迎え」という使われ方になっている。「やまたづ」が、「迎え」の枕詞になっているからである。
(注)みやつこぎ【造木】:① ニワトコの古名。 〔和名抄〕② タマツバキの古名。 〔本草和名〕(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)
題詞にあるように、軽太郎女の別名は、「衣通王(そとほりのおほきみ)」である。
玉津島神社・鹽竃神社公式サイトの「和歌三神、衣通姫尊の光を求めて」に、「ここ玉津島が持つ、不思議な力。風光明媚なこの地で受けた感銘を、歌聖・山部赤人も歌に遺したように古来より『麗しきもの、優れたもの』を惹きつけてやまない魅力。集う美しき才能が共鳴し、まるで高め合うかのように訪れたものは皆、その魅力を増していく。絶世の美女で『和歌三神』に称された和歌の名手、衣通姫尊(そとおりひめのみこと)が祀られている玉津島神社には、その麗しき和歌の才に惹かれたあまたの文人墨客が、古今に渡り訪れています。」と書かれている。
(注)わかさんじん【和歌三神】:〘名〙 和歌の守護神として、和歌と関連深い神やすぐれた歌人を三柱あげたもの。近世、最も一般的なものは、住吉明神・玉津島明神・柿本人麻呂であるが、住吉明神・玉津島明神・天満天神、柿本人麻呂・山部赤人・衣通姫(そとおりひめ)とするものなど多くの説がある。和歌の三神。和歌の神。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1143)」で紹介している。
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玉津島神社に関しては、「同(その734)」で紹介している。
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題詞にあるように、伊予の湯に流された軽太子(かるのひつぎのみこ)ならびに追いかけてきた軽太郎女(衣通王)は、当地で亡くなったという。二人を祀った松山市姫原の軽之神社と二人の塚といわれる比翼塚の歌碑については、「同(その1834)」で紹介している。
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―その1985―
●歌は、「秋風に山吹の瀬の鳴るなへに天雲翔ける雁に逢へるかも」である。
●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉公園・万葉植物園(2)にある。
●歌をみていこう。
◆金風 山吹瀬乃 響苗 天雲翔 鴈相鴨
(柿本人麻呂歌集 巻九 一七〇〇)
≪書き下し≫秋風に山吹(やまぶき)の瀬(せ)の鳴るなへに天雲(あまくも)翔(かけ)る雁に逢(あ)へるかも
(訳)秋風に、山吹の瀬の瀬音が鳴り響く折も折、はるか天雲の彼方(かなた)を飛びかける雁の群れにであった。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)金風:《五行(ごぎょう)で、秋は金にあたるところから》秋の風。秋風。《季 秋》(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注の注)五行説の季節:五行説の各要素には色だけではなく季節も当てはめられており、・・・春夏秋冬が「木・火・金・水」にそれぞれ対応している。(世界の民謡・童謡HP)
(注)鳴るなへに:高鳴る折しも。(伊藤脚注)
(注の注)なへ 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕:…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)
題詞は、「宇治河作歌二首」<宇治川にして作る歌二首>である。
一六九九歌もみてみよう。
◆巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井尓 鴈相良之
(柿本人麻呂歌集 巻九 一六九九)
≪書き下し≫巨椋(おほくら)の入江(いりえ)響(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見(ふしみ)が田居(たゐ)に雁(かり)渡るらし
(訳)巨椋の入江がざわざわと鳴り響いている。射目人の伏すという伏見の田んぼに、雁が移動してゆくのであるらしい。(同上)
(注)巨椋の入江:宇治市の西にあった巨椋(おぐら)池。(伊藤脚注)
(注)いめひとの【射目人の】〔枕〕:射目人は伏して獲物をねらうので「伏見」にかかる。(広辞苑無料検索)
(注)たゐ【田居】名詞:①田。たんぼ。②田のあるような田舎。(学研)
一六九九、一七〇〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その194)」で紹介している。
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一七〇九歌の左注に「右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づるところなり。」とあり、一七〇九歌のみをさすという考えのほかに、「一六六五、一六六七、一六八二以下一七〇九まで」をさすと見る諸説がある。(伊藤脚注)
同様に、一七二五、一七六〇歌の左注の「右」の範囲をどこまでとするかといった問題をはらんである。
―その1986―
●歌は、「あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」である。
●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉公園・万葉植物園(3)にある。
●歌をみていこう。
◆安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都ゝ思努波牟
(橘諸兄 巻二十 四四四八)
≪書き下し≫あぢさいの八重(やへ)咲くごとく八(や)つ代(よ)にをいませ我が背子(せこ)見つつ偲ばむ
(訳)あじさいが次々と色どりを変えてま新しく咲くように、幾年月ののちまでもお元気でいらっしゃい、あなた。あじさいをみるたびにあなたをお偲びしましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)八重(やへ)咲く:次々と色どりを変えてま新しそうに咲くように。あじさいは色の変わるごとに新しい花が咲くような印象をあたえる。(伊藤脚注)
(注)八(や)つ代(よ):幾久しく。上の「八重」を承けて「八つ代」といったもの。(伊藤脚注)
(注)います【坐す・在す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)
左注は、「右一首左大臣寄味狭藍花詠也」≪右の一首は、左大臣、味狭藍(あじさゐ)の花に寄せて詠(よ)む。>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1859)」他で紹介している。
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アジサイはポピュラーな花であるが、万葉集では二首しか収録されていない。もう一首は、家持の七七三歌である。この歌については、「同(その850)」で紹介している。
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この三つの歌碑(プレート)は、万葉公園「石の広場」の家持の歌碑を撮影に行った時に付近にあったものを写したのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學万葉花の会発行)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「webjio辞書 デジタル大辞泉」
★「広辞苑無料検索」
★「weblio辞書 Wiktionary(日本語版 日本語カテゴリ)」
★「世界の民謡・童謡HP」