万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1987)―島根県益田市喜阿弥町ふれあい広場―万葉集 巻二 一三一

●歌は、「石見の海角の浦みを人こそ見らめ潟なしと人こそ見らめよしゑやし・・・」である。

島根県益田市喜阿弥町ふれあい広場万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、島根県益田市喜阿弥町ふれあい広場にある。

 

●歌をみていこう。

 

一三一から一三七歌の歌群の題詞は、「柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上(のぼ)り来る時の歌二首 幷せて短歌」である。

題詞「或る本の歌一首 幷せて短歌」の一三八、一三九歌の歌群を含め「石見相聞歌」と言われている。

 

◆石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等<一云 礒無登> 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 <一云 礒者> 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎<一云 波之伎余思妹之手本乎> 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志怒布良武 妹之門将見 靡此山

     (柿本人麻呂 巻二 一三一)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)の海 角(つの)の浦(うら)みを 浦なしと 人こそ見(み)らめ潟(かた)なしと<一には「礒なしと」といふ> 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は<一に「礒は」といふ>なくとも 鯨魚(いさな)取(と)り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振(ふ)る 風こそ寄らめ 夕 (ゆふ)羽振る 波こそ来(き)寄れ 浪の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を<一には「はしきよし妹が手本(たもと)を> 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)の 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)へて 偲(しの)ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡(なび)けこの山

 

(訳)石見の海、その角(つの)の浦辺(うらべ)を、よい浦がないと人は見もしよう。よい干潟がないと<よい磯がないと>人は見もしよう。が、たとえよい浦はないにしても、たとえよい干潟は<よい磯は>はないにしても、この角の海辺を目指しては、和田津(にきたづ)の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝(あした)に立つ風が寄ろう、夕(ゆうべ)に揺れ立つ波が寄って来る。その寄せる風浪(かざなみ)のままに寄り伏し寄り伏しする美しい藻のように私に寄り添い寝たいとしい子であるのに、その大切な子を<そのいとしいあの子の手を>、冷え冷えとした露の置くようにはかなくも置き去りにして来たので、この行く道の曲がり角ごとに、いくたびもいくたびも振り返って見るけど、あの子の里はいよいよ遠ざかってしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。強い日差しで萎(しぼ)んでしまう夏草のようにしょんぼりして私を偲(しの)んでいるであろう。そのいとしい子の門(かど)を見たい。邪魔だ、靡いてしまえ、この山よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)角の浦:島根県江津市都野津町あたりか(伊藤脚注)

(注)うらみ【浦廻・浦回】名詞:入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。(学研)

(注)よしゑやし【縦しゑやし】分類連語:①ままよ。ええ、どうともなれ。②たとえ。よしんば。 ※上代語。 ⇒なりたち 副詞「よしゑ」+間投助詞「やし」(学研)ここでは②の意

(注)いさなとり【鯨魚取り・勇魚取り】( 枕詞 ):クジラを捕る所の意で「海」「浜」「灘(なだ)」にかかる。 (weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)和田津(にきたづ):所在未詳(伊藤脚注)

(注)ありそ【荒磯】名詞:岩石が多く、荒波の打ち寄せる海岸。 ※「あらいそ」の変化した語。(学研)

(注)はぶる【羽振る】自動詞:飛びかける。はばたく。飛び上がる。「はふる」とも。(学研)

(注)朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ:風波が鳥の翼のはばたくように玉藻に寄せるさま。(伊藤脚注)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(学研)

(注)かよりかくよる【か寄りかく寄る】[連語]あっちへ寄り、こっちへ寄る。(コトバンク デジタル大辞泉

(注の注)か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を:前奏を承け、「玉藻」を妻の映像に転換していく。(伊藤脚注)

(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。(学研)

(注)なつくさの【夏草の】分類枕詞:①夏草が日に照らされてしなえる意で「思ひしなゆ」②夏草が生えている野の意で「野」を含む地名「野島」や「野沢」にかかる。③夏草が深く茂るところから「繁(しげ)し」「深し」にかかる。④夏草を刈るの意で「刈る」と同音を含む「仮(かり)」「仮初(かりそめ)」にかかる。(学研)

(注)夏草の思ひ萎へて偲ふらむ妹が門見む靡けこの山:結びは短歌形式をなす。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1271)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

短歌形式の結び「夏草の 思ひ萎へて 偲ふらむ 妹が門みむ 靡けこの山」(強い日差しで萎んでしまう夏草のようにしょんぼりして私を偲んでいるであろう。そのいとしい子の門を見たい。邪魔だ、靡いてしまえ、この山よ)は、相聞歌にふさわしく別れてきた妻への強い思いが詠われているのである。

しかし、梅原 猛氏は、「石見相聞歌」について、「おそらく、わが国の文学史上において、もっとも悲しい別れの歌」と評されている。

男が地方任官で都に戻ることになった場合、別れの際は、気持ちは都にあり現地妻に対しこれほどまでの思いを残すのはある意味異常であるとし、単なる別れではなく、人麻呂が死を覚悟し、妻依羅娘子がそのことを知っていたのではと説を展開されている。

梅原 猛氏は、相聞歌の一三一から一三七歌の歌群の題詞「柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上(のぼ)り来る時の歌二首 幷せて短歌」について、「・・・折口信夫は、常に詞書を離れて万葉集を読めとつねづねいっていたそうである。私は詞書は、最終的に平安時代のはじめ、万葉集最終編集のときにつくられたと思う。そのとき、おそらく、多くの歌とともに、人麿の人生そのものの正確なる意味は分からなくなっていたのであろう。・・・この歌を詞書を離れて、しかも古来の伝承通り、韓の崎を韓島、高角山を高津の山と考えて解釈したらどうか。そうすると、歌は、韓島に住んでいた人麿が、そこから渡(わたり)の山、屋上山(やかみのやま)をへて、高津の山へ行った歌になる。そして韓島は、・・・奈良時代国府の所在地とされる邇摩(にま)郡宅の沖合にある韓島に、人麿は妻とともにいたのである。もちろん島にいるのは流人である。」と述べておられる。

 

 流人である高官は、国府の目の届くところにおかれ、妻と同居することが許されていた。やがて、流人・人麿は妻から引き離され国府の近くの韓島から、高津の沖合にある鴨島に移されたのである。これは、流人・人麿の行く先に待っているのは死の運命である。

 韓島から西の高津の鴨島へ向かう方向性は、題詞の「京に上る」と真逆になる。疑わしいのは題詞の方である。移送の方向ベクトル、人麻呂と依羅娘子の相聞のベクトルが合致するのである。

 

 「石見相聞歌」と「鴨山五首」は、別個の歌群ではなく同一ゾーンで理解する必要がある。

 万葉集が語らんとする柿本人麻呂という人物を理解するためにも。

 

 「鴨山五首」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1266~1270)」で紹介している。

 巻二 二二三 ➡ 

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 巻二 二二四 ➡ 

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 巻二 二二五 ➡ 

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 巻二 二二六 ➡ 

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 巻二 二二七 ➡ 

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島根県立万葉公園→島根県益田市喜阿弥町ふれあい広場→下関市内ホテル■

 万葉公園で昼食を済ませ、市内のスーパーで旅行支援のクーポン券の消化をはかる。その後の当初の予定では、ふれあい広場、角島小学校、神田小学校、毘沙の鼻を周って下関市内のホテルに入ることになっていた。

 志都岩屋神社の往復に結構時間がかかったこともあり、「角島小学校、神田小学校、毘沙の鼻」は翌日に回すことにした。

 191号線を走っていると、ストリートビューで見たことのある光景が目に飛び込んできた。「ふれあい広場」である。

 「ふれあい広場」の歌碑を撮影し、一路下関市内のホテルへと向かったのである。

歌碑と「ふれあい広場」案内板

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論(上)」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」