万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1988)―山口県下関市豊北町角島 角島小学校―万葉集 巻十六 三八七一

●歌は、「角島の瀬戸のわかめは人の共荒かりしかど我れとは和海藻」である。

山口県下関市豊北町角島 角島小学校万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、山口県下関市豊北町角島 角島小学校にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆角嶋之 迫門乃稚海藻者 人之共 荒有之可杼 吾共者和海藻

       (作者未詳 巻十六 三八七一)

 

≪書き下し≫角島(つのしま)の瀬戸のわかめは人の共(むた)荒かりしかど我(わ)れとは和海藻(にきめ)

 

(訳)角島の瀬戸で採れたわかめは、人中ではまるで荒藻(あらめ)だったけれど、俺とは和海藻(にきめ)なんだよな。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)角島:筑前の北方。山口県西北岸の島。(伊藤脚注)

(注)わかめ:若い女の譬え。(伊藤脚注)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)にきめ【和布・和海藻】名詞:柔らかな海藻。わかめの類。 ※「にき」は接頭語。中古以降は「にぎめ」。(学研)

 

 わかめに関しては、廣野 卓氏は、その著「食の万葉集―古代の食生活を科学する」(中公新書)の中で、「飛鳥・藤原・平城各時代に、臨海諸国から貢納された海藻は、ほとんど干ものか一夜干しであっただろう。そのなかでも、最も好まれたのがワカメである。徳島県鳴門や山口県日本海に浮かぶ角島のような潮流の速い瀬戸では良質のワカメがとれる。・・・万葉のころにも、鳴門や角島の迫門(瀬戸)など、潮流が速い磯のワカメが珍重されており、出土木簡から確認される。・・・ワカメの調理法は吸いものや酢のものが一般的だが、きざみワカメや粉ワカメが貢納されているので、マメなどと煮たり、飯や菜の浸しものに、ふりかけにしたことが想像される。」と書かれている。

歌碑説明案内板

校庭の東隅にある歌碑




 「わかめ」を詠んだ歌は、万葉集には二首が収録されている。

 もう一首もみてみよう。

 

◆比多我多能 伊蘇乃和可米乃 多知美太要 和乎可麻都那毛 伎曽毛己余必母

       (作者未詳 巻十四 三五六三)

 

≪書き下し≫比多潟(ひたがた)の礒(いそ)のわかめの立ち乱(みだ)え我(わ)をか待つなも昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も

 

(訳)比多潟(ひたがた)の礒に入り乱れて茂り立つわかめのように、門に立ち身も心も千々に乱れて私を待っているのであろうか、あの子は。夕べに引き続き今夜も。(同上)

(注)上二句は序。「立ち乱え」を起こす。(伊藤脚注)

(注)立ち乱え:門に立って思い乱れながら。(伊藤脚注)

(注)なも 助動詞特殊型:《接続》動詞型活用語の終止形、ラ変型活用語には連体形に付く。 ※上代の東国方言。助動詞「らむ」に相当する。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1201)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 波に揺れるワカメの様子から、なよなよとした心優しい女性を、また揺れる女心を譬えて詠った歌である。万葉びとの素晴らしい感性に頭が下がる思いである。

 

 

 

下関市内ホテル→角島小学校(廃校)■

 以前テレビのCMを見て、一度は渡ってみたいと思っていた角島大橋である。万葉歌碑巡りで廻ることになるとは思っても見なかった。

 角島にある今は廃校になった角島小学校の校庭に歌碑がたっているのである。次に行く予定の神田小学校も廃校になっており、念のために観光協会に確認を入れておいた。両校とも廃校になっていても校庭には入れるし歌碑はそのまま残っていますとの回答を得た。

 

 海人ヶ瀬(あまがせ)公園展望台から見た透き通った海の青さに心が奪われる。そして海に映える大橋。

 万葉歌碑巡りのおかげである。

 前後に車はいないので、大橋をゆっくり渡る。

海人ヶ瀬公園展望台から見た心奪われる海の青

角島、角島大橋、空の青

角島大橋




 角島小学校は廃校とは思えない。今にも子供たちのにぎやかな声が聞こえてくるようである。管理が行き届いており、校舎も現役そのものといった風情である。遊具などにロープが結び付けられていているので廃校を意識する位である。

角島小学校の校舎

 同校は、1874年開校で2020年3月にその幕を下ろしたそうである。

 

島側の瀬崎陽(せさきあかり)公園に「平城宮若海藻上進之地」の石碑がある。天平の時代に角島のワカメが平城宮に送られていた旨が書かれている。時間的空間的に一気に身近になった気持ちになった。

瀬崎陽(せさきあかり)公園「平城宮若海藻上進之地」の碑

下関観光コンベンション協会HPの「瀬崎陽の公園 (せさきあかりのこうえん)」には、「本州から角島に渡ってすぐ左手にある公園です。かつて島の岬にあった燈明台のあかり(陽)が、付近を航行する船の安全を守ったという伝説からこの名前が付けられました。角島大橋のたもとにあり、橋と海士ケ瀬を一望でき、島内屈指のビュースポットです。」と書かれている。

 同公園展望台からの大橋の姿も実に美しい。いつも歌碑にせかされている気分であったが、こんなにまで観光気分に浸れたのは久しぶりであった。

瀬崎陽公園展望台から見た角島大橋



 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「食の万葉集―古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「下関観光コンベンション協会HP」