万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1989)―山口県下関市豊北町神田 神田小学校―万葉集 巻十七 三八九三

●歌は、「昨日こそ船出はせしか鯨取り比治奇の灘を今日見つるかも」である。

山口県下関市豊北町神田 神田小学校万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、山口県下関市豊北町神田 神田小学校にある。

 

●歌をみていこう。

 

三八九〇~三八九九歌の題詞は、「天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言  兼帥如舊 上京之時傔従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首」<天平(てんぴやう)二年庚午(かのえうま)の冬の十一月に、大宰帥大伴卿(だざいのそちおほとものまへつきみ)、大納言に任(ま)けらえて、  帥を兼ねること旧のごとし 京に上(のぼ)る時に、傔従等(けんじゆら)、別に海路(かいろ)を取りて京に入る。ここに羇旅(きりよ)を悲傷(かな)しび、おのもおのも所心(おもひ)を陳(の)べて作る歌十首>である。

(注)十一月:大伴旅人の大納言遷任が発令された月。大宰府出発は十二月。(伊藤脚注)

(注)けんじゅう【傔従】:そば仕えの家来。近侍。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)別に海路:旅人の一行とは別に。身分の高い人は陸路を、低い人は海路を取るのが当時の決まり。(伊藤脚注)

 

 

◆昨日許曽 敷奈▼婆勢之可 伊佐魚取 比治奇乃奈太乎 今日見都流香母

       (作者未詳 巻十七 三八九三)

 ▼は「人偏」+「弖」→ 「敷奈▼」は「ふなで」

 

≪書き下し≫昨日(きのふ)こそ船出(ふなで)はせしか鯨魚(おさな)取(と)り比治奇(ひぢき)の灘(なだ)を今日(けふ)見つるかも            

 

(訳)船出したのは、つい昨日のことだと思っていた。なのに、音に聞こえた比治奇(ひぢき)の灘(なだ)を、はやもう今日は、この目でしかと見た。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いさなとり【鯨取り】分類枕詞:いさな(=くじら)を捕る所の意から、「海」「浜」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)比治奇の奈太:…山口県西岸と福岡県北東岸で限られ,西は福岡県宗像(むなかた)郡の大島付近を境に玄界灘に接する。《万葉集》巻十七にみえる〈比治奇(ひじき)の奈太(なだ)〉は響灘か。古来,瀬戸内海と北九州や大陸とを結ぶ交通上重要な海域で,沿岸には多くの考古遺跡がある。…(コトバンク 世界大百科事典)

 

 この歌は、響灘の難所を過ぎて都に近づく喜びを詠っている。

 

三八九〇~三八九九歌すべてをみてみよう。

 

■三八九〇歌

◆和我勢兒乎 安我松原欲 見度婆 安麻乎等女登母 多麻藻可流美由

       (三野連石守 巻十七 三八九〇)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)を我(あ)が松原よ見わたせば海人娘子(あまをとめ)ども玉藻(たまも)刈る見(み)ゆ

 

(訳)我が背子を私がしきりに待つというこの名のこの原から見わたすと、今しも海人娘子(あまをとめ)たちが玉藻を刈っている。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)初句は序。「松原」を起す。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首三野連石守作」<右の一首は、三野連石守(みののむらじいそもり)作る>である。

 

 三八九〇歌は、巻十七の巻頭歌である。この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1826)」で紹介している。

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■三八九一歌

◆荒津乃海 之保悲思保美知 時波安礼登 伊頭礼乃時加 吾孤悲射良牟

       (作者未詳 巻十七 三八九一)

 

≪書き下し≫荒津(あらつ)の海潮干(しほひ)潮満(しほみ)ち時はあれどいづれの時か我(あ)が恋ひざらむ

 

(訳)荒津の海、ここでは、引き潮、満ち潮それぞれに、時はちゃんと決まっているけれど、この私は、いつといって恋焦がれないでいられるであろうか。私の恋には決まった時がない。(同上)荒津の海:福岡市中央区西公園付近にあった港。大宰府の外港で官船が発着した。(伊藤脚注)

 

 別れがたくて荒津まで来てしまったという大宰府官人と遊行女婦の非別の歌が西公園の碑の裏に刻されている。拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その928)」で紹介している。

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■三八九二歌

◆伊蘇其登尓 海夫乃釣船 波氐尓家里 我船波氐牟 伊蘇乃之良奈久

       (作者未詳 巻十七 三八九二)

 

≪書き下し≫礒(いそ)ごとに海人(あま)の釣舟(つりぶね)泊(は)てにけり我が船泊てむ礒の知らなく

 

(訳)磯という磯には、海人の釣舟、そう釣舟が泊まってしまっている。我らの船を泊められそうな磯はどこにすべきか見当もつかなくて・・・。(同上)

 

 

■三八九四歌

◆淡路嶋 刀和多流船乃 可治麻尓毛 吾波和須礼受 伊弊乎之曽於毛布

       (作者未詳 巻十七 三八九四)

 

≪書き下し≫淡路島(あはぢしま)門(と)渡る船の楫間(かぢま)にも我れは忘れず家をしぞ思ふ

 

(訳)淡路島の瀬戸を渡る船の、せわしく漕ぐ楫(かじ)のその間にも、私は絶え間なく家のことばかり思っている。(同上)

(注)淡路島(あはぢしま)門(と):淡路島の瀬戸。明石海峡。(伊藤脚注)

 

 

■三八九五歌

◆多麻波夜須 武庫能和多里尓 天傳 日能久礼由氣婆 家乎之曽於毛布

       (作者未詳 巻十七 三八九五)

 

≪書き下し≫たまはやす武庫(むこ)の渡りに天伝(あまづた)ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ

 

(訳)難波(なにわ)を眼の前にする、心躍る武庫の渡し場で、あいにく日が暮れて行くものだから、ひとしお、家のことが思われてならない。(同上)

(注)たまはやす【玉囃す】分類枕詞:地名「武庫(むこ)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注の注)魂を奮い立たせる意か。(伊藤脚注)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。「あまづたふ日」(学研)

 

 

■三八九六歌

◆家尓底母 多由多敷命 浪乃宇倍尓 思之乎礼波 於久香之良受母<一云 宇伎氐之乎礼八>

 

≪書き下し≫家にてもたゆたふ命(いのち)波の上(うへ)に思ひし居れば奥か知らずも<一には「浮きてし居れば」といふ>

 

(訳)家に居てさえ定めのない命、そんな命なのに、揺れ動く波の上に思いをきたすと<浮き漂うていると>、この先どうなるやら果ても知られない。(同上)

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】自動詞:①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)ここでは①の意

(注)おく【奥】名詞:①物の内部に深く入った所。②奥の間。③(書物・手紙などの)最後の部分。④「陸奥(みちのく)」の略。▽「道の奥」の意。⑤遠い将来。未来。行く末。⑥心の奥。(学研)ここでは⑤の意

 

 

■三八九七歌

◆大海乃 於久可母之良受 由久和礼乎 何時伎麻佐武等 問之兒良波母

       (作者未詳 巻十七 三八九七)

 

≪書き下し≫大海(おほうみ)の奥かも知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも

 

(訳)この大海のように果ても知らず旅行く私、そんな私なのに、いつお帰りでしょうと尋ねたあの子、あの子はああ。(同上)

(注)大海(おほうみ)の:「奥か」の枕詞。大海の上を行く意もこもる。(伊藤脚注)

(注)はも 分類連語:…よ、ああ。▽文末に用いて、強い詠嘆の意を表す。 ※上代語。 ⇒なりたち:係助詞「は」+終助詞「も」(学研)

 

 

■三八九八歌

◆大船乃 宇倍尓之居婆 安麻久毛乃 多度伎毛思良受 歌乞和我世

       (作者未詳 巻十七 三八九八)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)の上にし居(を)れば天雲(あまくも)のたどきも知らず歌ひこそ我が背

 

(訳)大船の上で揺られていると、天(そら)を流れる雲のようによるべもない気持ちだ。船頭たちに景気づけの歌でも歌ってもらおうではありませんか、皆さん。(同上)

(注)あまくもの【天雲の】分類枕詞:

①雲が定めなく漂うところから、「たどきも知らず」「たゆたふ」などにかかる。②雲の奥がどこともわからない遠くであるところから、「奥処(おくか)も知らず」「はるか」などにかかる。③雲が離れ離れにちぎれるところから、「別れ(行く)」「外(よそ)」などにかかる。④雲が遠くに飛んで行くところから、「行く」にかかる。「あまぐもの」とも。(学研)ここでは①の意

(注)たどき【方便】名詞:「たづき」に同じ。 ※上代語。(学研)

(注の注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考:古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)

 

 

■三八九九歌

◆海未通女 伊射里多久火能 於煩保之久 都努乃松原 於母保由流可問

       (作者未詳 巻十七 三八九九)

 

≪書き下し≫海人娘子(あまをとめ)漁(いざ)り焚(た)く火のおぼほしく角(つの)の松原(まつばら)思ほゆるかも

 

(訳)海人娘子、その娘子たちの焚(た)く漁(いさ)り火がぼんやり霞(かす)んで見えるように、うすぼんやりと心もとなく、角の原、そう私を待つ人のことが思われてならない。(同上)

(注)上二句は序。「おぼほしく」を起す。(伊藤脚注)

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。 ※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。(学研)

 

左注は、「右九首作者不審姓名」<右の九首の作者は、姓名を審(つばひ)らかにせず>である。

 

 

 

■角島小学校(廃校)→神田小学校(廃校)■

 角島大橋を満喫し神田小学校を訪れた。ここも廃校といったイメージは全くない。子供の声がしない、チャイムの音が聞こえないので廃校になっているのだと認識させられるのである。

 時の流れの寂しさを感じつつも管理が十分に行き届いていることになぜかホッとさせられる。

 1873年開校で2019年に廃校になっている。角島小学校と同じく歴史がある小学校であったのだ。

神田小学校正門

校庭

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 世界大百科事典」