万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1991)―岡山市南区西紅陽台 干拓記念碑の側―万葉集 巻六 九六七

●歌は、「大和道の吉備の児島を過ぎて行かば筑紫の児島思おえむかも」である。

岡山市南区西紅陽台「干拓記念碑」側の万葉歌碑(大伴旅人

●歌碑は、岡山市南区西紅陽台 干拓記念碑の側にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香聞

      (大伴旅人 巻六 九六七)

 

≪書き下し≫大和道(やまとぢ)の吉備(きび)の児島(こしま)を過ぎに行かば筑紫(つくし)の児島(こしま)思ほえむかも

 

(訳)大和へ行く道筋の、吉備の児島を通り過ぎる時には、筑紫娘子(をとめ)の児島のことが思われて仕方がないだろうな。(同上)

(注)吉備の児島:岡山市南方の海上にあった島。(伊藤脚注)

 

 九六五・九六六歌(娘子)、九六七・九六八歌‘(大伴旅人)の歌群が、大伴旅人が大納言として上京する時の筑紫娘子(をとめ)の児島との別れの贈答歌である。

 

 九六五歌からみてみよう。

 

九六五ならびに九六六歌の題詞は、「冬十二月大宰帥大伴卿上京時娘子作歌二首」<冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京(みやこ)に上(のぼ)る時に、娘子(をとめ)が作る歌二首>である。

 

◆凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞

       (娘子 巻六 九六五)

 

≪書き下し≫おほならばかもかもせむを畏(かしこ)みと振りたき袖(そで)を忍(しの)びてあるかも

 

(訳)あなた様が並のお方であられたなら、別れを惜しんでああもこうも思いのままに致しましょうに、恐れ多くて、振りたい袖も振らにでこらえております。

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かもかも>かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)

(注)振りたき袖を忍びてある:振りたい袖なのにこらえている。(伊藤脚注)

 

 

◆倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈

        (娘子 巻六 九六六)

 

≪書き下し≫大和道(やまとぢ)は雲隠(くもがく)りたりしかれども我(わ)が振る袖をなめしと思(も)ふな

 

(訳)大和への道は雲の彼方にはるばる続いております。しかしあなたがその向こう遠くへ行ってしまわれるのにこらえきれずに振ってしまう袖、この私の振る舞いを、どうか無礼だとお思い下さいますな。(同上)

(注)しかれども:しかし遠くへ行ってしまわれる悲しみに堪えきれずに。(伊藤脚注)

(注)なめし 形容詞:無礼だ。無作法だ。(学研)

 

左注は、「右大宰帥大伴卿兼任大納言向京上道 此日馬駐水城顧望府家 于時送卿府吏之中有遊行女婦 其字曰兒嶋也 於是娘子傷此易別嘆彼難會 拭涕自吟振袖之歌」<右は、大宰帥大伴卿、大納言(だいなごん)を兼任し、京に向かひて道に上(のぼ)る。この日に、馬を水城(みづき)に駐(とど)めて、府家(ふか)を顧(かへり)み望(のぞ)む。時に、卿を送る府吏(ふり)の中に、遊行女婦(うかれめ)あり、その字(あざな)を児島(こしま)といふ。ここに、娘子(をとめ)、この別れの易(やす)きことを傷(いた)み、その会(あ)ひの難(かた)きことを嘆き、涕(なみた)を拭(のご)ひて自(みづか)ら袖を振る歌を吟(うた)ふ>である。

(注)水城:堤を築き水を湛えた砦。大宰府市水城にその一部が残る。(伊藤脚注)

(注)府家:大宰府庁。(伊藤脚注)

(注)ゆうこうじょふ〔イウカウヂヨフ〕【遊行女婦】:各地をめぐり歩き、歌舞音曲で宴席をにぎわした遊女。うかれめ。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ここでは貴人に侍した教養のある遊女。(伊藤脚注)

 

 

九六七・九六八歌の題詞は、「大納言大伴卿が和(こた)ふる歌二首」である。

 

◆大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭

       (大伴旅人 巻六 九六八)

 

≪書き下し≫ますらをと思へる我(わ)れや水茎(みづくき)の水城(みづき)の上(うへ)に涙(なみた)拭(のご)はむ

 

(訳)ますらおだと思っているこの私たるものが、別れに堪えかねて水城の上で涙を拭(ぬぐ)ったりしてよいものか。(同上)

(注)みづくきの【水茎の】分類枕詞:①同音の繰り返しから「水城(みづき)」にかかる。②「岡(をか)」にかかる。かかる理由は未詳。 ※参考 中古以後、「みづくき」を筆の意にとり、「水茎の跡」で筆跡の意としたところから、「跡」「流れ」「行方も知らず」などにかかる枕詞(まくらことば)のようにも用いられた。(学研)

 

 

九六五から九六八歌については、「吉備の児島」JR児島駅前の歌碑とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その801)」でも紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

万葉集には「遊行女婦」の歌も数多く収録されている。遊行女婦あるいはそれと思われる娘子の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1721)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 「ますらを」、「ますらをたけを」、「ますらをと思へる我」に関する歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1367)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

■■11月11日岡山■■

倉敷市内ホテル→岡山市南区西紅陽台干拓記念碑→マービーふれあいセンター→自宅

 

倉敷市内ホテル→岡山市南区西紅陽台干拓記念碑■

 ホテルで岡山県の万葉歌碑を検索していると、今までノーチェックであった「万葉歌碑 岡山県の記念公園」がヒットした。

当初は、」倉敷市真備町のマービーふれあいセンターの歌碑を巡ってから帰宅する予定にしていたが、ここを巡って真備町に行くことに変更した。岡山県の旅行支援クーポンは、朝一で倉敷駅構内の売店で消化することにし、ホテルで朝食をすませて駅まで散歩。

 歌碑は、児島湾の干拓記念公園にある。干拓記念碑に並んで万葉歌碑が立てられている。

干拓記念碑

大伴旅人の歌と西行の歌が刻されている

児島湾開墾第一区の樋門群の説明案内板

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉