●歌は、「縄の浦に塩焼く煙夕されば行き過ぎかねて山になびく」である。
●歌をみていこう。
◆縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引
(日置少老 巻三 三五四)
≪書き下し≫縄(なは)の浦に塩(しお)焼く煙(けぶり)夕されば行き過ぎかねて山になびく
(訳)縄の浦で塩を焼いている煙、その煙は、夕なぎの頃になると、流れもあえず山にまつわりついてたなびいている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)火氣:「ほのけ」とも読む。
(注)ゆふさる【夕さる】自動詞:夕方になる。日暮れになる。 ⇒参考:名詞「ゆふ」に移動して来るという意味の動詞「さる」が付いて一語化したもの。已然形「ゆふされ」に接続助詞「ば」が付いた「ゆふされば」の形で用いられることが多い。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「日置少老歌一首」<日置少老(へきのをおゆ)が歌一首>である。
(注)日置少老(へきのをおゆ):伝未詳。万葉集にはこの一首だけが収録されている。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その805)」で紹介している。
➡
「日本辞典HP」によると「奈半利」について「奈半利(なはり)川の河口部に開けた地。古くから陸、海路の要衝で、土佐日記には『那波の泊』。近世、良質な魚梁瀬杉の集散地として発展。古くは『和名抄』に見える安芸郡『奈半郷』。室町期には見える荘園名『奈半利荘』。奈半の里、奈半里となり、さらに奈半利となったという(不詳)、『リ』は集落の意・『里』の音読という。『奈半』は田の生(な)る処の意とする説、漁場(なば)の意とする説などがあるという(不詳)。」と書かれている。
(注)和名抄:和名類聚抄(和名抄)は平安時代中期、当代随一の和漢にわたる学者であった源順が撰した、現存最古の分類体漢和辞書である。本書は室町時代の写本であるが、例えば尾張国の田積(「九千四百五十町八段百八十五歩」)など、他の写本にはみえない独自の注記が、特に国郡部に多く、数ある写本の中でも重要な位置を占めている。(文化遺産オンラインHP)
三五四歌の「縄の浦」は、兵庫県相生市那波の海岸とする説が一般的であるが、「土佐日記」にある「那波の泊」などに因んでこの地に歌碑を立てたものと思われる。
■伏越ノ鼻→高知県奈半利町 活性化センター→高知市内ホテル■
伏越ノ鼻の万葉歌碑を撮影している時は、雨が上がり、このまま何とかもって欲しいと期待したが、途中で降りだすと止む気配がない。奈半利町へ国道493号線をショートカットする道はあるが、天候を考え、遠回りになるが室戸岬ルートを選択、雨中のドライブとしゃれこむ。
左手に海が広がる、室戸岬近くに「歓鯨」と書いてある鯨のしっぽのモニュメントがある駐車場に車を止める。
雨は一向に止まない。傘をさして海辺に向かう。「室戸阿南海岸国定公園 室戸岬 月見が浜」と書かれた碑が立っている。
風が強く、雨もそこそこ降っているので、傘は役に立たない。すぐに服も靴もびしょ濡れに。寒い!急いで車に戻る。今回も座席ヒーターに助けられたようなものである。
そこを後にし、途中の「道の駅 キラメッセ室戸 楽市」でトイレ休憩。そこで鯖寿司や何やかや購入する。店の人が、ハエたたきをもってハエをたたいている。オー昭和だって感じである。
ようやく奈半利町 活性化センターに到着。歌碑を撮影すべく車を歌碑の近くに止める。伏越ノ鼻の時と逆に急に土砂降りに。やむをえず歌碑の前に横付けし、助手席側の窓を開け、車の中から歌碑を撮影する。
撮影を終え、高知駅前のホテルをめざす。高知駅まで家から約380kmである。歌碑は2か所だけという効率の悪さ。
灰色の海と空でもいいから、太平洋を眺めながら昼食を取ろうと車を走らせる。安芸市に入ると「赤野休憩所」の案内板が目に入った。すでに何台かの車が止まっている。
端っこの海に近いほうに車を止め、防波堤にぶつかる波しぶきを見ながらの昼食である。
ホテルに着いたのは14時過ぎである。部屋に入るにはまだ時間があるのでラウンジでコーヒータイムとしゃれこむ。このようにのんびりした万葉歌碑巡りは初めてといってもよい。
チェックインを済ませ、高知駅の売店に買い物に出かける。クーポンの消化である。昔懐かし「土佐日記」や生節、ご当地ラーメンなどを買い込む。
雨も小降りになってきたので駅前の「土佐三志士像」(坂本龍馬・中岡慎太郎・武市半平太)を見て回った。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「日本辞典HP」
★「文化遺産オンラインHP」