万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1995~1997)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(1~3)―万葉集 巻一 五四、巻一 五七、巻二 

―その1995―

●歌は、「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(1)(坂門人足

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎

      (坂門人足 巻一 五四)

 

≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

 

(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。(学研)

 

 

 大伴家持は、「椿つらつらに」と詠っている。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「三月四日於兵部大丞大原真人今城之宅宴歌一首」<三月の四日に、兵部大丞大原真人今城が宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌一首>である。

 

◆安之比奇能 夜都乎乃都婆吉 都良々々尓 美等母安可米也 宇恵弖家流伎美

       (大伴家持 巻二十 四四八一)

 

≪書き下し≫あしひきの八(や)つ峰(を)の椿(つばき)つらつらに見とも飽(あ)かめや植ゑてける君

 

(訳)山の尾根尾根に咲く椿、そのつらなる椿ではないが、つらつらと念入りに拝見してもとても見飽きるものではありません、これを移し植えられたあなたというお方は。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「つらつらに」を起す。「椿」に今城を言寄せている。(伊藤脚注)

(注)つらつら(に・と)副詞:つくづく。よくよく。▽念を入れて見たり考えたりするようす。(学研)

 

左注は、「右兵部少輔大伴家持属植椿作」<右は、兵部少輔大伴家持、植ゑたる椿に属(つ)けて作る>である。

 

五四歌については、「つらつら椿」の名所として知られる巨勢寺の子院の一つ阿吽寺の歌碑とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。

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この歌の元歌といわれる春日蔵首老の五六歌については拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その940)」で紹介している。

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―その1996―

●歌は、「引馬野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園万葉歌碑(2)(長忌寸意吉麻呂)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌」<二年壬寅(みずのえとら)に、太上天皇(おほきすめらみこと)、三河の国に幸(いでま)す時の歌>である。

(注)大宝二年:702年

(注)太上天皇:持統上皇

 

◆引馬野尓 仁保布榛原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓

      (長忌寸意吉麻呂 巻一 五七)

 

≪書き下し≫引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに

 

(訳)引馬野(ひくまの)に色づきわたる榛(はり)の原、この中にみんな入り乱れて衣を染めなさい。旅の記念(しるし)に。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)引馬野(ひくまの):愛知県豊川市(とよかわし)御津(みと)町の一地区。『万葉集』に「引馬野ににほふ榛原(はりばら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに」と歌われた引馬野は、豊川市御津町御馬(おんま)一帯で、古代は三河国国府(こくふ)の外港、近世は三河五箇所湊(ごかしょみなと)の一つだった。音羽(おとわ)川河口の低湿地に位置し、引馬神社がある。(コトバンク 日本大百科全書<ニッポニカ>)

(注)はり【榛】名詞:はんの木。実と樹皮が染料になる。(学研)

(注)にほふ【匂ふ】:自動詞 ①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。

他動詞:①香りを漂わせる。香らせる。②染める。色づける。(学研)

 

左注は、「右一首長忌寸奥麻呂」<右の一首は長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)>である。

 

 この歌ならびに五八から六一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1426)」で紹介している。

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―その1997―

●歌は、「君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園万葉歌碑<右>(3)(衣通王)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王不堪戀慕而追徃時謌曰」<古事記に曰はく 軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に奸(たは)く。この故(ゆゑ)にその太子を伊予の湯に流す。この時に、衣通王(そとほりのおほきみ)、恋慕(しの)ひ堪(あ)へずして追ひ徃(ゆ)く時に、歌ひて曰はく>である。

 

◆君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待  此云山多豆者是今造木者也

        (衣通王 巻二 九〇)

 

 

≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つにはまたじ ここに山たづといふは、今の造木をいふ

 

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。にわとこの神迎えではないが、お迎えに行こう。このままお待ちするにはとても堪えられない。(同上)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞:「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

(注)みやつこぎ【造木】: ニワトコの古名。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)軽太子:十九代允恭天皇の子、木梨軽太子。(伊藤脚注)

(注)軽太郎女:軽太子の同母妹。当時、同母兄妹の結婚は固く禁じられていた。(伊藤脚注)

(注)たはく【戯く】自動詞①ふしだらな行いをする。出典古事記 「軽大郎女(かるのおほいらつめ)にたはけて」②ふざける。(学研)

(注)伊予の湯:今の道後温泉

(注)衣通王:軽太郎女の別名。身の光が衣を通して現れたという。(伊藤脚注)                         

 

この歌については、題詞にあるような悲劇にみまわれその地で亡くなったという二人を祀った『軽之神社』があり、神社より奥の山裾に二人の塚と言われる比翼塚の歌碑とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1834)」で紹介している。

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高知市内ホテル→定福寺境内土佐豊永万葉植物園■

翌11月30日は、雨があがり曇りがちではあったが上々である。定福寺境内土佐豊永万葉植物園をめざす。

駐車場に車を止め、歌碑の撮影を行う。山の斜面に展開している結構広い境内であるので探し回るのが大変である。歌碑の位置を書いた略図もないので手探りである。それでもなんとか歌碑を100基超撮影することが出来た。先達のブログなどには150基ほどと書いてあったが、他には探しようがないほど歩き回ったので及第としよう。

境内をお掃除されていた先代の御住職様と話をする機会があり、定福寺の境内に万葉歌碑が立てられた経緯などを伺うことができたのである。



 定福寺HPの「土佐豊永万葉植物園」には、「土佐豊永万葉植物園が開園したのは、門田秀峰氏が1974年に大豊町に帰省の際、定福寺周辺に数十種の万葉植物の自生を発見したことがきっかけでした。・・・1975年4月20日に全国で6番目の万葉植物園として定福寺の敷地内に開園いたしました。・・・豊永万葉植物園は自生の万葉植物が3分の2を占め、自然を生かした植物園となっている・・・植物は自然環境や気候に影響を受け、植生も変化します。・・・植物も変化しました。昔は生息していなかった動植物が生息するようになり、昔の植物は観れなくなったものもあります。境内には万葉歌碑が建立され、その周辺に歌われている植物が生息していますが、それも変化いたしますので地図上で示す難しさもあります。」と書かれている。

 境内の廃棄物処分場あたりに打ち捨てられた万葉歌碑を何基かみたのはこういう事情があったのだと理解した。

 

次なる目的地は、瀬戸内海を渡り、山口県周南市の周南緑地公園西緑地万葉の森である。ダイナミックな移動である。途中、大歩危小歩危の祖谷蕎麦もみじ亭で昼食をとる。 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「コトバンク 日本大百科全書<ニッポニカ>」

★「定福寺HP」