―その2013―
●歌は、「み吉野の青根が峰の蘿席誰れか織りけむ経緯なしに」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(19)である。
●歌をみていこう。
◆三芳野之 青根我峯之 蘿席 誰将織 経緯無二
(作者未詳 巻七 一一二〇)
≪書き下し≫み吉野の青根(あをね)が峰(みね)の蘿席(こけむしろ)誰(た)れか織(お)りけむ経緯(たてぬき)なしに
(訳)み吉野の青根が岳(たけ)の蘿(こけ)の莚(むしろ)は、いったい誰が織りあげたのであろう。縦糸や横糸の区別もなしに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)青根が峰:大峰山脈北部、奈良県吉野郡吉野町の吉野山最南端にある標高858mの山。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
(注)「蘿席」(こけむしろ):密生する蘿を莚に譬えた。(伊藤脚注)
(注の注)むしろ【筵・蓆・席】名詞:①藺(い)・藁(わら)・蒲(がま)・竹などで編んで作った敷物の総称。②(会合などの)場所。座席。席。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)たてぬき【経緯】名詞:機(はた)の縦糸と横糸。(学研)
題詞は、「詠蘿」<蘿(こけ)を詠む>である。
万葉集には「こけ」と見られるのは、題詞に一つ、詠んだ歌は十一首収録されている。一一二〇歌は、「蘿席(こけむしろ)」であるが、他の十首は、すべて「こけむす」と詠われている。この歌ならびに「こけむす」の歌のみについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その650)」で紹介している。
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―その2014―
●歌は、「山越えて遠津の浜の岩つつじ我が来るまでふふみてあり待て」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(20)である。
●歌をみていこう。
◆山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾来 含流有待
(作者未詳 巻七 一一八八)
≪書き下し≫山越えて遠津(とほつ)の浜の岩つつじ我(わ)が来(く)るまでふふみてあり待て
(訳)山を越えて遠くへ行くというではないが、その遠津の浜に咲く岩つつじよ、われらが再びここに帰って来るまで蕾(つぼみ)のままでいておくれ。(同上)
(注)やまこえて【山越えて】( 枕詞 ):山を越えて遠くの意で、地名「遠津」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)遠津の浜:所在未詳。(伊藤脚注)
(注)岩つつじ:岩間に咲くつつじ。土地の娘の譬えであろう。(伊藤脚注)
(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)
この歌ならびに「ツツジとサツキ」の違いについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その514)」で紹介している。
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一一八八歌に「ふふみて」と詠まれているが、「ふふむ」は「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」の訳にあるように「花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。」ことである。含みをもつといったニュアンスであるし、微笑みの感覚にも近いように思え、なぜかしら惹かれる言葉である。
「ふふむ」と詠んだ歌を少しみてみよう。
題詞は、「四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首」<四月の一日に、掾(じよう)久米朝臣広縄が館(たち)にして宴(うたげ)する歌四首>である。
◆宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母
(大伴家持 巻十八 四〇六六)
≪書き下し≫卯(う)の花の咲く月立ちぬほととぎす来鳴き響(とよ)めよふふみたりとも
(訳)卯の花の咲く四月がついに来た。時鳥よ、来て鳴き立てておくれ。花はまだつぼんでいようとも。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)うのはな【卯の花】 ウツギの白い花。また、ウツギの別名。うつぎのはな。《季 夏》(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)つきたつ【月立つ】分類連語:①月が現れる。月がのぼる。②月が改まる。月が変わる(学研)ここでは②の意
(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)
左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1349表⑤)」で紹介している。
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◆十二月尓者 沫雪零跡 不知可毛 梅花開 含不有而
(紀女郎 巻八 一六四八)
≪書き下し≫十二月(しはす)には沫雪(あわゆき)降ると知らねかも梅の花咲くふふめらずして
(訳)十二月には泡雪が降ると知らないからであろうか、梅の花がちらほら咲き始めた。蕾(つぼみ)のままでいないで。(同上)
(注)知らねかも:「知らねばかも」の意。
(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)
題詞は、「紀少鹿女郎歌一首」<紀小鹿女郎(きのをしかのいらつめ)が梅の歌一首>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1114)」で紹介している。
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◆春雨乎 待常二師有四 吾屋戸之 若木乃梅毛 未含有
(藤原久須麻呂 巻四 七九二)
≪書き下し≫春雨を待つとにしあらし我がやどの若木の梅もいまだふふめり
(訳)春の若木は春雨の降るのを待つもののようです。わが家の梅の若木もいまなおつぼんだままです。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
※七八六歌「春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若(わか)みかも<春の雨はいよいよしきりに降り続くのに、梅の花がまだ咲かないのは、よほど木が若いからでしょうか>」を承けた歌。「春の雨はいやしき降る」とは、藤原久須麻呂が大伴家持の娘に誘いかけていることをいう。
(注)ふふむ【含む】:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その218)」で紹介している。
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―その2015―
●歌は、「月草に衣ぞ染むる君がため斑の衣摺らむと思ひて」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(21)である。
●歌をみていこう。
◆月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而
(作者未詳 巻七 一二五五)
≪書き下し≫月草(つきくさ)に衣(ころも)ぞ染(そ)むる君がため斑(まだら)の衣(ころも)摺(す)らむと思ひて
(訳)露草で着物を摺染(すりぞ)めにしている。あの方のために、斑(まだら)に染めた美しい着物に仕立てようと思って。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)斑の衣:斑に染めた美しい衣。(伊藤脚注)
この歌ならびに月草を詠んだ歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1207)」で紹介している。
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月草のように、染めに関わる植物で万葉集に歌われたものに、紅花、紫草、茜、つるばみ、つゆくさ、はり、萩、山藍、かきつばた、からあい、こなぎ、はねず、菅の根などがある。
それぞれの植物の代表的な歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1306)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」